テラーノベル
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前倒し、という言葉は短いくせに、町の空気を一気にせわしなくした。
翌朝から、離れでは役割の確認が何度も繰り返された。聞き込みの範囲、札の清書、写真の整理、提出書類の下書き。美恵は日付を赤で囲み、享佑は締切を口にするたびに全員の顔を見た。
「焦って雑になるのが一番まずい」
享佑が言う。
「分かってるけど、焦るだろ普通」
義海が頭を抱える。
「分かった上で整えるのが仕事」
その言葉に啓介は少し救われた。焦っているのは自分だけじゃない。
ただ、遼征の持ち込んだ話はもっと具体的だった。曳航前に沈船へ近づけるのは、一度だけかもしれない。潮が引く早朝、風が弱い日、足場が確保できる時。その条件が揃う日を狙うしかない。
「明後日の朝が、一番まし」
遼征が地図を指す。
「四時前なら、浅瀬の残骸に近づける」
「四時?」
莉々夏が目を丸くする。
「その時間、顔が人間じゃない」
「お前は昼でもたまにそう」
蓮都が返す。
少しだけ笑いが起きたが、すぐ現実が戻る。
啓介は図面の上に目を落とした。
「もし、何も見つからなかったら」
「その時は、その時」
遼征は即答した。
「でも見ないで終わるよりは、納得できる」
芽生が図面の余白にメモを書く。
「行く人は絞りましょう。多いと危ないし、動きも鈍る」
「俺は行く」
啓介が言う。
「分かってる」
芽生は顔を上げずに返した。
「だから、無理する前提で動かないでください」
啓介は反論しかけて、やめた。昨夜のことがまだ効いている。
話し合いが終わったあと、蓮都が戸口で立ち止まった。
「潮が一番引くの、夜明け前なんだよ」
「だから明後日」
「いや、そうじゃなくて」
蓮都は振り向き、少しだけ得意そうな顔になる。
「浜の一番端、あそこなら、残骸の外側に流れ着いたもん拾えるかもしれない。船の中じゃなくても、札の切れ端くらいなら」
遼征が目を細めた。
「確率はある」
「じゃあ、行く?」
義海が言う。
「行く」
啓介が即答する。
芽生は一拍遅れてうなずいた。
「朝四時。遅れた人は置いていきます」
その口調が妙にきっぱりしていて、啓介は少しだけ笑った。
前倒しになったからこそ、こちらも前へ出るしかない。
追い詰められているのに、ほんの少しだけ道が見えた気がした。
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#海辺の町