コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
放課後の余韻がまだ残る教室。窓の外は茜色に染まっている。俺はいつもの席に座っていた。隣には遥。けれど――もう、ただそこにいるだけだった。
「……」
目を合わせられない。声も出せない。
(話しかければいい……それだけだろ。いつもみたいに)
そう思うのに、喉が固まって動かない。昨日のあの声が耳に焼きついて離れなかった。
『親に殴られてる』
あれは脅されて、無理やり言わされたのだと分かっている。遥が必死に庇おうとした末に絞り出した答えだったことも。理屈では理解できている。
けれど感情は――ただ一つ。裏切られた、という痛み。
隣の遥も同じように押し黙っていた。教科書を机に広げているのに、目は泳いで文字を追っていない。鉛筆を握る手がかすかに震えている。
(あいつも分かってるんだろ……俺がもう、まともに目を見られないってこと)
そんな空気の隙間に、嘲りの声が滑り込んでくる。
「おいおい、昨日の親友コンビ、今日は妙に静かだな」
「やっぱあれだろ、“親に殴られてる”ってバラされたら、距離置きたくなるよなぁ」
「友情終了~。解散~」
笑い声が机を叩き、床を響かせる。俺の背中がじわりと熱くなる。悔しさか怒りか分からない熱が、喉の奥を焦がす。
けれど、反論の言葉は出てこなかった。
隣の遥は唇を噛み、うつむいたまま。声を出すこともできず、ただ耐えている。
(……やめろ、何も言うな。これ以上、また俺を……)
胸の奥で叫んだ。だがそれは届かない。
加害者はさらに追い込むように言葉を重ねた。
「なぁ遥、“ごめん”ってもう言ったのか?」
「言ったってムダだろ。だって裏切りは裏切りだもんな」
「お前らもうバラバラ。あとは観察するだけだ」
その言葉に、遥が小さく肩を震わせる。
俺は拳を握りしめた。机の下で爪が食い込み、血が滲むほどに。
(守らなきゃ……そう思ってきたのに。どうしてこうなる)
(俺は笑い者。遥は泣きそうに俯いてる。それでも……もう守れる気がしない)
チャイムが鳴った。授業が終わり、教室はざわめきに満ちる。
椅子が引かれる音、鞄を閉じる音、笑い声。
俺と遥の間だけ、ぽっかりと穴が開いていた。
「日下部……」
かすかな声が耳に届く。隣を見た瞬間、胸が締めつけられた。
怯えと後悔の色を湛えた遥の瞳。それを見返した途端、言葉が喉で凍りついた。
「……っ」
俺は何も言えずに視線を逸らした。机の上の教科書に目を落とし、無理やりページをめくる。
「……」
遥の口が小さく動いた。けれど声はもう出なかった。
俺は立ち上がり、鞄を肩にかけて教室を出る。
背後に残った気配が追いかけてくる。けれど振り返れない。
振り返ったら――あの「ごめん」という言葉をまた聞いてしまう気がした。
廊下に出ると、夕焼けの光が射しこんでいた。
温かいはずの色が、今はひどく冷たく感じた。
(もう……戻れねぇのか……)
胸の奥で重たい絶望が沈み、足取りはひどく鈍かった。