翌朝、美宇は家族に見送られ、羽田空港へ向かった。
元旦の街はひと気もまばらだった。
途中、美宇は香織の殺害現場に立ち寄り、買ってきた花束をそっと供えて両手を合わせた。
手を合わせながら、美宇は「どれほど無念だっただろう」と胸を痛めた。
その後、美宇は空港へ向かい、女満別行きの飛行機に乗った。
その頃、朔也はピアノジャズが流れる工房で作品作りに没頭していた。
彼が新たに取り組んでいたのは、オホーツクブルーの釉薬を使った器に、白い結晶を散りばめ、流れる線を描いたものだった。
それは、美宇と眺めた星空をイメージしている。
結晶は満天の星と天の川を、線は流れ星を表していた。
この技法は、従来のオホーツクブルーの印象を一新する、斬新なデザインだった。
この日、朔也は二度目の焼成にチャレンジしている。
一度目は、流れ星に見立てた線がうまく浮かび上がらず、失敗に終わった。
今日はどうしても成功させたい。そう思った朔也は、大皿をいくつも作り、一つでも成功するようにとすべて窯へ入れた。
焼き上がりまで残り二時間ほど。その後ゆっくり冷却し、結果がわかるのは明日になる。
その間、朔也はネット注文の器に取りかかり始めた。
美宇の乗った飛行機は、20分遅れで女満別空港に到着した。
空港周辺は吹雪いており、東京の気候に慣れていた美宇は思わずダウンの胸元を握りしめた。
バス停でエアポートライナーを待っていると、突然背後から男性に声をかけられた。
「あの~、斜里町行きのバス乗り場はここで合ってますか?」
振り返ると、30代半ばほどのスーツ姿の男性が立っていた。
顔立ちは整っていて都会的な雰囲気を漂わせている。おそらく、美宇と同じ東京からの飛行機に乗っていたのだろう。
「あ、はい。次に来るバスがそうですよ」
「ありがとうございます。いや~、それにしても、こっちは寒いですね~」
美宇はウールのコートを着た男性を見て、思わず微笑んだ。
この季節は、やはりダウンが必須だ。
「バスの中は暖かいので大丈夫ですよ」
美宇がそう返事をしたとき、ちょうどエアポートライナーが姿を現した。
「あ、来た! あれですよね?」
男性が嬉しそうに声を上げ、美宇は微笑みながら頷いた。
バスが目の前に停まると、美宇は男性よりも先に乗り込む。
そして、すぐに前の座席へ座ったが、男性は後ろの席へ行ったようだ。
やがて出発時刻となり、バスは斜里へ向かって走り出した。
そのとき、美宇は心の中で思った。
(香織さんは気持ちにけじめをつけるため、このバスで斜里へ向かう予定だったのね……素敵な婚約者とも出会い、これから幸せな人生を歩もうとしていた矢先に、どんなに心残りだっただろう……)
切ない思いにとらわれた美宇は、バスの暖かさとほどよい疲れに包まれ、次第にうとうとし始める。
眠りの中で、美宇は夢を見ていた。
それは高校生の頃、朔也の作品展を訪れたときの光景だった。
作品を見て歩いていると、あのときと同じように香織が笑顔で話しかけてきた。
『高校生?』
『あ、はい……。高2です』
『美大を目指しているのね』
『はい』
『ふふっ、じゃあ、ご案内するわ』
『わぁ……なんて綺麗なの!』
『素敵でしょう? この色を生み出すまで、彼は何年も試行錯誤を重ねたのよ』
『本当に美しい色ですね。「オホーツクブルー」って、北海道の海の色ですか?』
『そう。斜里町っていう場所よ。知床って言ったらわかるかしら? 北海道に行ったことはある?』
『いえ……』
『だったら、いつかぜひ行ってみて。そして、彼を幸せにしてあげて……』
『えっ?』
香織の言葉に驚いた美宇は夢の中で辺りを見回したが、彼女の姿はどこにもなかった。
『香織さんっ! 香織さんっ! どこへ行っちゃったの?』
何度も叫んだが、香織はもう現れなかった。
そのとき、バスが大きく揺れ、美宇の体に振動が伝わり、彼女はハッと目を覚ました。
(夢……?)
ぼんやりとしながら、美宇は香織の最後の言葉を思い返した。
『だったら、いつかぜひ行ってみて。そして、彼を幸せにしてあげて……』
それが何を意味するのかを理解したとき、なぜか美宇の頬には涙が伝っていた。
(香織さん……)
美宇は夢に現れた香織に向かって、心の中で呼びかけた。
やがて斜里町に到着すると、美宇は荷物を持ってバスを降りた。
美宇と一緒に何人もの人が同じ停留所で下車した。
背後に人の気配を感じながら、美宇は歩き始める。
アパート方面へ向かうバスに乗り換えようと、巡回バスの停留所へ向かった。
五分後にバスが来る予定なので、その場で待つことにした。
そのとき、背後に誰かがいる気配を感じたので、美宇は振り返る。
そこには、先ほどバスについて尋ねてきた男性が立っていた。彼も同じ方向へ向かうようだ。
「さっきはどうも。実はこの住所のアパートへ行きたいんですが、この停留所で合ってます?」
男性のメモには、美宇と同じ住所とアパート名が書かれていたので、美宇は驚いた。
「あ……合ってます。私もその辺りに住んでいるので……」
「それは奇遇ですね。でも助かりました。二度も教えていただき、ありがとうございます」
「いえ……」
(アパートの住人の知り合いなのかな?)
そう思っているとバスが近づいてきたので、美宇は足元に置いていたキャリーバッグを持ち上げた。
コメント
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毎日楽しみで仕方ない こんな街が人が本当にあるといいなぁ
お隣の方の💓💓かな? 香織さんは美宇ちゃんに全てを託したいんですね😢
この方が関谷さんの彼で新任のドクターですかね🧑⚕️⁉️