そしていよいよ拓が北海道へ旅立つ日がやって来た。
出張期間は二ヶ月。
その間は、岩見沢市のビジネスホテルに泊まる予定だ。
拓は大型のキャリーケースを手にすると、颯爽と羽田空港へ向かった。
あの号泣の日以降、何度も出張や旅行で空港を利用していた。
しかし、今日ほどあの日の事を鮮明に思い出す日はなかった。
(俺はあの時一度死んだんだ)
拓がこの話を友人にすると、そのほとんどが『青春時代の切ない1ページだろう』と言って笑う。
しかし拓にとっては本当に一度死んだ日なのだ。
あの日を境に、拓は見境なく女遊びを始めた。
大学時代は誘われた合コンには全て参加した。
そして向こうから寄って来る女は全て抱いた。それは決して本気ではない。
どの女に対しても、常に優柔不断な態度で接した。
時にそれがトラブルを招き、女同士のいさかいにも発展し巻き込まれた。
そんな拓を見るに見かねた涼平が声をかけてくれた。
『うちの事務所に来ないか』と。
拓は涼平に救われた。
実は涼平は若い頃、婚約者を事故で失っていた。
だから一時期拓と同じような気持ちになったので、拓の気持ちが手に取るようにわかり放っておけなかったのだろう。
そこで拓は涼平が働く事務所へと就職した。
拓はそこで働くうちに、少しずつ自分を取り戻していった。
そして建築士の仕事に集中し始める。
真面目に仕事に打ち込むうちに、仕事が面白くなってきた。
一つでもより良い建物を生み出したい…今はそんな風に思っている。
そんな矢先、真子の居場所がわかったのだ。
(これは俺にとっての最後のチャンスかもしれない)
逸る気持ちを押さえ、拓は飛行機へ搭乗する。
そして拓が乗った飛行機は、真子が待つ運命の地・北海道へ向かって離陸した。
翌日拓は、市役所へ挨拶に行った。
今度この町に建設される体験型ミュージアムは、市からの依頼だった。
ミュージアムは、市内で活躍する若い職人達の仕事ぶりを紹介しつつ体験講座を受講出来る場になる予定だ。
それ以外にも、若手職人たちが作った商品を販売する店舗スペースも設置予定だ。
今のところミュージアムに入る予定のものは、陶芸、彫金、ガラス工芸、染織などの工芸品。
そして無農薬野菜の農家、パン工房、ジャム工房、菓子工房、ワイン農家などの食べ物に関するブースも入る。
最近市内にはUターンやIターンの若者が増えており、ミュージアムへの参加希望者はかなりの数が予想される。
だから一度に入りきらない場合は、月単位の予約制になるかもしれない。
拓と共にこのミュージアムを担当するのは、この前清水が見せてくれた写真の三名だった。
三名は市役所の企画部まちづくり課の職員で、細田、田中という男性二名と、小澤有希という女性だった。
「初めまして、加納建築設計事務所の長谷川と申します。よろしくお願いいたします」
拓と三人は名刺交換をした後、会議室の椅子に座ってミーティングを始めた。
「長谷川さんは東京の方ですか?」
田中が聞いた。
「あ、いえ、私は神奈川です」
「ほー神奈川ですか。私の親戚が横浜にいましてねぇ」
と細田が嬉しそうに言うと、拓は答えた。
「私はその隣の藤沢市なんです」
「って事は湘南ですか?」
紅一点の小澤有希が聞く。
「そうです」
「もしかして長谷川さんはサーファーですか? 日焼けしていらっしゃるから」
有希が続けて質問すると、
「はい。でも最近は忙しくて海には行っていませんが」
拓は白い歯を見せて爽やかに笑った。
その笑顔に有希は思わず見とれる。
ガッチリ体型の爽やかイケメンの拓は、まさに有希の理想のタイプだ。
その後四人は、今後の日程についての詳細な打ち合わせを始める。
初日のミーティングは約二時間ほどで終わった。
お昼は市役所の食堂でご馳走になった。
食堂では有希が拓の相手をしてくれる。
拓は日替わり定食を、そして有希はカレーライスをトレーに載せ向かい合って席へ着いた。
「長谷川さんは北海道は初めてですか?」
「はい」
「じゃあ折角だから観光をしないとですねー。良かったらお休みの日に色々とご案内しますよ」
有希は親切に言ってくれる。
「ありがとうございます。でもこの町には知人がおりますので…」
拓はやんわりと断る。
今言った事はあながち嘘ではないだろう。
真子を見つけ出し、もし真子がまだ独身で恋人もいなかったら拓はこの二ヶ月間を真子の為に使いたいと思っていた。
だから有希と関わっている時間はないのだ。
それに仕事関係の女性と親しくするなどもってのほかだ。
とにかく今は真子へ集中したかった。
そして真子に変な誤解を与える行為も極力避けたかった。
とにかくこれがラストチャンスかもしれないのだ。
拓はこの最後のチャンスを絶対に失いたくなかった。
一方、女性からの誘いをあっさりと断り全く隙のない拓に対し、有希は久々に闘争本能が漲って。
有希はこの役所内では三本の指に入るほどの美人として有名だ。
だから正直モテている。
有希は東京の大学を出ているので垢ぬけているしスタイルもいい。
何よりも都会の男には慣れているので男女の駆け引きは得意中の得意だ。
それなのに、今あっさりと断られ有希のプライドが傷ついていた。
(この人やっぱりモテるのね。だから断り方も上手いんだわ)
そう思いながら有希は再び笑顔で質問する。
「長谷川さんは結婚しているんですか?」
有希は拓が右手にはめているシルバーリングをチラリと見て言った。
「いえ、していません」
拓は豚の生姜焼き食べながら答える。
その時、拓は有希が自分の指輪を見ている事に気付いた。
しかし拓はあえて気付かないふりをする。
有希とはあくまでも仕事上だけの付き合いだし、今日初めて会ったばかりの相手だ。
有希は指輪についての説明があるかと期待をしていたが、拓が話すそぶりがないのでがっかりする。
そこで話題を変えた。
「ところで長谷川さんは、おいくつですか?」
「26です」
「あ、私と一つ違い!」
「小澤さんは25ですか」
「はい」
有希は嬉しそうに答える。
しかし拓は特に気にする様子もなく味噌汁を飲み干した。
それからは当たり障りのない仕事に関する会話に徹し、二人は昼食を終えた。
思った成果が得られなかった有希は少し不機嫌だった。
しかし久しぶりに出会った自分好みのハイスペックな男を諦めるつもりはない。
有希は、またタイミングを見計らってアプローチしようと思っていた。
コメント
2件
拓君は辛ければ北海道で病院を探すこともできたはずだから残念。 今はリベンジで仕事絡みでちょっかい出してくる有希に構ってる暇はないからね💢拓君‼️
一度死んでしまったと言うくらい身を引き裂かれたような拓君。それだけ辛い想いをした原因が君と君の取り巻きにあると分かりながら、女にうつつを抜かして手当たり次第に抱くなんてそれは現実逃避であって真子ちゃんからの逃げでしか無い。 真子ちゃんはあの時充分に傷ついてでも自分の病気からは逃げずに克服するために北海道に行ったんだよ。