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放課後の教室。机の配置はまだ戻されていなかった。窓の外は赤く染まり、影の中で笑い声がくぐもる。
「なぁ日下部」
唐突に名前を呼ばれ、背筋が強張る。後ろに立つのは蓮司。唇に嘲りを浮かべたまま、耳元へ囁き落とした。
「親のこと、言われてどうだった? 痛かっただろ」
答えられない。歯を食いしばるしかない。
「……まぁ、遥のせいなんだけどな」
「……っ」
「なぁ、わかってるだろ? あいつは自分を守るためにお前を売ったんだよ。だってそうだろ、他にも言えることはあったのに、“親”を選んだんだから」
拳が震える。反論したい。だが喉が詰まって言葉にならない。
――分かっている。遥は追い詰められて、どうしようもなく喋らされた。それでも、感情は別だった。
蓮司はその沈黙を待っていたかのように口角を上げる。
「友情だの守るだの言ってるけど、結局お前は便利な盾だっただけだ」
背筋が凍る。胸の奥に沈殿していた黒い泥を、無理やりかき混ぜられる感覚。
「やめろ……」
「やめろ? お前の方が分かってるくせに。裏切られたんだろ?」
その言葉が心臓に突き刺さった瞬間、視線を逸らすしかできなかった。
一方、廊下の隅で座らされていた遥の前に、別の声が降ってきた。
「なぁ遥、日下部がどんな顔してたか知ってるか?」
顔を上げると、加害者のひとりがにやついて覗き込んでいた。
「“裏切られた”って顔だったぜ。お前が親のことぶちまけた瞬間な」
「……違う」
否定の声はか細く震える。
「違う? でもよ、見ただろ? あいつ目を逸らしたぜ。お前の方なんて見もしなかった。あれが何よりの証拠だ」
「……俺は……守ろうとして……」
「守る? 笑わせんな。お前が守ったのは自分だよ。だからあいつは晒されて、笑われて、今も傷になってる」
遥は唇を噛んだ。血の味が広がる。胸がぎゅう、と締め付けられる。
――違う。違うはずだ。
俺は、守りたかった。
それだけだった。
けれど「親」という言葉を口にした瞬間、日下部の顔が変わったのを思い出す。目の奥に走った痛みを、確かに見てしまった。
(……また間違えたんだ)
頭を抱える。暗闇に沈む。
過去の失敗が胸をかきむしる。助けようとして、いつも裏目に出る。守ろうとして、必ず壊してしまう。
――そして今回も。
「なぁ遥、気づけよ。お前が動くほど、誰かが傷つくんだよ」
「……やめて……」
「日下部もそう思ってるさ。お前なんかに守られたせいで、一番大事な秘密を晒されたってな」
遥は必死に耳を塞ごうとした。けれど言葉は、耳ではなく胸の奥を抉ってくる。
――裏切り。
――売られた。
――友情なんて嘘。
それらが、教室と廊下を隔てた二人の心に同時に突き立っていった。
赤く染まる夕日が消えかけるころ、二人の間には、確かに“溝”が広がり始めていた。