食事を終え、二人は店の出口へ向かった。
店を出るとき、美宇は蓮と綾に礼を言った。
「とても美味しかったです。また来ますね」
「わあ、嬉しい。ありがとう」
「ぜひ、お待ちしてます」
曽根夫妻に見送られ、二人は店を出た。
「アパートまで送るよ」
「近いから大丈夫です」
「酔い覚ましに少し歩きたいから、気にしないで」
朔也がそう言って歩き始めたので、美宇もそれに続いた。
歩きながら、朔也は空を見上げた。
「今夜は雲が多くて星が見えないな」
「晴れてたら、いっぱい見えますか?」
「うん、すごいよ。天の川が肉眼で見えるから」
「肉眼で?」
「うん」
美宇は目を見開いた。
東京育ちの彼女は、天の川はおろか、満天の星空さえ見たことがなかった。
だから、彼女にとっての天の川は、ポスターや写真で見たカラフルなイメージしか思い浮かばなかった。
そこで美宇は、こんな質問をした。
「それって、よく写真で見るようなカラフルな色で見えるんですか?」
その言葉に、朔也は思わず吹き出した。
「アハッ、さすがに写真みたいに色はついてないかな……白っぽく見えるよ」
「白……ですか?」
その光景を思い浮かべようとしても、美宇にはうまく想像できない。
「実際に見ないと分からないよね。よかったら、今度星空ツアーに行く?」
「星空ツアー?」
「うん。峠まで行けば光害がないから、すごく綺麗に見えるよ。11月からは通行止めになることが多いから、行くとしたら今月中がいいんだけどね」
「行ってみたいです!」
「じゃあ、帰ったら日程を調べておくよ」
「お願いします」
何気ない顔でさらっと返事をした美宇だったが、心臓はドクドクと高鳴っていた。
なんて大胆な返事をしてしまったのだろう。
一目惚れの相手と二人きりで星空を見に行くなんて、少し図々しかったかもしれない。
けれど朔也は、そんなことを気にする様子もなく、歩き続けていた。
アパートの前まで来ると、美宇が口を開く。
「今日はありがとうございました」
「じゃあ、明日は火曜で休みだから、また明後日よろしく。おやすみ!」
「おやすみなさい」
朔也が歩いていく後ろ姿を、美宇はじっと見つめていた。
胸の奥が、じんわりと切なさで満たされていく。
しかしそのとき、ふと今日、生徒の一人が言っていた言葉が頭をよぎった。
『そうそう、また前みたいに逃げられたって知らないんだから』
(奥様? それとも恋人? きっと、そんな人がいたのね……)
それが誰なのか知りたい、でも聞けない。
そんなもどかしさが、美宇の胸を締めつけていた。
水曜日の朝、美宇は工房へ向かった。
朝晩はすっかり冷え込むようになっていたが、工房へ入ると薪ストーブのおかげでぽかぽかと暖かい。
しかし、そこに朔也の姿は見当たらなかった。
(あれ? まだ上にいるのかな?)
車は駐車場にあるので、留守ではなさそうだ。
美宇は気にせずバッグをロッカーにしまい、さっそく土練機を回し始めた。
今日も午後から陶芸教室があるので、土の準備が必要だ。
土が練り上がるまでの間、工房の掃除に取りかかる。
そのとき、朔也が二階から降りてきた。
「おはよう」
「おはようございます。先日はありがとうございました」
「いや、こちらこそ。お、掃除してくれたんだね、ありがとう。さて、じゃあ始めようか」
「はい」
「今日の午前中は、注文品を作るのを手伝ってもらおうかな」
「分かりました」
今日の朔也は、いつもよりも無精髭が濃く、ワイルドな雰囲気だ。
ジーンズに黒のカットソーを着て、両袖をラフに捲り上げている。
その袖口から覗く逞しい腕に、美宇はつい目を奪われてしまった。
(ダメダメ、集中しなくちゃ!)
高鳴る鼓動を抑えながら、美宇は平静を装い、黙々と土を練り始めた。
「今日は、注文品のフリーカップを50個作らないといけないんだ」
「ご、50個ですか?」
「そう。たぶん、お店で使うんだろうな」
「あ、だから……」
「日本橋で日本料理をやってる人なんだけど、その店の料理がすごく美味いんだよ」
「そうなんですね。あ、でも、青野さんて、東京は苦手だったんじゃ?」
「あれ? 何で知ってるの?」
「あ……実は、以前個展にお邪魔したことがありまして、その時、会場にいた方が話しているのを聞きました……」
「え? 僕の個展、見に来てくれたんだ?」
「はい」
「ってことは、この前のかな?」
「そうです。それと、高校生の時にも一度……」
「え、そうなの? 高校生の時っていうと、何年前だ?」
「10年前ですね」
「……ということは、新宿でやったときかな?」
「そうです」
「そっかー。そんな昔に、見に来てくれてたんだ」
そう言いながら、朔也はふとあることを思い出す。
「…………」
『美宇』という名前を聞いたとき、どこかで聞いたことがある気がしていたが、その理由が今はっきりと分かった。
(驚いたな……まさか、あの時の……不思議な縁があるもんだな……)
朔也は当時のことを思い出していた。
そのとき、美宇が言った。
「高校生のとき、美大でどの科を受験するか悩んでいて、歩いていたら青野さんの作品展を見つけたんです。それを見て、陶芸科に進むことを決めました」
「そっかー、それは光栄だな。ちなみに、どの科と迷ってたの?」
「グラフィックデザインです」
「なるほど。陶芸科を選んだ理由は?」
「青野さんの作品を見て、自分は平面よりも立体的なものを作りたいんだって、はっきり分かったんです」
「そっか。それで今ここにいるっていうのも、不思議な縁を感じるよね。その縁を無駄にしないためにも、七瀬さんを一人前の陶芸家に育てないとなー」
「よろしくお願いします」
「責任重大だね」
そこで二人は、フフッと笑った。
それから、作業にとりかかった。
注文品は、同じサイズ・同じ形のものをいくつも作らなければならないので、神経を使う。
美宇は見本を見ながらひとつ作り、朔也に見てもらった。
「もう少し厚みを薄くした方がいいかな。使う人のことを考えて、なるべく軽く作るのが僕の器の特徴なんだ」
「軽く……ですか?」
「そう。普段使いの食器は、なるべく軽い方がいいからね。日本料理を食べに来るお客様は高齢の方が多いから、軽い方が好まれるし」
「なるほど……」
美宇はもう一度やり直し、さらに薄くなるように形を整えていった。
何度か試作品を作るうちに、ようやく朔也からOKが出た。
「飲み込みが早くて助かるよ」
「いえ……でも、すごく勉強になります」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。じゃあ、その調子でどんどん作ってみて」
「はい」
褒められたことが嬉しくて、美宇は笑顔で作業を続けた。
コメント
18件
星空ツアー楽しみですね⭐️ それにしても10年前に美宇ちゃんの名前を知ってたの? すごく気になります

10年前の美宇ちゃんの進路のキーパーソンだったんですね😆その出会いがあってまた巡り合って…素敵(*´∀`*)
2人で星空を眺めるって素敵🌃きっとロマンティックな気分になっちゃいそうだね(*´艸`*)フフ 朔也さんも「美宇」ちゃんとの縁があった。何か発見や驚きがあったのかな? 美宇ちゃんも朔也さんの影響を受けてるし。2人は出会う運命だったのね💛💛