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#海辺の町
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説明会の前日、海鳴り寺の離れは朝から落ち着かなかった。
海花は札の絵の最後の縁取りを仕上げ、莉々夏は門前の甘味処から大きなやかんで温かいお茶を運び込み、享佑は店の冷蔵箱からプリンを出してきて「今度は名前を書く」と真顔で宣言した。
「そこまで信用ない?」
義海が笑う。
「お前がいる時点で必要だ」
「俺、まだ一回も勝手に食ってないけど?」
蓮都は椅子を運び、遼征は仮設足場の最後の締めを確認し、美恵は説明順の紙を何度も見直していた。人の動く音が絶えないのに、不思議と離れの中は荒れて見えなかった。むしろ、長いあいだ待っていた日に向かって、木の壁まで背筋を伸ばしているようだった。
啓介は札を並べながら、その光景を何度も目でなぞった。
ここまで本当に来たのだと、今になって少しずつ実感が追いつく。
芽生は窓際で、読み札の順番と立ち位置を確かめていた。
「子どもたちが詰まった時は、鼓夏さんが一拍置いてください。澄江さんの札の前は、少し間を長めに」
「了解」
鼓夏がうなずく。
その時、芽生の携帯が震えた。
画面を見た芽生の指が、ほんの少しだけ止まる。
「出なくていいの?」
啓介が聞くと、芽生はすぐに笑った。
「ちょっとだけ外で」
そう言って離れを出ていく背中は、いつもと同じように見えた。
けれど啓介には、その肩がいつもより細く見えた。
窓の外では、春の終わりかけの光が、坂の下の海へ斜めに落ちていた。
前日なのに、もう別れの匂いが少ししている気がして、啓介は並べかけた札から目を上げられなかった。