荒野を進むたび、足が地面に吸い込まれるように重くなっていった。空気が濃い。
いや、空気というより──重力そのものが増しているような感覚。
真帆も同じらしく、歩幅が徐々に小さくなる。
息が浅い。
胸の奥がじわりと圧迫される。
(……いよいよ、来たのね……)
視界の先に“異物”が見えた。
大きな岩山。
いや、岩山にしては形が不自然だ。
丸みがありすぎる。
表面が、脈打つようにわずかに揺れている。
(……いやな予感……)
その瞬間、身体が危険を察知し、反射的に口が動いた。
「つの丸、出ろっ!」
腰の刀がひとりでに抜け、鋭い音を残して前方へ跳ね飛んだ。
ガンッ、と地面に突き刺さる。
乾いた大地がミシミシと裂け、ひびが走った。
刺さった刀の周囲から、黒い炎のような影が噴き上がる。
空気が一度、ドンッと押し返された。
影が渦を巻き、その奥で「めき……めき……」と骨が形を変えるような音がする。
影が腕を押し出し、肩を押し出し、背中を押し出し、角を押し出す。
最後に、影の塊がぐい、と外へ押し出され、つの丸が姿を現した。
地面に刺さった刀は、役目を終えたようにカランと倒れた。
岩山が“ぬめっ”と動いた。
巨大な一つ目が、ゆっくりと見開かれる。
その目は、私たちをまっすぐ捉えていた。
真帆が息を呑む。
「……なにこれ……でか……」
レベル52K+74。
二階建ての家ほどの大きさ。
今まで出会った一つ目の中で、最大で、最高レベル。
真帆が震える声で言った。
「レベル52K……つの丸より強いじゃん……」
つの丸は洞窟でレベルを1K上げ、51Kになっていた。
でも、それを上回っている。
私はつの丸を見た。
「つの丸、あんたが狙われるわよ。」
つの丸は首をかしげる。
「どうしてだ?」
「だって、あんたを殺したらプラスを引き継ぐわけじゃない?」
真帆がはっとする。
「そうか!つの丸を倒せば、そのプラスも全部もらえて……クリアってことね!」
つの丸は淡々と否定した。
「そうじゃない。」
私と真帆は同時に声を漏らした。
「えっ?」
「扉を行き来できる魔物を殺しても効果はない。」
「そ、そうなの……」
つの丸は口角をわずかに上げた。
「残念だが、お前たちが狙われる。見ろ、そいつの目がお前らを捉えてるぞ。」
巨大な一つ目は、確かに私たちを“獲物”として見ていた。
私は思わず叫んだ。
「守ってくれるんだよね?」
つの丸は一瞬だけ黙り、低く答えた。
「……ああ。千夏を見つけるまでは付き合ってやる。」
そして、不敵に笑う。
「なまった体を鍛え直すには丁度いい相手だ。」
巨大な一つ目が、つの丸をじっと見た。
「……見ない顔だな。」
つの丸は肩をすくめる。
「そうかもしれんな。」
一つ目の視線が、私たちへ移る。
「その人間、食っていいのか?」
大きな瞳がさらに大きく開き、私たちを品定めするように舐め回した。
つの丸は短く言い放つ。
「断る。」
「人間に味方するのか?」
「敵も味方もない。ただの暇つぶしだ。」
一つ目が低く笑った。
「なら、お前を殺した後に食うとしよう。」
地面が揺れた。
砂が盛り上がり、裂け、そこから──六匹の、ミミズのような魔物が現れた。
どれもレベル40K。
ゆっくりと、頭のような先端を揺らしながら、つの丸を見据える。
その先端が、花のつぼみが咲くように、おぞましく割れた。
──口だ。
真帆が叫ぶ。
「きもっ!グロすぎる……!」
魔物たちは「キイキイ」と耳をつんざく不快な音を立てながら、つの丸を狙う。
口の奥から、糸を引くような“ぬるっ”とした液体が垂れ落ち、砂に触れた瞬間、じゅっと白い煙が上がった。
つん、と鼻につく機械的なにおいが広がる。
六匹は同時に、地面を“ぐっ”と押し込むように沈み込んだ。
砂がわずかに盛り上がり、空気がぴんと張り詰める。
次の瞬間、バネが弾けるように──一斉に飛びかかった。
「つの丸!!」
一匹がつの丸の腕に噛みつき、すぐに“バッ”と離れ、また別の角度から噛みつく。
噛みついた瞬間、“ザクッ”と肉が裂ける短い音が走り、つの丸の皮膚が焼けるように沈む。
続けざまに別の一匹が脚へ噛みつき、離れ、また噛みつき、残りの四匹も口を大きく開き、胴体へ、背中へ、脇腹へ──
噛むたびに“ザクッ、ザクッ、ザクッ”と、肉が断たれるような鋭い音が連続して響く。
噛みついた口の隙間からは、あの“ぬるっ”とした液体がつの丸の肌へ滴り落ち、触れたそばから“ジュウッ”と音を立てて焼き焦がした。
つの丸の身体が、ぐっと沈む。
真帆が叫ぶ。
「つの丸!本当にやばいって!!」
つの丸の肩が沈む。
顔が、ほんの一瞬だけ歪んだ。
(……つの丸が……押されてる……?)
つの丸は片膝をついた。
焼けた皮膚から白い煙が立ちのぼり、息がわずかに荒い。
六匹の魔物は、つの丸の動きが止まったのを見て、まるで次の合図を待つように、じり……と動きを止めた。
口の奥で“ぬるっ”とした液体が揺れ、砂の上で位置だけをわずかに調整しながら、つの丸を囲む。
その様子を見ていた一つ目が、低く命じた。
「──殺せ。」
六匹の魔物が一斉に反応し、砂埃を激しく舞い上げながらつの丸へ飛びかかった。
砂が爆ぜるように跳ね、視界が一気に白茶色に染まる。
つの丸の姿も、魔物たちの姿も見えなくなった。
見えるのは砂埃だけ。
聞こえるのは──鈍い衝撃音。
何かがぶつかる音。
肉が押し潰されるような、低い、重たい音。
真帆が息を呑む気配だけが、隣で震えていた。
砂埃が、ゆっくりと薄れていく。
まず、影が一つ。
その影の中から──
つの丸の顔が、ゆっくりと浮かび上がった。
その表情は、まだ砂の膜をまとったまま、こちらをじっと見ていた。
真帆が別の方向で息を呑む。
「えっ!」
真帆の視線の先にも、つの丸の“顔”があった。
「二つある……?」
真帆がさらに横を向く。
「いや……あっちにも……!」
砂埃が完全に晴れた時、そこにいたのは──
顔が三つ。
腕が六本。
その六本すべてで、六匹のミミズの魔物の頭を掴んでいる。
いや、掴んでいるというより──潰している。
私は息を呑んだ。
「どういうこと……」
困惑が声に滲む。
つの丸の姿は、歴史の教科書に載っていた阿修羅像そのものだった。
三つの顔に六本の腕。
それに体も大きくなっている。
一つ目と変わらないくらいに。
つの丸が、砂を払うように肩を回した。
「なかなか楽しかったぞ。」
一つ目が震える声を漏らす。
「な、なんだと!」
つの丸は三つの顔のうち一つで、冷たく笑った。
「お前、変異体だな?」
一つ目は目を細めた。
「さぁな」
夏帆が眉をひそめる。
「変異体って?」
つの丸は淡々と答えた。
「話したことがあるハイブリッドのことだ」
そう言うと、つの丸は掴んでいた六匹のミミズの魔物を、ぐいっと引っ張った。
地面が裂ける。
裂け目が一つ目へ向かって伸びていく。
その裂け目の下で、ミミズの魔物の胴が──一つ目の体と繋がっているのが見えた。
まるで、一つ目が“木”で、ミミズの魔物が“根”のように地中へ這い広がっていたかのようだった。
真帆が叫ぶ。
「えっ?別々の魔物じゃないの!」
私も声を上げる。
「変よ!それぞれにレベル表示があるなんて……」
つの丸は静かに言った。
「これがハイブリッド……変異体のひとつだ」
私は息を呑んだ。
「突然変異ってこと?」
「そうだ。」
つの丸は短く答えた。
つの丸の六本の腕が、まるで地中の根を引きちぎるようにミミズの魔物を引っ張った。
一つ目の体が大きく揺れ、耐え切れずに前へと引きずられる。
つの丸は一気に手繰り寄せた。
つの丸の右側の三本の腕が、一つ目の巨大な“目”へ向かって伸びる。
次の瞬間──
三本の腕が、迷いなく“目”を貫通した。






