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ruruha
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#大人ロマンス
瑠璃マリコ
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夫は振り払われた手を上げたまま、愕然とした表情を浮かべている。
「彼女も同じよ。ペット……オモチャ……そう思ってたんでしょ? だったら今は、飼い犬に手を噛まれた気分なのかしら?」
私は上目遣いで彼を睨み付け、フッとこれ見よがしに薄ら笑いを浮かべてみせた。
「亜紀……おまえは……」
「私がどうして彼女を庇うのか……そう聞いたわよね?」
「……」
私を騙し続け、嘲笑い続けたあの女狐。
悔しくて憎くて、あの可愛い顔を切り刻んでやりたいくらいに憎らしい。
だけど……
「……どうして彼女を庇うのか教えてあげる。
それは、私も彼女と同じ『女』だから。
……女は与えられる愛で強い女に姿を変える」
それを私に教えてくれたのは……
――今泉さん、あなた。
「そして、女は生み出される憎しみでどんな悪女にだって姿を変えられる」
それを教えてくれたのは、遼。あなたよ。
以前の私の口からは、到底出るはずのない言葉。
「亜紀……おまえはどっちの女に変わったと言うんだ……」
わが耳を疑うといった様子で、夫は顔を強張らせ、大きく口元を歪めた。
「……あなたの目に映る私は、どっちの女に変わったの?」
崩れていく彼の表情を真っ直ぐ見つめたまま、さらりと言って退ける。
「何だそれは……答えになってないだろっ!」
「私はただ……大切なものを守りたいだけ……」
私を見守ってくれる、愛する家族と……あの人を。
問いを問いで返され逆上する夫から目を逸らし、誰に聞かせるでもない呟きを落とした。
そして、夫の反応を確認する間もなく浴室に向かって走り出す。
再び玄関へ戻った私の背後から、キャリーバッグが顔を覗かせる。
「亜紀っ! そんな荷物持ってどこへ行くつもりだっ!」
「私は楓ちゃんを追いかける。さっきのあの子の言葉聞いたでしょ? 何かを企んでるに違いない……」
「それとその荷物とは関係ないだろっ!」
凄みを利かせて私の正面に立ちはだかる夫。
「……しばらく家を出る」
「駄目だ。行かせない!」
「あなたに私を止める権利はない。どいてっ!」
キャリーバッグを奪おうとする彼の手を引き剥がそうとするが、当然のごとく私の力ではびくともしない。
引くのを止め、引っ張られている方向へグイッとバッグを押し出した。その拍子に、夫の身体が一瞬よろめいた。
パチ――ンッ!!
不意を突いて平手打ちした夫の頬が、高い音を立てた。
予期せぬ私の過激な行動。
夫は怒りを覚える余裕もなく、何が起こったのか理解できないといった様子で頬に手を当て、目を白黒させている。
「私達の痛みは、こんなものじゃない。お願い。離して……」
私が放ったのは、夫の心に語りかける静かな声。
それと同時に、口調とは相反する、夫の胸を一撃で突き刺すような鋭い視線を浴びせた。
「……」
彼は何か言いたげな口を引き結び、躊躇しながらも諦めたように手の力を緩めた。
「……ありがとう」
私はその言葉だけを置いて、背中に視線を感じながら、5年間夫と過ごした家を飛び出した。
楓ちゃんっ! どこに行ったの?
おそらく向かったであろう、最寄りの駅の方角へ足を向けて走る。
私の身体に寄り添うキャリーバッグのタイヤが、レンガ調に舗装された歩道を転がり、ゴロゴロと忙しい音を立てている。
グレンチェックのコートを羽織った小さな背中を見つけ出そうと辺りを見回し、スーツ姿の人々を次々と追い抜いていく。
もう、電車に乗ったのかな……
地下鉄の出入り口に差し掛かり、下へ伸びる長い階段を見つめて立ち止まった。
バクバクと速い拍動を繰り返す心臓。
息切れを止めようと大きく息を吸い込んだ拍子に、冷たい空気が喉に流れ込み、咳き込んだ。
確か、楓ちゃんの家は中村区の……
口元に手を当てて、短い息を切る。
呼吸を整え、階段を下りようとバッグを持ち上げた直後、思いとどまって、一歩下ろした足をゆっくりと引き戻した。
……いま彼女を追いかけて、私は一体どうするつもりなの?
「……」
白い息を吐く唇を噤んで、俯くように足元へ視線を落とす。
扉の隙間から小さな背中が消えていくのを見た瞬間、私は彼女を追いかけなきゃいけないと思った。
企んでいる何かを突き止め、それを阻止するためだけにじゃない。
何故だかは自分でも分からない……
ただ、このまま放ってはおけないと思った。
……夫と別れる決意をした私。
だけどそれは、同時に彼女に夫を渡す決意をしたことを意味する。
彼女は私を裏切り続け、欺き、これ以上ないほどの屈辱を与えた悪女。
その女に、自ら夫を差し出すと思うと腸が煮えくり返るほど悔しい。
……それは夫に対する愛情ではなく、女のプライド。
だからといって、プライドだけでこれ以上の結婚生活を続けるのは無理だ。
私の中にはもう、夫への愛情はないのだと気づいてしまったから……。
だからこそ、憎しみだけを彼女にぶつけることが私にはできない。
さらには、彼女のお腹の中には子供がいる。
どんなに歪んだ愛情の中で宿された命でも、尊い命に変わりはない。
私がどんなに望んでも、手に入れられなかった尊い命が彼女の中にある……
失う悲しみまでも知った私は、羨んだとしても恨むことなどできるはずがない。
――あの雨の夜、
持っている傘もささず、ずぶ濡れになって私の前に現れた彼女。
お酒に酔った彼女は私に「最初から私は愛されていない」……そう言った。
――彼女はずっと分かっていた。
夫にとって自分は、欲望を満たすためだけの遊び相手だと。
いつか切り捨てられるのは、私ではなく自分だと。
淋しさを紛らわせるためにお酒に頼り、唯一、愛する人の存在を感じられるオペ室に身を潜ませる夜。
楓ちゃん……
あなたは、今までどれだけの苦しい夜を一人で過ごしてきたの?
愛されてはいないと知りながら、その人の子供を身籠った今、あなたは本当に幸せなの?
あなたが私に浴びせた非情な言葉は……
きっと、あなたの防衛線。
彼から浴びせられた冷酷な言葉を、あなたは初めから予想していたんでしょ?
悲しみに満ちたあの涙が……
彼女の真実。
愛している人に愛されたい。
愛している人の傍にいたい。
愛している人を、自分だけのものにしたい……。
愛情の独占……それを求めるのが人間の本質。
この世に生を受けた者の本能。
何も捨てず、何も奪わず、想いだけで繋がっている私と今泉さんの関係。
……湖の水面のような静かな愛。
私と楓――
人間として本当に歪んでいるのは、どっち?
灰色の雲に隠されては時折姿を見せる、頼りない月を見上げて、深いため息を落とした。
コメント
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第127話、読み終わりました。亜紀さんがようやく「愛する人のそばで不幸でいるのはもうたくさんだ」と決断する瞬間、胸が熱くなりました。楓さんを「憎しみだけでは見られない」という複雑な感情の描写が本当に繊細で……。お互いに傷を負いながらも「女としての本能」に正直になろうとする二人の対比に、次が気になって仕方ないです。続き、楽しみにしています!