「じゃあ、先生さようならー」
「七瀬先生、また来週!」
「今日はありがとうございました~」
「さようなら~、またね~」
四人の生徒が工房を後にすると、一気に静かになる。
美宇が片付けをしていると、朔也が言った。
「賑やかで疲れちゃっただろう?」
「いえ、皆さん良い方ばかりなので、すごく楽しかったです」
「それなら安心したよ。続けられそう?」
「もちろんです!」
美宇は大きく頷いた。
「それはよかった。じゃあ、今日はそろそろ店仕舞いして、歓迎会に行こうか」
「え? まだ四時ですけど……」
美宇は、勤務時間が午前九時から午後五時までと聞いていたため驚いた。
ちなみに、休みは火曜・日曜と決まっている。
「今日は初日だから特別ね。それに、あの店、七時で閉まっちゃうんだよ」
「そうでしたか。あ、そういえば、今朝、綾さんという方に、お店の前で会いました」
「ああ、綾ちゃんか……ちなみに、あの店の店主は曽根蓮君っていって、僕の大学の一年後輩なんだ。奥さんの綾ちゃんも同じ芸大卒で、たしか蓮より四つ下だったかな? 今は小さな子供が二人いるから、店は七時で閉めちゃうんだ」
「そうだったんですね……お二人は今も美術を?」
「うん。蓮はデザイナー、綾ちゃんはイラストレーターとして活躍してるよ」
「わぁ、すごい……子育てもお店もあるのに……」
「二人とも絵を描くことが好きだからね。でも、東京にいた頃はかなり忙しかったみたいで、それで田舎に移住しようと思ったみたいなんだ」
「理想的な生き方ですね。今はリモートでも仕事ができるから……」
「便利な世の中になったよね。じゃあ、そろそろ行けそう?」
美宇は慌ててテーブルの上を拭き、手を洗って荷物を取りに行った。
朔也が工房の鍵を閉めると、二人は並んで歩き始めた。
「七瀬さんは、車の運転はしないんだっけ?」
「はい、免許は持ってません……取った方がいいでしょうか?」
「うーん、無理して取らなくてもいいんじゃないかな。ここは市街地まではそんなに遠くないし、雪道の運転は慣れていないと危ないからね」
その答えに、美宇はホッと胸をなでおろした。
怖がりの美宇は、自分は運転に向いていないと思っていたからだ。
カフェまでは、あっという間に着いた。
ブルーグレーの外観に白いドアと窓枠が映える可愛らしいカフェは、やはり二階が住居スペースになっているようだ。
芸大卒の夫婦が建てた家だけあって、とてもお洒落な雰囲気だ。
朔也がドアを開け中に入ると、すぐに声が聞こえた。
「朔也先輩、いらっしゃい」
「こんにちは! 今日はよろしく頼むよ」
「ご用意できてますので、こちらへどうぞ」
蓮はそう言って、二人をオホーツク海が見渡せる一番良い席へ案内した。
席に着く前に、朔也が美宇を紹介する。
「新しいスタッフの七瀬さん。こちらは、大学の後輩、曽根君です」
「初めまして、曽根と申します」
「七瀬です。よろしくお願いします」
「そういえば、妻の綾が朝、お会いしたと言ってましたね」
「はい。工房に行く途中でお会いしました」
「ちょっとお待ちください……綾! 綾!」
蓮がバックヤードに向かって叫ぶと、エプロンをつけた綾が笑顔で姿を現した。
改めて見る綾は、ショートヘアのキュートな女性で、とても二人の子供がいるようには見えなかった。
「美宇さんいらっしゃい! 待ってたわよ~」
「お邪魔します」
「初仕事はどうでしたか?」
「楽しく終えることができました」
「それはよかったわ! お料理できてるから、たくさん食べてね」
「ありがとうございます」
綾はにっこり微笑むと、バックヤードへ戻っていった。
蓮は朔也に飲み物のメニューを渡した。
「何にしようかな……七瀬さんは何がいいですか?」
「あ……なんでも」
「じゃあ、白ワインでいい?」
美宇が頷くと、蓮が朔也に尋ねた。
「グラス? デカンタ? それともボトルにしますか?」
「とりあえず、デカンタで」
「承知しました。今夜も、帰ってからまた作業をするんですか?」
「うん、少しね」
「では、今お持ちしますね」
蓮はぺこりとお辞儀をして、バックヤードへ戻っていった。
「すみません、まだお仕事があるのに」
「いや、大したことはしないから。それに、たまには少し飲みたいしね」
「普段は飲まれないんですか?」
「うん。飲むときはほとんど外でかな。七瀬さんは?」
「私も、家ではほとんど飲まないです」
「じゃあ、同じだね」
朔也はそう言って微笑んだ。
その笑顔を見て、美宇の胸がキュンと疼いた。
(あ~、やっぱり緊張する~)
美宇はなんとか落ち着こうと、グラスの水を一口飲んだ。
ワインが運ばれてくると、二人は乾杯した。
「じゃあ、これからよろしくね」
「こちらこそ、ご指導よろしくお願いします」
グラスをカチンと合わせると、二人はワインを一口飲む。
少し辛口の、フルーティーな味がした。
それから、次々と料理が運ばれてきた。
まずは前菜に、サーモンの燻製とシーフードのキッシュ、それにかぼちゃのチーズ焼きが並んでいる。
どれも美味しそうだ。
「お料理は、曽根さんが作ってるんですか?」
「そう。デザートは綾ちゃんね。すごく美味しいから食べてごらん」
「はい、いただきます」
美宇はシーフードのキッシュを一口食べてみた。
「美味しい!」
「だろう? 蓮はセンスがあるんだよな~味も盛り付けも」
「たしかに綺麗ですね。もしかして、このお皿は青野さんの作品?」
「そう。この店をオープンするときに、一式頼まれたんだ」
「わあ……実際に使っているところを見られるのはいいですね。お料理が美味しそうに見えます」
「ありがとう。僕もこうやって見ると、いろいろと勉強になるよ」
二人は料理とワインを楽しみながら、陶芸の話で盛り上がった。
朔也は、美宇の知らないことをいろいろと教えてくれた。
ワインのおかげで、美宇の緊張は少しずつほぐれてきた。
気づけば、朔也と自然に話せるようになっていた。
「作品展があるとおっしゃっていましたが、年明けのいつ頃ですか?」
「2月だよ」
「札幌で?」
「そう。札幌のデパートの催事場」
「すごいです。有名な作家さんじゃないと、なかなか開催できないですよね?」
「どうかな。僕はたまたま声をかけてもらって、引き受けただけなんだ」
そのさりげない言い方に、美宇は思わずため息をついた。
自分のことを有名な作家だと意識していないところが、彼の魅力なのかもしれない。
教室の生徒たちともざっくばらんに話す著名芸術家など、そうそういるものではない。
そのとき美宇は、元恋人・沢渡圭のことを思い出した。
(彼がざっくばらんに生徒たちと打ち解ける様子なんて、見たことないわ……)
どちらかというと圭は、生徒たちと一線を引いていた。
それは、自分を特別な存在だと思っている人に見られる、典型的な振る舞いだった。
本当にすごい人ほど、威張らないのかもしれない……。
美宇はそう思いながら、かぼちゃのチーズ焼きを口に運ぶ。
「わぁ、甘くて美味しい」
「口に合ったようで良かったよ」
「どれも美味しいです。お客さんもいっぱい入ってて、人気店ですね」
「この辺りはこういう洒落た店が少ないからね」
「そんな素敵なお店を、一からご夫婦で作るなんてすごいな……」
「たしかに。実はさ、あの二人は星空が趣味なんだよ」
「星空?」
「そう。望遠鏡で観たり、写真を撮ったり……星空は二人の共通の趣味なんだ」
「あ、だから、この町に?」
「うん。でも、最初は全国各地を回って移住先を探していたんだ。で、北海道に来たついでにうちに寄ったんだけど、ちょうどその日がペルセウス座流星群の極大日でね、運良く降るような流れ星が見えたんだ。それで、移住先をここに決めたんだよ」
「え、じゃあ偶然?」
「そう。不思議だよね。人間、いつどこで何が起こるか分からないよなあ」
「ふふっ、そうですね……」
ふと店内を見回すと、額に入った星雲の写真があちこちに飾られていた。おそらく、二人が撮影したものだろう。
美宇は、東京からこの地に移住し、仕事をしながら趣味も存分に楽しんでいる夫婦の存在を知り、なぜか無性に嬉しくなった。
コメント
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良い人達に出会えて優しい時間が過ごせそう、北海道に来て良かったね🥺 星が繋ぐご縁⭐️✨曽根さんご夫婦素敵です💕このご夫婦のように、朔也さんと美宇ちゃんもご縁が結ばれたらいいなぁー💏
星💫に魅せられて曽根さん一家も北海道に移住して芸術に携わり朔也さんの食器を使って素晴らしいお料理を提供するなんて凄すぎる🎉 歓迎会は2人なんだね😆蓮さんや綾さんも一緒に飲み食いするのかと思ってたわ🤭💦 皆さんが言うように『能ある鷹は爪隠す』🦅じゃないけど、才能ある人ほど謙虚だし、正に朔也さんは素晴らしい作家さんだと思うな✨ 少しアルコールが入っていい感じの2人のこれから意識していってほしいな💕👩❤️👩
お友達の曽根さんのお店で歓迎会✨ 美宇ちゃんもきっと直ぐに馴染めそうな暖かい雰囲気💕 朔也さんのお皿まで使われてて嬉しくなるね。 朔也さんは飾らないし自然体だなぁ🧡 2人の距離も段々と縮まってくのかなぁ🫰💕💕