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於田縫紀
7
第8話 未来遊園地
観覧車は、ゆっくり回っていた。
未来の遊園地の真ん中で、
大きな輪が、
音もなく、
時間をすくうように回っていた。
ゴンドラは透明で、
中に乗った人たちの笑い声だけが、
ときどき風に乗って降りてくる。
磁馬は入口の広場で立ち止まった。
遊園地には、
見たことのない乗り物がたくさんあった。
水の上を走る船。
地面すれすれを滑る列車。
影だけが踊る劇場。
匂いで物語を見せる建物。
けれど磁馬は、
最初から観覧車だけを見ていた。
「いいなあ」
そう言って、
肩掛け鞄を押さえる。
鞄の留め具には、
小さな入園札がついていた。
落とさないように、
何度も指で確かめる。
一つ。
二つ。
三つ。
まだある。
磁馬は広場の端のベンチに座った。
スケッチ帳を開く。
観覧車を描く。
大きな輪。
支柱。
ゴンドラ。
並ぶ人。
見上げる子供。
手を振る人。
未来の観覧車は、
昔の観覧車より静かだった。
でも、
待つ人の顔は似ていた。
乗る前のそわそわ。
降りたあとの少し浮いた足取り。
高いところが苦手な人の笑い方。
磁馬はそれを描いた。
線を引くたび、
観覧車は紙の中で少しずつ回っていく。
ゆっくり。
ゆっくり。
一周するには、
かなり時間がかかりそうだった。
「おじさん」
小さな声がした。
磁馬は顔を上げた。
ベンチの横に、
子供が立っていた。
黄緑のフード付き上着。
星形の飾りがついた靴。
袖をぎゅっと握っている手。
目には涙がたまりかけていた。
「うん」
磁馬はペンを止めた。
「どうしたの」
子供は観覧車を見た。
それから人の流れを見た。
そしてまた下を向いた。
「いない」
「誰が」
「お母さんと、お父さん」
磁馬はスケッチ帳を静かに閉じた。
「迷った?」
子供は首を小さく振った。
「ぼくは迷ってない。みんながいなくなった」
磁馬は少し考えた。
「そういう迷子もある」
子供は鼻をすすった。
磁馬は立ち上がった。
「名前は?」
「ユメト」
「僕は磁馬」
「じば?」
「うん」
「馬?」
「よく言われる」
ユメトは少しだけ口元を動かした。
笑いかけて、
まだ泣きそうな顔に戻る。
磁馬は周りを見た。
人が多い。
光る案内板。
移動する床。
走らないように歩く子供たち。
風船のように浮く売店看板。
磁馬は鞄の奥へ手を入れかけた。
訳機を見れば、
この時代の迷子案内の言葉がわかるかもしれない。
でもユメトが見ていた。
磁馬は手を戻した。
「案内の人を探そう」
「観覧車、見てたら、いなくなった」
「うん」
「乗るはずだった」
ユメトは観覧車を見上げた。
その顔が、
さっき磁馬が描こうとしていた顔と似ていた。
乗る前のそわそわ。
でも今は、
その下に不安がある。
磁馬は少しかがんだ。
「じゃあ、観覧車の近くから探そう」
「うん」
二人は歩き出した。
磁馬は走らない。
ユメトも走らない。
人の流れの中を、
観覧車へ向かって歩く。
途中、
磁馬の鞄が人に軽く当たった。
磁馬はすぐに留め具を確かめた。
一つ。
二つ。
三つ。
入園札。
ある。
そう思った時、
ユメトが指を差した。
「あそこ、案内の人」
紫色の案内服を着た女性が、
広場の端に立っていた。
灰色の短い髪。
胸元に光るバッジ。
落ち着いた目。
磁馬とユメトが近づくと、
その人はすぐにかがんだ。
「どうしましたか」
ユメトは袖を握ったまま黙った。
磁馬が言った。
「この子が、家族を探している」
案内係はうなずいた。
「お名前を聞いてもいいですか」
「ユメト」
「ユメトさんですね。私はミラです」
ミラは胸元のバッジに指を触れた。
柔らかい音が鳴る。
「保護者登録を確認します」
ユメトは磁馬の上着の端をつかんだ。
磁馬は動かずに立っていた。
ミラはやさしい声で聞いた。
「最後に一緒にいた場所は?」
ユメトは観覧車を指した。
「観覧車の前」
「乗る前ですか」
「うん」
「わかりました」
ミラは顔を上げて、
磁馬を見た。
「ご同行いただけますか」
「うん」
三人で観覧車の前へ戻った。
列は長かった。
でも未来の列は不思議だった。
人が並ぶ場所が少しずつ動いて、
待つ人が疲れないようになっている。
ユメトは磁馬の上着をつかんだまま、
列の端を見た。
「いない」
ミラは周囲の表示を確認する。
「近くの親子休憩所に移動している可能性があります」
「休憩所?」
磁馬が聞く。
「迷子や待ち合わせのための場所です」
「そこへ行こう」
ユメトは観覧車を見上げた。
「乗れない?」
磁馬も見上げた。
観覧車は回っている。
ゆっくり。
同じ速さで。
誰かが迷っていても、
誰かが泣きそうでも、
観覧車は止まらない。
それが少し寂しくて、
少し安心でもあった。
磁馬は言った。
「見つけてから乗れる」
ユメトは小さくうなずいた。
休憩所へ向かう途中、
磁馬は足を止めた。
鞄の留め具に触れる。
一つ。
二つ。
三つ。
入園札。
ない。
磁馬の手が止まった。
もう一度触る。
ない。
鞄の横に結んでいた小さな入園札が、
なくなっていた。
磁馬はその場で固まった。
ミラが気づく。
「どうしましたか」
「落とした」
ユメトが顔を上げる。
「何を?」
「入園札」
「それないと帰れないの?」
磁馬は少し黙った。
「見つかるまで帰らない」
ユメトは目を丸くした。
「ぼくと同じだ」
「同じ?」
「ぼくも、見つかるまで帰れない」
磁馬はユメトを見た。
それから、
少しだけ笑った。
「そうだね」
ミラは周囲を確認した。
「移動経路は、観覧車前からこの通路です。両方を確認しましょう」
「家族探しは?」
磁馬が聞く。
「休憩所には連絡を入れました。確認中です。近くを探しながら移動できます」
「ありがとう」
三人は引き返し始めた。
ユメトは地面を見た。
磁馬も地面を見る。
ミラは人の流れを見ながら、
足もとの小さなものにも目を配る。
未来遊園地の地面は、
細かい光が流れていた。
道案内の線。
混雑を避ける印。
乗り物の待ち時間。
子供向けの小さな足跡模様。
その中で入園札を探すのは難しかった。
ユメトが言った。
「どんなの?」
「小さい札。茶色。丸い穴がある」
「ふるいやつ?」
「うん」
「未来のじゃないの?」
「よくいる時代のもの」
ユメトは不思議そうな顔をしたが、
深く聞かなかった。
小さな子供は、
大人の変な言い方を、
そのまま受け取ることがある。
それが磁馬にはありがたかった。
観覧車前まで戻る。
列の端。
ベンチ。
売店の下。
案内板のそば。
入園札はない。
ユメトが膝をついて、
ベンチの下を見た。
「ない」
磁馬もしゃがむ。
「ない」
ミラは近くの売店へ聞きに行く。
戻ってきて首を振る。
「届いていません」
ユメトの顔がまた曇った。
「おじさんのも、いない」
「うん」
磁馬は観覧車を見上げた。
その時、
風が吹いた。
観覧車の足もとに吊られていた飾り布が揺れる。
入園札も、
あの風で少し飛んだのかもしれない。
磁馬は風の向きを見た。
広場の端。
休憩所へ向かう道。
低い植え込み。
「こっちかも」
磁馬が言うと、
ユメトもすぐに走り出しそうになった。
磁馬は手を出して止める。
「走らない」
「なんで」
「また落とす」
ユメトは自分のポケットを押さえた。
「ぼく、何も持ってない」
「それでも」
ユメトは少し考えて、
ゆっくり歩き出した。
三人で植え込みのそばを探す。
小さな風船の切れ端。
紙のカップ。
透明な菓子包み。
磁馬は菓子包みを拾い、
近くの回収箱へ入れた。
ミラが少し見ていた。
「丁寧ですね」
「使ったものは、戻す場所へ」
「落とし物とは違いますか」
「似てるけど、違う」
ユメトが植え込みの奥をのぞいた。
「あ」
磁馬が振り向く。
「ある?」
「これ?」
ユメトの小さな手に、
茶色い入園札があった。
葉の間に引っかかっていたらしい。
磁馬は両手で受け取った。
「これ」
声がやわらかくなった。
「ありがとう」
ユメトは少し得意そうにした。
「見つけた」
「うん。すごい」
磁馬は入園札を鞄の内側へしまった。
今度は外につけない。
一つ。
二つ。
三つ。
留め具を確かめる。
ミラのバッジが鳴った。
「ユメトさんの保護者が親子休憩所にいます」
ユメトの顔が上がった。
「お母さん?」
「はい」
ユメトは走り出しそうになり、
磁馬を見た。
「走っていい?」
磁馬は少し考えた。
「ミラさんと手をつないでなら」
ミラが手を差し出す。
ユメトはその手を握り、
早歩きで休憩所へ向かった。
磁馬も後を追う。
休憩所は観覧車の近くにあった。
壁はやわらかい色で、
中には小さな椅子が並んでいる。
ユメトの母親と父親が、
入口で待っていた。
ユメトは二人を見るなり、
顔をくしゃっとさせた。
今度は泣いた。
泣きながら走り、
母親に抱きつく。
父親は何度も頭をなでた。
ミラは静かに見守っている。
磁馬は少し離れて立っていた。
ユメトは母親の腕の中から顔を出した。
「おじさんも迷子だった」
磁馬は首をかしげた。
「僕も?」
「入園札が迷子」
母親が涙を拭きながら笑った。
「助けてくださって、ありがとうございます」
磁馬は頭を下げた。
「僕も助けてもらいました」
ユメトが言う。
「観覧車、乗る」
父親がうなずく。
「乗ろう」
ユメトは磁馬を見た。
「おじさんも?」
磁馬は観覧車を見た。
乗ってみたい気もした。
けれど、
描きたい気持ちのほうが少し大きかった。
「僕は描く」
「ずっと?」
「たぶん」
ユメトは少し考えたあと、
真剣な顔で言った。
「じゃあ、上から手を振る」
「うん」
「見てて」
「見てる」
ユメトは家族と一緒に、
観覧車の列へ向かった。
ミラが磁馬の横に立った。
「乗らないのですか」
「乗ると、見えないものがある」
「下から見るためですか」
「うん」
ミラは観覧車を見た。
「私は毎日見ていますが、描いたことはありません」
「見るのと描くのは、少し違う」
磁馬はベンチに戻った。
スケッチ帳を開く。
観覧車はまだ回っている。
ユメトの乗ったゴンドラが、
ゆっくり上がっていく。
磁馬は描き続けた。
観覧車。
広場。
ミラ。
親子休憩所。
植え込み。
葉の間の入園札。
ユメトの小さな手。
ゴンドラが上がる。
紙の中でも、観覧車が回る。
現実の観覧車はゆっくり一周する。
けれど絵の中の観覧車は、
少しだけ時間を多く含んでいた。
ユメトが迷っている時。
入園札を探している時。
家族を見つけた時。
ゴンドラに乗る時。
上から手を振る時。
それらが、
輪の中に並んでいく。
磁馬は手を止めない。
観覧車は、
ただ人を高い場所へ運ぶだけではない。
離れた人を見つけるための輪にもなる。
下にいる人へ手を振るための輪にもなる。
待つ時間を、ゆっくり丸くする輪にもなる。
ユメトのゴンドラが上に来た。
小さな手が振られる。
磁馬も手を振った。
それからすぐにペンを持ち直す。
その手を描く。
小さくても、
見えた。
ミラは横で見ていた。
「絵の観覧車が回っています」
「うん」
「何周していますか」
「わからない」
「数えないのですか」
「数えたら、止まりそう」
ミラは少し黙った。
「そういう見方もあるのですね」
「うん」
磁馬は線を重ねる。
夕方が近づいてきた。
未来遊園地の灯りが、
少しずつやわらかくなる。
観覧車の輪にも光がともる。
強すぎない光。
夜を急がせない光。
ユメトたちのゴンドラが降りてくる。
しばらくして、
ユメトが走って戻ってきた。
今度は母親と父親も一緒だった。
「見た?」
「見た」
「高かった」
「怖かった?」
「ちょっと。でも楽しかった」
ユメトは磁馬のスケッチ帳をのぞいた。
「あ、ぼくいる」
絵の中のユメトは、
観覧車の上から手を振っていた。
同じ絵の下のほうでは、
迷って袖を握っているユメトもいた。
植え込みのそばでは、
入園札を見つけるユメトもいた。
ユメトは不思議そうに見る。
「ぼく、いっぱい」
「今日のユメト」
「泣いてるのもいる」
「うん」
「消して」
磁馬は少し考えた。
「消さない」
ユメトは口をとがらせた。
「なんで」
「泣いてたユメトがいたから、見つけたユメトもいる」
ユメトは絵を見た。
泣いている自分。
探している自分。
手を振っている自分。
しばらく見てから、
小さくうなずいた。
「じゃあ、いい」
磁馬は小さな紙を出した。
そこに、
観覧車のゴンドラから手を振るユメトだけを描いた。
家族三人が並んでいる。
ユメトの靴の星形飾りも、小さく描いた。
「これ」
ユメトは両手で受け取った。
「くれるの?」
「入園札を見つけてくれたから」
「やった」
ユメトは母親に見せた。
母親は絵を見て、
もう一度磁馬に頭を下げた。
父親が近くの売店を指した。
「何か飲みますか。お礼に」
磁馬は少し遠慮した。
「いいの?」
「ぜひ」
磁馬は温かい飲み物をもらった。
未来の飲み物は、
果物のようで、
茶のようで、
少し知らない味がした。
でも温かかった。
磁馬は両手で持ち、
ゆっくり飲んだ。
「うまい」
ユメトは満足そうに笑った。
ミラが少し離れたところで、
静かに見ている。
磁馬はもう一枚、
小さな紙を出した。
ミラを描く。
案内服を着て、
迷子にかがむ姿。
胸元の発光バッジ。
観覧車の下で立つ姿。
紙の中のバッジが、
ほんの少し光った。
磁馬はそれを差し出した。
「これも」
ミラは両手で受け取った。
「私にですか」
「案内してくれたから」
ミラは絵を見つめた。
「私は、毎日ここに立っています」
「うん」
「ですが、こう見ると、少し違って見えます」
「うん」
ミラは胸元のバッジに触れた。
「ありがとうございます」
遊園地に夜が近づいていた。
観覧車は、
昼よりもはっきり見える。
人の笑い声。
乗り物の音。
売店の匂い。
遠くの音楽。
全部がゆっくり混ざる。
磁馬は最後の線を入れた。
観覧車の輪の中に、
一日の時間を閉じ込めるように。
迷子になった子供。
入園札を探す画家。
案内係。
家族。
上から振られる手。
絵の中で観覧車は、
止まらずに回っていた。
でも急がない。
何度回っても、
ユメトはちゃんと見つかる。
入園札も戻ってくる。
手は上から振られる。
磁馬はスケッチ帳を閉じた。
鞄の中を確かめる。
スケッチ帳。
ペンケース。
小銭袋。
訳機。
入園札。
ある。
一つ。
二つ。
三つ。
今度は大丈夫。
ユメトは帰り際に手を振った。
「また観覧車描いてね」
「うん」
「乗ってもいいよ」
「たぶん、いつか」
「たぶんだ」
ユメトは笑った。
磁馬も笑った。
ミラは出口まで案内してくれた。
「またお越しください」
「うん」
「次は入園札を内側へ」
「そうする」
磁馬は出口を出た。
外から見ても、
観覧車はまだ見えた。
大きな輪が、
未来遊園地の上で、
ゆっくり回っている。
磁馬はしばらく立ち止まり、
それを見ていた。
乗らなかった観覧車。
でも、
下から見続けた観覧車。
鞄の中で、
絵の観覧車が静かに回る。
迷った時間も、
見つかった時間も、
同じ輪の中に入っている。
磁馬は入園札をもう一度確かめた。
ある。
そして、
夜の道へゆっくり歩き出した。
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ああ、第8話『未来遊園地』、とても優しいお話でしたね。 迷子になったユメトくんと、入園札を落とした磁馬さんが「見つかるまで帰れない」って同じ言葉を口にする場面、切なくて温かくて、胸にじんと来ました。お互いがお互いを探す旅になるって、なんだか素敵だなあ。 そして「泣いてたユメトがいたから、見つけたユメトもいる」という磁馬さんの言葉が、すごく好きです。絵に描くことで、迷いも不安もちゃんと受け止めてもらえるんだなって。 観覧車がただの乗り物じゃなくって、待つ時間や見つけるための輪になるっていう視点も素敵でした。次は磁馬さんが乗る日が来るのかな…それが楽しみです🌷