テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「……行かなきゃいけない所?」
「はい。……今週末、田舎に帰ります。帰って母と……私の知らない間に戻っていた兄と話し合おうと思います」
「話し合うって……お兄さんが作った借金のこと?」
今泉さんは私を見つめ返し、口元を曇らせた。
「借金のことと……今後の私のこと。
私、昨夜ずっと考えてました。これから自分はどうするべきなのか、どうしたいのかを……」
「……うん」
「兄の借金を私が主人に返済します。
自分の家族のことなのに、私は何も知らなかった。父に借金があったことも、母が苦しんでいたことも。兄が家族を救うために家を出たことも……何も知らなかった。
一人で田舎を出て、自分一人の力で生きてるみたいに何不自由なく暮らして……私、自分が滑稽に見えて仕方ありません」
テーブルに置いた両手に力が入る。
途切れ途切れに絞り出した声は、心苦しさに耐えるように微かに震えた。
「……家族が今まで亜紀に真実を伝えなかったのは、亜紀を大切に思っているからだよ。亜紀に幸せでいてほしかったからだよ。
そんなに自分を責めなくていい。……仕方のなかったことだ」
彼は握り締めた私の拳にそっと手のひらを重ね、慰めるように穏やかな笑みを浮かべる。
「だけど……私、幸せになれなかった……。
家族に背を向けてしまったように、主人にも背を向けていたんです。
主人の顔色を窺って、受け入れたくないことには目を背けていた。心が離れてしまったのには、私にも原因があるんです……」
包み込んでくれる彼の温もりを感じながら、重なった手に視線を落とした。
「亜紀……」
掛ける言葉が見つからないのか、今泉さんは私を見つめたまま口を閉ざした。
私は静かに息を吸い込み、一度緩めた拳に再び力を込める。項垂れていた顔を上げ、彼を見つめ返した。
「めそめそ泣いてるだけの自分を変えなきゃ。自分の家族を守れるのは、自分しかいない。母と会って話をしてきます。……そのあとで主人と話し合います」
楓との関係が、このまま終わるとは思えない。
……少なくとも、楓がこのまま黙って遼との関係に終止符を打つとは思えない。
私を見守る、憂いに満ちた彼の瞳。
「……大丈夫です。私、どんなにつらくても今泉さんに逃げたりしません。迷惑を掛けたりしません。離れていても、心はいつも側にいてくれるから……それだけで私……」
彼を見つめる瞳は感情を抑えきれず、言葉とは裏腹に涙で潤む。
「……逃げたりしない? 離れていても? ……俺から離れるつもりでいるのか?」
彼は私に真っ直ぐな視線を向けたまま、眉根を寄せた。
「……」
「昨日も言っただろ? 迷惑かどうかは俺が決めることだ。俺のことを気遣って離れるなんて、許さないっ」
彼は俯く私の腕をグイッと引き寄せ、額にペチッとお仕置きをした。
#大人ロマンス
桃下結衣
145
#狂愛
柏木さくら
4,899
#ロマンス
ruruha
1,251
#大人ロマンス
瑠璃マリコ
50,008
「そんなに優しくしないでよ……決心が鈍りそうで……」
「何の決心だって? ……亜紀に今すべきことがあるのなら、俺はいつまでも待ってる。田舎へ気をつけて行っておいで。まずは、そこからなんだろ?」
「……うん」
「……俺も、亜紀が田舎から戻って落ち着いたら、亜紀を連れて行きたい場所があるんだ」
「連れて行きたい場所? ……」
「ああ。事が落ち着いたら……な。亜紀の考えるけじめ、自分でつけておいで。俺はいつでも亜紀を見守っているから」
頭をぽんぽんと優しく撫でると、彼は再び穏やかな笑みを私に向けた。
――午前9時。
「もっと病院の近くまで行ったのに。……って言っても、通勤時間だから人目につくか」
病院がある駅のさん3つ手前で車から降りようとする私に向かって、今泉さんはそう言って口角を下げた。
「ここで大丈夫。電車で出勤しないと、誰かに見られた時に怪しまれるといけないから」
心配してくれている彼を見つめ返し、私は笑みを浮かべる。
「……そうか。何かあったらいつでも連絡してこいよ。亜紀に呼ばれたら、会議中でも仕事放り出してすぐに飛んでくる」
「仕事放り出したらダメでしょ? 主任さんが。クビになっちゃうよ?」
私は目尻を下げ、クスッと笑った。
「クビになったら、亜紀と一緒に蛍探しの旅にでも出るかな。放浪生活も悪くない」
飛ぶ鳥を眺めるような目をして、彼が声を弾ませた。
「今泉さん……」
私を慰めてくれる気持ちは嬉しいけど……
そんなこと、言っちゃダメだよ。
――家族がいるのに。
彼に与えられる優しさは、いつも嬉しさと切なさが交錯して……胸がキュッと痛む。
「……私も行きたい。今泉さんと……」
……誰にも邪魔されない、二人だけの世界に。
いつまでも甘い夢を見ていたいのに、淀んだ現実がそれを許さない。
「……じゃあ、行くね。きっと麗香が心配して私を待ってるから」
弱虫な自分を押し込め、強いて明るい声で言って、優しい視線に見守られながら私は車を降りた。
通い慣れた駅の改札口を抜け、長い階段を上り、地上に足をついた。
アスファルトに大きなため息を落とし、襲いかかる重苦しい空気を振り払おうと、瞼に力を入れて視線を上げる。
澄んだ青空の真下に、この地を陣取るように聳え立つ白い巨塔。
私は大きく息を吸い込み、その塔に向かって歩き出した。
更衣室で当直用に置いている服に着替え、崩れたプライベートを隠すように、クリーニングから戻ったばかりの白衣をはおる。
「あ、亜紀っ!」
医局の扉を開けると同時に飛んできたのは、親友の声だった。
麗香……
遼が私を待っているのではないかと内心怯えていた私は、ひとまず胸を撫で下ろす。
「麗香、ごめん……」
……心配かけて。
机に向かって仕事をしている数人の同僚たちの視線を気にしながら、小さく笑って肩を竦めた。
彼女は私に駆け寄り、腕を掴むと、そのまま給湯室へ私を引っ張り込んだ。
「迷惑かけてホントごめん。……遼、今朝ここに私を探しに来なかった?」
強張った顔で私を見つめ、何から聞き出そうかと言葉を整理しきれていない様子の親友に問う。
「勿論、来たわよ。来たっていうより、医局の前で待ち伏せしてた。私を見るなり『亜紀はどこだっ!』って怒鳴ったの。
自分がしたことを棚に上げて、亜紀を一体何だと思ってるのかしら。
今まで従順だった妻が、急に牙を剥いたから逆上してるのよっ」
吐き捨てるように言って、麗香は眉間に皺を刻んだ。
コメント
1件
亜紀さんの「決心が鈍りそうで…」ってセリフ、すごく刺さりました。自分を責めすぎずに前に進もうとする強さと、今泉さんの優しさに甘えたくなる気持ちが同時にあって、胸がぎゅっとなりました。ラストの麗香さんの登場で、また次の波乱が始まる予感…続きが気になります!