テラーノベル
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信濃大町のはずれに、木造のモダンな一軒家が建っていた。
一見すると山小屋風だが、山小屋特有の武骨さはなく、どこか洗練された雰囲気が漂っていた。
広い庭にはさまざまな木々や花、ハーブが植えられ、訪れたばかりの夏を祝うように色とりどりの花々が元気よく咲き誇っている。
この家は、有名な写真家であり実業家でもある佐伯岳大の住まいだ。
彼は信濃大町でアウトドアブランド『peak hunt5』を立ち上げ、今では全国展開するほどの人気ブランドへと成長させた。
岳大は、この地で出会った妻・優羽と、その連れ子の流星、そして結婚後に生まれた娘・星歌と、四人で暮らしていた。
日曜の朝。朝食の片づけをしながら、母親の優羽が流星に声をかけた。
「流星、今年の夏も、青木湖のバイトに行くの?」
「うん、行くよ」
「受験前なのに大丈夫なの?」
「大丈夫。ちゃんとやるから」
来年受験を控えた息子を案じながらも、優羽は流星の穏やかな返事にひとまず胸をなでおろした。
流星は地元の高校でトップクラスの成績を収めているとはいえ、志望大学は東京の難関校だ。
都会の高校生のように最新設備の整った予備校へ通っているわけでもない息子のことを思うと、優羽は「本当に大丈夫なのだろうか」と不安がよぎる。
それでも、流星はこれまでずっと『有言実行』を貫いてきた。
だから信じるしかないーーそう自分に言い聞かせながらも、「高三の夏休みくらいバイトをやめてもいいのに」と思ってします。
そのとき、ソファで二杯目のコーヒーを飲んでいた岳大に、流星が声をかけた。
「父さん。もし東京の大学に受かったら、代々木上原のマンションに住んでもいいんだよね?」
以前交わした約束を確かめるように、流星は聞いた。
「ああ、いいよ。あそこは都心にも近くて便利だからね」
その言葉を聞いた瞬間、流星は「やった!」とガッツポーズをした。
住む場所があるのなら、受験を頑張らない理由はない。
バイトを続けながらも、勉強は絶対に手を抜かないーーそう心に誓った。
そのとき、ソファに座っていた五歳年下の妹・星歌が、兄に向かってクッションを投げつけた。
「いってぇな……なんだよ」
「お兄ちゃんだけずるい! 東京のマンションを独り占めなんて贅沢すぎるよ」
「しょうがないだろ。俺のほうが先に大学生になるんだから」
「ずるいっ、あたしも住みたい!」
星歌は近くにあったクッションを次々と兄に投げつける。
「やめろっ、おい、やめろってば!」
流星も投げ返し、クッションは空中を行き交った。
間にいた岳大はカップを手にして慌ててダイニングへ避難し、椅子に腰を下ろす。
最初は喧嘩のようだった二人も、やがて疲れたのか、どちらからともなく笑い出した。
「あはははっ」
「きゃははっ」
その様子を見ていた岳大が、キッチンにいる妻の優羽に声をかけた。
「なんだかんだ言って、仲がいいんだよね」
「ふふっ、ほんとそうね」
「でも、もし流星が大学に行ったら、星歌は寂しいだろうな」
「そうかも……。星歌はお兄ちゃんが大好きだから」
二人は静かに目を合わせ、穏やかな笑みを交わした。
夏休みに入り、流星がアルバイト先のロッジへ向かう日がやってきた。
「父さん、駅まで送ってもらってもいい?」
「もう出る時間?」
「うん」
「じゃあ、行こうか」
岳大は車のキーを手に取り、玄関へ向かった。
「じゃあ母さん、行ってくるね」
「行ってらっしゃい。ケガや事故に気をつけてね」
「分かった。じゃあな、星歌! 俺の分まで父さんの店の手伝いをしっかりやれよ」
「ふーんだ」
星歌は兄がいなくなるのが寂しいのか、頬をぷくっと膨らませている。
その姿に微笑みながら、流星は大きなザックを背負って玄関へ向かった。
駅へ向かう車の中で、岳大が言う。
「岡本のおじさんに、よろしく伝えておいて」
「うん。母さんからお土産預かってるから、ちゃんと渡すよ」
ロッジを経営する岡本は、岳大の古い友人だ。
知り合いのロッジで働くのなら安心だと、岳大は毎年こうして息子を送り出していた。
やがて駅に到着し、流星は車を降りて手を振った。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけて」
流星は笑顔で父に頷き、ザックを担ぎ直して駅舎へと歩き出した。
その背中は、いつの間にかすっかり大人びている。
堂々とした足取りで遠ざかっていく息子の姿を、岳大は目を細めながら静かに見送った。
コメント
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最近一気読みしてここまで来ました! 流星くんが大学生だなんて、、😌✨ 星歌ちゃん2歳下となってますが5歳下くらいでは?
あの小さかった流星くんが高3かぁ…...( ꈍᴗꈍ) 親戚のおばちゃん3号です!
かよにゃさんの気持ちに共感✨🥴 優羽さんのそばを離れなかった子供時代〜思春期を経て大学生になる流星くん☄️ 家族の一員みたいな感情で感慨深いなぁ…🥹