それから毎日楓は病院へ通った。会社に行く日は仕事を終えてから見舞いに行った。
その甲斐もあり、一樹は日ごとに順調に回復していった。
そして手術から四日後、一樹は一般病棟へ移った。
一般病棟といっても普通の病室ではない。一樹は藤堂組組長・藤堂則永の計らいで、大学病院の特別室へ移ったのだ。
特別室は面会時間に関係なく家族や面会者がいつでも自由に出入り出来る。それに希望すれば宿泊も可能だ。泊まる際には病院が簡易ベッドを貸してくれた。
一樹が特別室へ移った初日、楓は病室に一泊する事にした。
楓が荷物の整理をしていると、早速見舞客が現われる。
「容体はどうだ、一樹?」
病室に入って来たのは初老の男性だった。
男は仕立ての良いブラウンのスリーピーススーツを身に着け、上質な中折れ帽をかぶっている。
口周りと顎には白髪交じりの髭をたくわえ、シルバーフレームの眼鏡の奥には鋭い瞳が光っていた。
その堂々たる風貌には品格がある。
「組長、わざわざすみません」
その言葉で楓は男の正体がわかった。
今楓の目の前にいる男性は、藤堂組のトップに君臨する組長の藤堂則永だった。
すると則永は今度は楓に向かって挨拶をした。
「初めまして。組長の藤堂則永と申します。確か楓さんだったかな?」
その声色は意外にも優しかった。
楓は急にハッとすると慌てて自己紹介をした。
「初めまして、長谷部楓と申します」
「ああ、やっぱり。ところで今回は色々と大変な目に合わせて済まなかったね」
「いえ、こちらこそ……私のせいで東条社長にお怪我を負わせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「いやいや、君が謝る事はないさ。堅気の人間に怖い思いをさせてしまったのは全てうちの不手際なんですから。しかし今回だけはどうかこの則永に免じて許してやって下さい」
組長じきじきに帽子を取って深々と頭を下げたので、楓は驚く。
「いえ、そんな……どうか頭を上げて下さい」
「じゃあ許してもらえるのかね?」
「もちろんです。あ、よろしかったらどうぞこちらへお掛け下さい」
楓は恐縮しながら則永を椅子へ案内した。
則永は「どっこいしょ」と言って座ると、改めて一樹に言った。
「一樹がベタ惚れだって聞いていたからどんなお嬢さんかと思ったら、本当に素敵なお嬢さんじゃないか、なあ一樹?」
「はい」
「それに『楓』っていう名前はまるで運命みたいじゃないか? お前のおふくろさん……美津子(みつこ)さんはカエデの木が好きだったからなぁ……」
則永は昔を思い出しながら懐かしそうに目を細める。
(お母様がカエデの木が好きだった? なぜカエデなんだろう?)
楓はそこにどんな物語があるのか興味を惹かれる。
「ところで今回お前は雅則のサポートを見事にやり遂げてくれた。改めてわしからも礼を言うぞ、一樹、ありがとうな」
「なんと勿体ないお言葉……私は当然の事をしたまでですから」
「そんな事はないぞ一樹! お前は命を賭けて堅気の人間を守ってくれたんだ。なかなかできる事じゃあない。俺は組の長としてお前を誇りに思ってる。本当にありがとう」
再び頭を下げる則永に向かって一樹が言った。
「組長……お気持ちはわかりましたからどうか頭を上げて下さい」
「うむ。ところで、お前たちの結婚式はいつなんだ?」
「春頃に出来ればと思っています」
楓は結婚に関する具体的な話を初めて聞いたので、少し驚く。
「いい季節じゃないか。その頃には傷も癒えてるだろう。いやぁ…とうとうお前も女房持ちか」
則永は感慨深げに一樹を見つめる。
「お前のおやじさんとおふくろさんが生きていたら、きっと喜んだだろうなぁ」
「はい。楓を会わせられないのだけが残念です……」
「うむ。まぁ、でもお前のおやじさんに変わって俺がちゃんとしてやるから…だから何でも相談しろよ」
「ありがとうございます」
そこで則永は今度は楓に向かって言った。
「楓さん、一生に一度の結婚式なんだ、希望があれば一樹に全部言いなさい。遠慮なんてするんじゃないぞ」
「はい、ありがとうございます」
「うむ。ハハハそうか…春か……春が待ち遠しいな」
則永は笑顔で頷くと椅子から立ち上がった。
「じゃあ一樹、ゆっくり養生しろよ」
「はい。わざわざお見舞いありがとうございました」
一樹と楓が揃ってお辞儀をしたのを見て、則永は微笑んでうんと頷くと出口へ向かった。
しかし外へ出る前にもう一度足を止め、二人を振り向いてから言った。
「息子の則之の件だが……おそらくあいつの逮捕は免れないだろう。まああれだけ梅島と関わってたんだから自業自得だがな。だからあいつは破門する事にした。もちろん親子の縁も切るつもりだ。今後一切あいつを組に近寄らせるな。いいな?」
「承知しました」
「それと俺の跡継ぎの件だが、正式に雅則に継いでもらう事にしたよ。だからお前もそのつもりでいてくれ。お前は雅則の大事な右腕なんだからな」
「ハッ! 承知しました!」
一樹はもう一度深々と頭を下げる。
すると則永は軽く手を上げてにこやかに部屋を出て行った。その後をお付きの者が二人ついて行く。
三人が出て行くと楓はドアを閉めホッと息をついた。
一樹が身を置いている組織の長である則永の潔さを目の当たりにした楓は、自分の中に少しずつ何か覚悟のようなものが芽生え始めているのを感じていた。
コメント
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一樹さん、順調に回復してきていて 良かった😢🍀 組長も二人を祝福してくれていて、春にはいよいよ結婚....💒🌸 楽しみですね💝✨
楓ちゃんは姐さんと呼ばれるのかなぁ?だいぶソフトな姐さんの誕生だね😎
やっぱり組長ともなると自分の息子でと縁を切らなきゃならない時があるんだね。 一樹さんと楓ちゃんの結婚式も楽しみ🎵