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翌朝。
私と龍也は目が覚めてもベッドから出ずにいた。
昨夜、ソファでのセックスの後で、それぞれもう一度シャワーを浴びて、ベッドに入ったのは日付が変わってからだった。
龍也の匂いのするベッドは、いつになく私を深い眠りへと誘い、離れがたかった。
私は両手で枕を抱いて、うつ伏せになっていた。龍也は私の方を向いて、肘を立てて頬杖をついていた。
「なあ、あきら」
「んー?」
「俺、営業二課なんだけどさ」
「うん?」
知っている。
主任になった時に、名刺を貰ったから。
「一課に堀藤さんて四十近い女の人がいてさ」
「うん」
龍也が何を言いたいのか、わからない。
「バツイチで子供が二人、いるんだって」
「うん」
「最近まで、一課の課長と、元二課の課長がその人を取り合っててさ」
「へぇ」
元二課の課長というのは、きっと龍也を可愛がって主任にしてくれた課長の事だろう。
厳しいけれど、仕事のデキる人だと聞いたことがある。
部下の不始末の責任を取って、転勤になったことも。
「課長って二人とも堀藤さんより年下なんだけどさ」
「うん」
「二人とも一度も結婚してないしさ」
「うん」
「堀藤さんは真面目で気の利くいい人なんだけどさ」
「うん」
「課長は二人ともモテそうだし、言葉は悪いけど、どうしてわざわざ子持ちの年上なのか、わかんなくってさ」と言いながら、龍也が私の髪に触れた。
「けど、理屈じゃないんだよな」
くすぐるように、襟足をいじる。
「この人がいい、って思ったら、そうなんだよな」
龍也の手がゆっくりと移動してきて、私の耳朶を摘まむ。
「年上だとか、子持ちだとか、関係ないんだよな」
まるで、私に言い聞かせるように、穏やかな声。
「本気で好きになったら、そんなことは問題じゃないんだよ」
猫になった気分だ。
耳朶を触られて、私は目を閉じた。
龍也の手は、少しひんやりしていて気持ちいい。
「子供が産めるかどうかなんて、問題じゃないんだよ」
指先を耳朶に残し、龍也の掌が頬を包む。
「本気で好きだから、そんなことは問題じゃないんだよ」
私は静かに、深く息を吸い込んだ。
そうしないと、泣いてしまいそうで。
けれど、私はそんなに弱くない。
ゆっくりと目を開け、じっと龍也を見た。
「気持ちが変わることも、あるでしょ」
今は良くても、いつか後悔するかもしれない。
やっぱり、子供の産める女にしとけば良かった――って。
龍也は少し寂しそうに微笑んで、その顔はゆっくりと近づいてきて、互いの唇で繋がった。
「変わらない気持ちも、ある」
それを信じられたら、どんなに楽か。
私はキスを返し、枕を手放して行き場をなくした両腕で、龍也の肩を抱いた。
二時間後。
二人の豪快なお腹の音で、ようやくベッドから出た。
「寝すぎて頭重いな」
龍也が言った。
目が覚めてから三時間余り、私たちは話をしたり、うとうとしたりしていた。時々キスをしてみても、セックスはしなかった。
遅い朝ご飯を食べた後、私は手持ち無沙汰でソファに座っていた。
いつものことだけれど、龍也は私をとことん甘やかす。食事の支度に片付け、掃除をしてくれて、私は仕事をしているかテレビを見ているか。
今日も、押しかけたのは私なのだから、せめて後片付けくらいはしようと思ったのに、させてもらえなかった。
洗濯でもするかな……。
私は食器を洗う龍也に気づかれないように、ひっそりと寝室に行き、シーツを剥いだ。
私の部屋に泊まった時、龍也は必ずシーツを洗濯して帰る。
「何やってんだよ!」
急に背後で大きな声を出されて、ビックリした。
振り向くと、龍也が眉間に皺を寄せて立っていた。
「洗濯しようかと思って」
「いいよ、しなくて」
珍しく龍也がムキになって、私からシーツを奪った。
「なに? どうしたの?」
「別に。あきらはこんなことしなくていいんだよ」
「何でよ」
「何でも! ほら、着替えてどっか行こうぜ」
龍也は丸まったままのシーツをベッドの上に置き、私の手を引いて寝室を出た。
「お前、今日は暇だろ? 天気いいし、たまには出かけようぜ」
セフレになってから、龍也とは家でしか会っていない。そういうルールだと、龍也だってわかっているから。
だから、出かけようなんて言われて、驚いた。
「え、なん――」
ポーン、と高めの機械音が聞こえた。
私の、メッセージ受信音。
私はソファに置いていたスマホを手に取った。
え――――。
ポップアップを見て、身体が凍った。
「あきら?」
恐る恐るポップアップをタップすると、パスコードを求められた。入力する。ロックが解除され、メッセージのアプリが開いた。
『会いたい』
たった一言に、ドクンと心臓が大きく跳ねて、止まった。一瞬だけ。
なんで……。
「あきら? どうした?」
無意識に、本当に無意識に、スマホを伏せた。隠すにしたって、あからさま過ぎる。
龍也が、ビックリした顔をしている。
「あ、ごめ――」
「どうした?」
「なんでもな――」
「――んなわけねーだろ」
「え?」
龍也の大きな手が、私の頬に触れた。
「なんでもなくて、こんな泣きそうな顔になるかよ」
泣きそう……?
動揺しただけだ。
勇太と別れて何年経ったと思ってる。
勇太と別れた後も恋人はいたし、龍也とセックスもしている。
勇太に傷つけられた傷なんて、綺麗に消えた。私のお腹に残る傷は、勇太には関係ない。
「あきら」
私は龍也の手を払い除けた。
代わりに、龍也が私の手からスマホを奪った。
「勇太……って――」
昨夜と同じ、怖い顔。
「なんなんだよ、今更!」と、龍也がスマホに向かって怒鳴った。
「行かせないからな!」
顔を上げて、私に言った。
「絶対、行かせないからな!!」
龍也の熱に相反して、私は急速に冷静さを取り戻した。
いつも、そう。
龍也が怒ってくれるから、私は壊れずにいられる。
「龍也」
泣きそうなのは、龍也の方。
どうしてこの人は――。
はぁ、と息を吐いて、龍也が私の肩を抱き寄せた。勢い余って、私はドンッと彼の胸にぶつかった。
「『友達』にも止める権利はあるだろ」
龍也の両腕が、しっかりと私の腰を抱いた。痛いくらいの力で。
「千尋や大和さんたちだって、あきらがあいつにされたことを知ったら、同じことをするはずだ」
龍也の鼓動の速さに、驚いた。
「……会わないわよ」
鼓動が、速度を落とす。
「どうして、私が会うと思うのよ」
更に速度を落とし、じっくり耳を傾けなければ聞こえないほど静かになった。
「新しいパソコン、見に行きたいんだけど」
ギュッと抱き締められ、手放された。
「車出すよ。着替えに寄るだろ?」
ルールが、壊れかけている。
龍也がそれを望んでいることは、わかっている。
けれど、きっと、私はルールを捨てきれない。
龍也のことが、好きだから――。
*****
四年前。
私は子宮を摘出した。
理由は、子宮内膜症でありながら、子宮外妊娠したこと。
私は、自分が子宮内膜症だと知らなかった。
大学を卒業した頃から、生理不順で、生理痛も酷かった。けれど、市販の鎮痛剤で耐えていた。
健康診断で『要経過観察』とか『要再検査』と言われたことがあったけれど、忙しさで忘れていた。
仕事にも慣れて、勇太とも結婚の話をするようになった頃、私は激しい腹痛で病院に駆け込んだ。
何やら手術の説明を受けた記憶は、ある。なんとなく、だけれど。
近しい家族の名前を聞かれて、母親の名前と自宅の電話番号を告げた記憶も、ある。夢でなければ。
そして、目が覚めた時、全てが終わっていた――。
十七日後に退院し、母親の反対に耳を貸さずに自分のマンションに帰った。
入院中、仕事を理由に勇太を避けた。
子供のことを知れば、勇太は悲しむ。
どうせ産んであげられなかった子。
勇太には知らせなかった。
退院して三日後、突然龍也が訪ねて来た。
入院中の私を見かけ、心配してくれていたと言って。
入院の理由なんかは聞かれなかったし、話さなかった。OLCのみんなには言わないで欲しいとも頼んだ。
その日から、龍也は私の家に来ては家事をするようになった。
退院して二週間後。
職場復帰を決めた私は、勇太に会いに行った。
久し振りに会った勇太は、どこかよそよそしかったけれど、私は全てを話した。子供のこと以外。
勇太は、何も言わずに抱き締めてくれた。
それが、彼の優しさだと思った。思いたかった。思い込もうとした。
けれど――。