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体育の授業終わり。蒸した空気に湿ったシャツがまとわりつく。担任が、白線の外から声を張った。
「体育祭の選抜リレー、推薦したい生徒、いるか?」
どこかの班の笑い声が遠くから混ざる。
砂まみれのまま、遥は無意識に背を丸めた。
自分には関係のない話だと、そう決めていた。
だがその沈黙を切るように、誰かが言った。
「遥、速かったじゃん」
何気なく発せられたそれは、悪意とも善意ともつかない。
空気が、一瞬止まる。
遥は顔を上げない。目の前のスパイクのつま先を見つめたまま、内側がざわつくのを押し殺した。
「……そうだな、候補には入れていいかもしれんな」
担任の言葉が、さらに状況を決定づける。
やめてくれ。
胸の奥で声がした。
どうしてそんな風に、触れてくるんだ。
まるで自分が、「普通の生徒」であるかのように。
推薦された――ただそれだけのことなのに、教室に戻った後、誰も何も言わなかった。
それが、余計に痛かった。
話題にせず、誰も目を合わさず、誰も笑わない。
昼休み、机に突っ伏したまま、遥はひとりで消えたくなった。
「いいじゃん、推薦されるなんて」
誰かが近くでぼそりと呟いた。
皮肉とも本気ともとれる微妙な声。
遥は動かない。まぶたの裏に、砂が残っていた。
その砂は、褒め言葉のような形をして、心に刺さっていた。
選ばれたという事実が、むしろ「標的になれる立場」に足をかけた気がした。
自分の居場所を、ほんの一ミリだけ、他人に知られた感覚。
何もしていないのに、何かを奪ったようで。
何も望んでいないのに、何かを狙っていると誤解されそうで。
遥は静かに、推薦された自分を――内心で、強く否定していた。