テラーノベル
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遙香は離れに入るなり、「先に謝っとく」と言った。役場勤めらしい段取りの良さなのに、その声には珍しく迷いが混じっている。
「何を」
美恵が聞く。
「取り壊しの時期、早まるかもしれない」
遙香は封筒から紙を出した。
「正式決定じゃない。でも、審査に出す書類の締切が前より詰まった」
畳の上に置かれた日付を見て、皆の顔が同時に固くなる。準備期間が、想像より短い。
「なんで今さら」
蓮都が言う。
「安全面。あと、春のうちに沈船も動くから、周辺の整理を一気にやりたいって」
「まとめて片づけたいだけじゃん」
莉々夏がむっとする。
遙香は否定しなかった。ただ、苦い顔で言う。
「そう見えるのは分かる。でも、向こうにも理屈はあるの」
「理屈で消える側は、たまったもんじゃない」
享佑が低く言った。
その空気を裂くように、遼征が戸口から入ってきた。肩に潮のついた上着を引っかけている。
「悪い。こっちも似た話だ」
「まさか」
啓介が振り向く。
遼征は短く息をついた。
「曳航日、前倒しになる」
部屋の中から、誰かが小さく息をのむ音がした。
沈船が早く動けば、調べられる時間も減る。木箱のこと、札のこと、まだ残っているかもしれない痕跡も、全部こちらの都合を待ってくれない。
「待ってる人の話を追ってるのに」
芽生が紙を見たままつぶやく。
「こっちには待つ時間が減るんですね」
啓介は言葉が出なかった。誰かを待つ話と、何かに急かされる現実が、同じ場所に重なる。
遼征が机へ図面を広げる。
「完全に終わりじゃない。まだ少し見られる時間はある。潮と安全の条件が合えば」
「少し、ってどれくらい」
啓介が聞く。
「朝いちの、ほんの短い時間だ」
枝央理がすぐ口を挟む。
「危ないことは前提にしないで。条件が揃わなきゃ無し」
「分かってる」
遼征はうなずく。
遙香は皆の顔を見回し、小さく言った。
「ごめん。でも、今伝えないほうがもっと悪いと思って」
その正しさが、今日はつらかった。
啓介は、ふやけた「み」の札を見た。誰かを待つ子どもの話を追っている最中に、こちらは何もかも前倒しで押されていく。
待つ人と、待たせた人。
そのあいだにある時間の重さを、啓介は初めて具体的に想像した。
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