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舞踏会の余韻が消えきらない館内で、ベジラだけがひとり取り残されていた。朝のロビーで宿泊客へ笑いかけても、返ってくるのは以前のような熱ではなく、気まずそうに逸らされる視線ばかりだ。
「昨夜は大変でしたね」と言われても、その言葉の先に自分がいないのが分かる。話題の中心にいるのは、濡れ衣を着せられたディアビレと、それを追いかけたジナウタスだ。
ベジラは化粧室の鏡の前で、口紅を引き直した。輪郭だけはきれいだ。けれど笑っても、胸の中が空洞のままだった。
昼の寸劇では、彼女は前にディアビレが手直しした台詞を、自分なりに言ってみた。柔らかい声も、首の傾げ方も、呼吸の置き方まで真似したつもりだった。
けれど、客席の空気は動かなかった。
ラウールの気の毒そうな拍手が、余計に響く。
ベジラはそのまま裏口へ走った。波止場に向かう風が頬を叩いても、涙は引っ込まない。
「なんでよ……」
鏡の前では完璧に見えたものが、人の前に立つと空っぽになる。奪えば埋まると思っていた。ディアビレの台詞も、視線も、少しの余裕も。けれど実際に奪えたのは形だけで、心を動かす熱だけがどうしても手に入らなかった。
夜更け、館内の騒ぎが静まったころ、ベジラは一人でルナ・マグの扉を押した。
カラン、と小さな鈴が鳴る。カウンターの向こうで、ディアビレが顔を上げた。
ベジラはいつもの勢いで皮肉を言うこともできず、ただ立ち尽くす。
「……コーヒー、ある?」
その問いだけで、もう敗北は十分に伝わっていた。