テラーノベル
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母が用意してくれたお茶をすすり、おはぎにかぶりつく。
小豆のほどよい甘さが、ふわっと口の中に広がった。
「ああー、やっぱりお母さんのおはぎは絶品! この甘すぎない大きな粒あんは、ここでしか味わえない」
「ほうか? なら明日の朝にまた作るで、持って帰ったらいい。遼一さんはおはぎなんて食べんか?」
嬉しそうに頬張る私を眺め、母は満足げに声を弾ませた。
「……遼は甘いもの食べないんだ。
あっ、この週末に私の患者を代わりに診てくれてる友達がいるから、お礼に持っていこうかな。結婚式に来てくれた麗香って子。覚えてる?」
夫の名を聞いて一瞬ドキッとし、その名を避けるように話題を変える。
「ああ、覚えとる覚えとる。テレビに出とる女優さんみたいに、えらい綺麗な娘さんだ。
ほうか、あの子のおかげで亜紀が帰省できたのか。ほりゃ~お土産持たせないかんな」
母は頷きながら湯気の立つ緑茶をすすり、さらに目尻のしわを深めた。
私はそんな母の姿を見つめ、
「……お母さん、体重どれくらい落ちた? 心臓の発作の方はどうなの?」
口元に浮かべた笑みで不安を隠し、顔色をうかがうように母に尋ねた。
「えっ……どうって、薬飲んでるから大丈夫よ。体重は2キロくらい落ちただけ。年取ると、そうようけは食べれんで」
刹那、母の表情に陰りが走る。
「……検査は? 最近検査はしてるの? 心電図とか心エコーとか」
「ああ、やっとるよ。不整脈は落ち着いとるから心配ないって」
「……」
母の顔を見て、不吉な予感が迫り来る。
「……ちょっとごめん、お母さん」
「なっ、ちょっと……何を、亜紀っ」
思わず声を上げ、身を乗り出して奪うように母の手を取った。
掴んだ母の手首から私の指に伝わるのは、橈骨動脈の拍動。
トク……トク……トト……ト……トク……
脈の間隔が……
眉間に深い縦じわを刻み、私に捕らえられた母の手を凝視する。
「……亜紀?」
「お母さんっ、本当に検査してるの? それとも私に嘘をついてるの?」
明らかに乱れた脈。
か細い手首を掴んだまま、眉根を寄せて母を見つめる。
「何を言っとるのぉ、母さんがあんたに嘘なんてつくはずが……」
「お母さん! 私は循環器専門のドクターよ!」
顔を引きつらせながらも、必死に笑顔を作ろうとする母を見ていると、不安と恐怖が煽られ、炎のように広がっていく。
「……お願い、本当のことを言ってよ」
母の手を両手で握り、真実を求めて懇願する。
「……心臓に細い管を入れる治療をした方がいいって。アブ……アブ……何だか知らんけど、難しい名前のやつを」
私の瞳を見つめ返し、観念したように母がぽつりと言葉を落とした。
「えっ……」
まさか……
「……アブレーション治療? それが必要だって言われたの?」
「そうそう、そのアブレーションとか言うやつ。何本か管を入れて、電気を使って治療するらしいけど、母さんの場合は管を通す血管に細いところがあって、普通より難しいんだって……」
内服で管理できていると、状態は安定しているからカテーテル治療など必要ないと、そう安堵していたのに……
しかも、カテーテルを通す血管に問題があるなんて……
予期せぬ大きな衝撃が、私の頭を強打する。
一瞬、ぐらりと揺れる視界。
「……それで? 母さんの通ってる病院じゃ対応できないでしょ? もっと大きな病院に行かないと……どこでやるの? 紹介状は書いてもらったの?」
縋るような目をして、声を上ずらせる。
「……管は入れん」
「……え?」
「飲み薬で今までやって来れたんだで、そんな危ないことしに、わざわざ遠くの病院に通う必要ない」
母は私から解放された手で湯呑みを握り、その底に視線を沈めるように一点を見つめ、首を振る。
「何言ってるの!? 薬じゃコントロールできなくなってきてるから、治療を勧められたんでしょ?
そのまま放っておいたら心臓に負担がかかることだってあるし、重い発作を起こせば命に関わる危険性だってある。こんな田舎で何かあっても、すぐには対応できない。
救急車が到着するのに、どれだけ時間がかかると思ってるの!」
「……大丈夫だ。父さんが天国から守ってくれるで……」
頑なに首を横に振る母。
「お母さんっ!」
顔を紅潮させ、母の声を打ち消した。
「治療がうまくいけば、不整脈が改善する可能性だってあるのよ? 薬だって減らせるかもしれないのよ?」
「……成功せんかったらそれで終わりだ。管で心臓に穴が空くことだってあるかもしれん。失敗して胸を開くことになったらどうする? 高度な技術が必要だと、主治医に前置きされとるのに……」
母は伏せていた顔を上げ、苦々しく呟いた。
「……そんなことを言い出したら、助かる命も助からなくなっちゃうよ……」
涙腺が緩みそうになり、それを堪えようと口をへの字に歪ませる。
「ほうだね、亜紀はお医者さんだからね。それに、正直えらいんよ。遠くの病院まで何時間もかけて通院するのが。……もう、それだけで体がもたん。それに、未亡人の年金暮らしだ。金ももたん。……もう68まで生きた。悪あがきせずに、自然と父さんのところへ行くよ」
母は飛ぶ鳥を見るような目をして、父の仏壇を見つめ、口元を緩ませた。
「何言ってるの……まだ68じゃない……」
……私が守るって決めたのに。
今度こそ、私が守るって決めたのに……
「そんな、何もせずに諦めないでよ……」
ぽろりと、堪えていた涙がこぼれ落ちた。
「亜紀……」
「……お兄ちゃんは?」
「えっ……」
「お兄ちゃんは何て言ってるの? ……本当は会いに来たの。お兄ちゃんに……」
声も出せず、予想外のところから矢が飛んできたような顔をする母。
私は目に溜まった涙を手でこすり、覚悟を決めたように母を真っ直ぐに見つめた。
「……啓太が帰ってきとること、知っとったんだね。急にこの休みに帰ってくるなんて言うで、ひょっとしてとは思っとったけど……ほうか、知っとったか……」
母は気力を失ったように肩を落とし、口元には自嘲的な笑みを浮かべる。
「……遼から全部聞いた。お父さんの会社が負債を抱えてたことも……。
遼から私には言うなと、口止めされてたんでしょ?」
――私の知らない水面下で家族に首輪を嵌め、逃げ出さないように私に足枷を嵌めるために……。
「遼一さんは何も悪くない。亜紀に話すなと言ったのも、『亜紀に心配を掛けたくない。仕事に集中させてやりたい』と言う、あの人の優しさだ。
……嫁に出したお前と遼一さんにまで迷惑をかけて……不甲斐ない母を、兄ちゃんをどうか許しておくれ……」
小さな背中を丸め、両手で顔を覆い隠す母。
「お母さん……」
涙を必死に堪えているのだろう……俯き、肩を震わせるその痛々しい母の姿を見て、言葉を失う。
違うよ、お母さん……
あの人は、お兄ちゃんのことを能無しだと罵った。この家を『あんなボロ屋、金にもならない』と愚弄した。
――あの人は、お母さんが思ってるような善人じゃない。
だけど、こんな状態の母にそんな酷薄な事実を言えるわけがない。私の身の上に起こっている現状を、今ここで打ち明けられるわけがない。
「……」
堪えきれず、悲しみに打ちひしがれる母から視線を逸らし、唇をぎゅっと噛んだ。
「……母さんが死んだら、生命保険会社から下りる金と、この土地を売った金を遼一さんに渡しておくれ。微々たるものだけど、母さんがコツコツと貯めた預金もある」
耳に届いたのは、母の弱々しい声。
私は畳に向けていた目を大きく見開き、愕然とした顔をゆっくりと上げる。
目に映るのは、目を赤くして私を見つめる母の姿。
「……お母さん? この土地を売るって……冗談でしょ?」
「すまんね、亜紀……帰るざいしょが無くなってしまうが、許しておくれ」
「そんな……だって、ここはお父さんと……家族で過ごした大切な場所なのに……」
息が詰まる。
口元を歪め、喉の奥から震える声を絞り出した。
「母さんがいなくなってからの話だ。……父さんもきっと許してくれる。
啓太も今、自分で生きてく力を身につけるために頑張っとる。亜紀は立派なお医者さんだ。……後は、何も心配しとらんよ」
母は私に言い聞かせるような穏やかな口調でそう言って、仏壇に置かれた父の写真を見つめ、目を細めた。
その表情はまるで死に急ぐかのように見えて、私の心は例えようもない絶望感に包まれていく。
「……だから、お母さんは治療を受けようとしないのね。治療にはお金がかかるから……本当はそれが理由なんでしょ?」
「……違う。本当に費用のことだけじゃない。良いんだよ、亜紀。人の命はいつかは尽きる。尽きた時がその人の寿命なんだ。
父さんの寿命は、ちょっと早すぎたけどね。まだピチピチの母さんを置いて先に行っちゃうんだから、酷い人だよね」
母は私にこれ以上の心配をかけまいとして、小さく笑い、目尻に幾つものしわを刻んだ。
私は口を閉ざしたまま、無理に笑う母を切なげに見つめる。
胸が痛くなるような静けさ。
母が背にした窓の向こうには、降り下りる重苦しい空気には似つかわしくない、透き通るような青空が広がっている。
コメント
1件
ああ、もう…胸がぎゅっとなりました。柏木さん、このエピソード、凄かったです。 亜紀が母の手首を取って脈を診る場面、あの一瞬で「医療者としての娘」と「ただの娘」の両方が立ち上がってくる感じが、本当に巧みで。だからこそ、お母さんの「もうええんよ」が突き刺さりました。「私が守るって決めたのに」っていう亜紀の心の声、ここに全てが詰まってる気がします。 透き通る青空との対比も…何とも言えない切なさでした。続きが気になります。
管野アリオ
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瑠璃マリコ
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#大人ロマンス
桃下結衣
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