「うん…と、エスキースっていうのはフリーハンドで書いた下描きみたいなものだよ。絵画だったらこれから描く絵の構想と
か? あ、建築科で言えばこれから設計する建物の大雑把なスケッチみたいな? そんな感じだと思う」
「なんだよー、じゃあ普通にスケッチって言えばいいのに葛城のヤロー!」
拓はそう言って怒ったふりをする。
その時真子は思った。
拓ほど成績優秀で機転の利く人間が、エスキースの意味をわざわざ真子に聞くだろうか?
今ならネットで調べればすぐに答えが分かる。
不思議に思った真子は聞いた。
「実は知ってたでしょう?」
真子がニヤリとして言ったので、
「チッ、ばれたか…」
拓は爽やかな笑みを浮かべて言った。
「分かっていたのに何で聞くの?」
「宮田さんと話したかったから」
「えっ?」
真子はその瞬間頬をほんのりと染めた。
しかし、すぐに思った。
拓は校内で人気の男子生徒だ。
これまで彼女がいなかった時期はないほど、歴代の彼女が何人もいた。
その誰もが美人で目立つ華やかなタイプの女生徒だった。
噂では、彼女になれなくてもいいから拓に抱いて欲しくてセフレになりたいと申し出る女生徒もいると聞いた。
だから女性に対する甘い言葉は、彼にとっては挨拶と同じなのだろう。
本気にしてはいけない。
真子は慌てて冷静さを取り戻すと言った。
「私と話しても面白い事なんてないわよ」
「そう? なんでそう言い切れるの?」
なんでと聞かれるとは思ってもいなかったので、真子は急に黙り込む。
そして必死で言葉を手繰り寄せて言った。
「だって私は部活もしていないし病気だし…とにかく面白い話題なんて持ち合わせていないからつまらないと思うわ」
すると拓は少しムッとした様子で言う。
「自分を卑下するなんて良くないな。言霊ってあるだろう? ネガティブ発言は避けた方がいい」
拓は真剣な眼差しで真子を見つめる。
そのあまりの迫力に、
「う、うん……」
真子はたった一言しか返せなかった。
すると拓が言った。
「これから海へ行かないか?」
「えっ? 海?」
「そう、海。さっき敦也から連絡が来て、今日の5、6時間目は自習になったってさ」
「えっ、そうなの?」
真子は慌てて携帯を見る。
もし自習になったなら、友里からも連絡が入っているはずだ。
しかし携帯に連絡は来ていなかった。
きっとおしゃべりに夢中で送り忘れているのだろう。
友里は今までにも度々そういう事があった。
「うん。だから海に行こうぜ! あっ、でも、そういうのって身体に負担?」
「え? あ…走らなければ大丈夫」
「よしっ、じゃあ行くぞ」
「あっ、ちょっと待って、もうちょっとで飲み終わるから…」
真子はそう言うと、拓が奢ってくれたカフェラテを慌てて飲み干す。
拓はそんな真子の事を微笑んで見つめていた。
カフェの外に出ると、拓は真子の手を引いて店の裏へと回る。
「自転車だから後ろに乗れよ」
「えっ? 私二人乗りってした事ない」
「マジか? どんだけお嬢様なんだよっ」
拓は笑いながら言うと、鍵を外して自転車に跨った。
そして、後ろのリアキャリアを指差す。
「横向きでも跨いでもどっちでもいいから、乗って俺の腰に掴まって」
真子は少し緊張しながら言われた通りにする。
とりあえず横座りしてから、拓の腰におずおずと手を添えた。
すると拓はその手をグイッと引っ張り、自分の腰にしっかりと巻き付ける。
「こうやってしっかり掴まってろ!」
「う、うん…」
「じゃ行くぞ!」
拓はそう言うと、勢いよく自転車をこぎ始めた。
最初は不安定にグラグラしていた自転車も、次第に安定してスイスイと進み始めた。
自転車は海へ続く道を一直線に駆け抜ける。
春の爽やかな風が真子の頬を撫でる。
(気持ちいい……)
真子は心からそう思った。
それと同時に、右手に伝わる拓の腹筋が、思った以上に逞しい事に気付く。
(バスケ部の主将だったんだのもの、当然か…)
真子はそんな事を思いながら、全身に受ける心地良い風を楽しんだ。
そのうち、通りは緩い上り坂へと差し掛かる。
拓の漕ぐスピードが若干遅くなった。
「重かったら降りるよ」
「大丈夫。まあ掴まっていなさい」
拓は余裕の表情でそう言った。
真子は今度は青空を仰ぎ見る。
(うわぁ、雲一つない青空…)
コバルトブルーの真っ青な空を見ていると、大学病院で起きた不快な出来事も消えていくような気がした。
まるで心が洗われていくようだ。
(海を見たらもっと癒されそう……)
真子は海を見るのが楽しみになってきた。
真子の家から海までは、バスで15分程だった。
その微妙な距離のせいか、近くに海があってもなかなか行く機会がない。
持病の為、部屋で過ごす事が多かった真子が海へ行くのは、かなり久しぶりだった。
「長谷川君は海にはよく行くの?」
真子は声を張り上げて聞いた。
「サーフィンを始めてからは週に2、3度は行ってるかなぁ?」
「ふーん、そうなんだ」
「宮田さんは海は久しぶり?」
「うん、すごく久しぶり」
「そっかぁ。じゃあ満喫しなくちゃだな」
拓はそう言って笑った。
真子の鼻を潮の香りがくすぐり始めた。
海はもうすぐだ。
逸る気持ちを押さえながら、真子はその時を待った。
すると拓が叫んだ。
「見えて来たぞ」
真子が拓の背中越しに前を見ると、キラキラと輝く海が見えていた。
「うん、海だね。凄く綺麗」
その嬉しそうな声を聞いた拓は、満足気な様子だった。
そして海へ続く道を、全速力でこいでいく。
最後に海沿いの国道を渡ると、二人は漸く浜辺に着いた。
「着いたぞー」
「お疲れ様」
真子は自転車をこぎ続けた拓を労う。
「宮田は背が高い割に軽いからそんなに大変じゃなかったよ」
「そう?」
拓の言葉に真子ははにかむ。
拓が自転車を柵に立てかけた後、二人は砂浜へ続く階段を降り始めた。
コメント
1件
バスケ部主将でモテモテで彼女がいない時がない拓くんの「🚲で🌊」のお誘いがいいなぁ😍💘 真子ちゃんも躊躇しながらも素直に行くってかわいい🤭🌸