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スクリーンは白いまま、音を出さない。白は、映像の不在というより、光の在庫だ。
余り続ける光が、いちばん静かだ。
シャッター通りの裏手、アーケードの切れ目を抜けると、古い映画館がひとつだけ残っていた。
正面のガラスはほとんど割れ、ポスターの色は抜け、役者の顔は輪郭だけが辛うじて残っている。
チケット売り場のガラスには、昼と夜が交互に積もり、手の脂で曇った楕円形が乾いては残った。
扉は閉ざされていたが、鍵は掛かっていなかった。
蝶番が泣く声は低く、埃は自分の重さだけで舞い上がった。
前室の床は、色を失った赤い絨毯。
吸音の利いた空間では、靴音が自分のものに聞こえない。
他人の足取りに寄生したような音になる。
ホールは、思ったより広かった。
座席は濃い青で、布地は裂け、肘掛けの黒い樹脂は褪せて灰色の粉をふいている。
中央通路だけ、埃が薄い。
誰かが歩いたわけではない。
風が通るのは、通るべき場所をよく知っている。
天井の照明の半分は抜かれ、残った反射板が薄く光を返している。
スクリーンは白く、破れていない。
白の奥に、別の白がある気がした。
二枚の白の間に、冷たい空気の層が薄く挟まっている。
そこへ手を入れれば、指先だけ、違う映画に触れられそうだった。
私は最後列に座り、座面のバネが鳴るのを確かめた。
鳴ったという事実は、私の重さを証明しない。
鳴らなかったという事実のほうが、証明に向く。
ここで重いのは、音のほうだ。
壁面の吸音パネルに近づくと、布の繊維が一方向に寝ていた。
光の角度を変えると、寝返りを打つように色が変わる。
眠った布は、よく記憶する。
目覚めた布は、黙って忘れる。
ホワイエに戻ると、階段が映写室へ続いていた。
踏み段には独特の浅いくぼみ。
多くの足が、同じ場所を踏み、同じ角度で擦っていった跡。
繰り返しは礼儀だ。
礼儀は、空間の硬度を上げる。
映写室の扉は、金属の小窓がついた重いタイプだった。
中は、外より乾いていた。
機械のいる部屋は、湿り気を嫌う。
ハンドルの冷たさは、機械の熱が失われた跡の温度だ。
映写機が二台並び、ひとつは機関部を外されていた。
残ったほうも、電源は落ちている。
リールは空で、ガイドローラーにひっかけたままの透明なリーダーフィルムが、機械の肋骨みたいにたるんでいた。
透明のはずのそれに、わずかな色がついている。
経年の黄ばみは、光の履歴だ。
壁には薄い長方形の染みがいくつも並んでいる。
そこにポスターがあったのだろう。
紙が剥がされ、壁紙が均されても、光に照らされ続けた場所は、わずかに違う色を保つ。
光は、触られなくても、触れる。
触れられ続けた場所だけが、過去に似る。
私はレンズを覗いた。
光学ガラスは清潔で、しかし内部のエレメントには微細な埃が付着している。
埃は、世界でいちばん小さい影だ。
小さい影が積もると、画が柔らかくなる。
柔らかい画は、記憶に残りやすい。
意地悪なことだ。
天井の排気口は沈黙し、スイッチ盤は埃の膜で固まっている。
指で埃を割ると、下から出てくるのは黒ではなく、鈍い灰色だった。
灰色は、選択を拒む色だ。
拒むことで、残る。
私は小窓からホールを見下ろした。
白いスクリーン。
並ぶ座席。
中央通路に薄い筋。
ひとつ息を吸うと、窓の曇りに、楕円が一瞬だけ浮き、すぐ消えた。
曇りは、ここでは嘘つきだ。
見えたものしか、そこにない。
映写機の台座の下から、黒い缶がひとつ出てきた。
金属の円筒。
蓋には油性ペンで薄くタイトルが書いてあるが、最初の二文字しか読めない。
残りは擦れている。
擦れは、触れた回数だ。
たぶん多い。
多いのに、読めない。
缶は空だった。
軽い缶は、音を持つ。
縁で指を弾き、響きを聞く。
低い。
乾いて、長い。
音の減衰に、部屋の大きさが出る。
この部屋は、孤独を扱うのに、適切な容積だ。
私は電源を入れなかった。
入れないまま、スプロケットの歯を指で回した。
カチ、カチ、カチ。
歯は正確に並び、規則は規則のまま残っている。
規則は、物語から最初に剥がれる。
剥がれたあと、物語は軽くなる。
軽くなった物語は、長く漂う。
小窓の前に立つと、下の白がわずかに濃くなる気がした。
気のせいだ、と決める手つきは、慎重で、優しい。
決めてしまうことが、ここでは秩序だ。
秩序は、観客に似合う。
私は灯りを消し、映写室を暗くした。
暗くしたからといって、光が生まれるわけではない。
白は白のまま、ひたすら在庫を抱えている。
在庫は、腐らない。
腐らないものは、香りが後からやってくる。
どこからか、音がした。
映写機ではない。
ホールの椅子のバネが、誰も座っていないのに、ひとつだけ沈んで、戻る音。
戻る、という動作は、対象が変化したことを認める。
認める音は、薄い。
薄い音だけが、背中を撫でる。
私は階段を降り、ホールに戻った。
中央より少し後ろ、通路側の席に座る。
スクリーンは白い。
白は、私が何かを始める前から、もう終わっている。
終わっているものに、何度も、開幕の合図を与える。
与えられた合図は、どこにも届かない。
視界の端に、色が滲んだ。
赤。
正確には、埃の赤に似た層が、白の上に薄く浮いた。
浮いた色は、形に向かわない。
形に向かわない色は、長くいる。
長くいると、名前が欲しくなる。
私は、名前を与えなかった。
音はない。
ないのに、耳は忙しい。
音は記憶から借りてくる。
借りた音は、返すときに増える。
増えた音は、次に借りる宛先を自分で選ぶ。
自立した音ほど、よく迷う。
白の上に、別の白が重なる。
砂粒のような点の集合。
画素ではない。
粒子でもない。
白の中の、別の密度だ。
密度が変わると、すぐに直線が生まれる。
直線は、通路になる。
通路には、歩く人影が必要だ。
必要なものは、たいてい、先に来る。
そこに、私がいた。
スクリーンの中の私が、かつての廃屋の前に立っている。
赤い空気。
埃の舞い。
窓の向こうに、さえの影。
私は、私を見ている。
見られているほうの私は、こちらを見ない。
見ないことで、救われる関係がある。
画は切り替わる。
温室の白い熱。
焼けて波打つガラス。
棚の骨。
そこにいた誰か。
いなくなった誰か。
音はやはり、ない。
音のない編集は、妄想よりも正確だ。
正確さは、恐れの形を整える。
水底の緑。
赤い糸。
放水路の縁。
靴は濡れていない。
濡れていないという事実のほうが、重い。
重いものが、軽く扱われるとき、人は黙る。
黙った声だけが、よく響く。
硝子の廊下。
ガラスに映らない影。
扉の中に消える歩幅。
埃の上の足跡。
二十三センチ弱。
幅八センチ。
深さ四ミリ。
私は暗がりで、同じ数字を口の中で転がし、飲み込む。
飲み込みやすい数字だけが、信じられる。
高所の風。
撓むガラス。
落ちない音。
届かない視線。
届かないという概念が、ここでは甘い。
甘さは、延長を許す。
延長の先で、物語は薄まる。
薄まったまま、終わらない。
スクリーンの白は、やがて白に戻る。
戻った白は、最初の白とは違う。
違うものを、同じ名前で呼ぶ作業は、ここでは礼拝に似る。
礼拝の終わりに鳴るべき音が、鳴らない。
鳴らないことが、祝福の形をしている。
私は映写室を見上げた。
小窓は暗く、誰もいない。
それなのに、ここでは上映が行われたのだ、と身体が言う。
身体は、理由を知らないまま、納得することがある。
納得は、真実の代替品として出来が良すぎる。
私は席を立ち、通路を歩き、スクリーンの前のスペースまで行った。
白い布地の目が見える距離。
縫い目が、光を細く刻んでいる。
刻まれた光は、読み取れる文字に似ない。
読むためのものではない光は、在るだけで充分だ。
布に手を伸ばさなかった。
触れる行為は、よく儀式になる。
儀式は、何も変えない。
変わらないことを確認するために、わざわざ行う。
確認された不変は、やがて退屈になり、改変の約束に変わる。
約束は、裏切るためにある。
私は背を向け、ホールを出た。
ホワイエには売店の名残。
ガラスケースの中に、小さな賞味期限切れの糖衣の缶が、見本のまま置き忘れられている。
甘い匂いはしない。
匂いのない甘さは、記憶に向かない。
向かないものを、たぶん私は選んできた。
階段を上って、もう一度映写室。
スイッチは落ちたまま。
リールは空。
レンズは正直。
壁の染みは、変わらず。
ただ一つだけ、さっきと違って見えるものがある。
床に、細い透明の片。
フィルムの切れ端。
光にかざすと、黒でも白でもない、薄い影が一本通っている。
影は、穴の連なりではない。
穴と穴の間の、何も写っていない部分だ。
何も写っていないところほど、よく見える。
私は片をポケットに入れ、そして、やめた。
ここに置いていく。
置いていったものだけが、次の上映に間に合う。
外へ出ると、アーケードの天井が、黄ばみかけた透明で空を薄く遮っていた。
透けるものほど、嘘をつかない。
嘘をつかない透明に、私は少しだけ安心した。
安心は、観客に似合う。
私は観客ではないのに、ひどく観客だった。
振り返ると、映画館の看板の文字が、別の言葉に見えた。
見える、という現象は、認知の速度の問題だ。
速度が落ちると、世界は別のレイヤに並び直す。
並び直した世界に対して、私は常に一歩遅れている。
遅れることも、礼儀だ。
帰り道、薄暗くなった商店のガラスに、私の姿が並んだ。
繰り返しの鏡像。
二重、三重。
どれかひとつが、ほんとうに私かもしれない。
全部が私で、全部が違うかもしれない。
そういうことを考えると、心拍が落ち着く。
落ち着いた心拍は、記録に向く。
記録に向いた私は、書く。
私はここで筆を置く。
この独白に現れる名も場所も、現実には存在しない。
ただ、白いスクリーンが光の在庫を抱えたまま黙り、映写機が音だけを残して沈黙し、誰も座っていない座席がひとつだけ沈んで戻り、私自身の断片が映画みたいに映って、すぐに消えたということだけが、薄く、長く、残っている。
……上映されなかった映画ほど、あとを引く。あんたも、きっと。