翌週、栞は大学にいた。
栞の家に泊まって以来、直也からは頻繁にメッセージが届くようになっていた。
そのメッセージの多さが、直也と交際を始めたのだという真実味を増していた。
直也が栞に送るメッセージは、他愛もないものばかりだった。
『今日の講義はどうだった?』『学食で何食べた?』『今日はバイトはあるの?』など、どれも些細な内容だが、栞にとっては嬉しかった。
異性との交際経験がない栞にとって、恋愛は未知の世界だ。恋愛に関する知識は、愛花から聞いた話やテレビ、雑誌からの情報のみで、どれも信憑性に欠ける。
その時、栞はハッと気づいた。
直也の著書『これから恋愛をする君へ~真実の愛を見つける為に大切な10の事~』を読めばいいのだと。
この本は、直也本人が書いたものなので、彼の恋愛観がストレートに表れているはずだ。
(前に読んだ時は、あまり意味がわからなかったけど、もう一度読んでみようかな)
栞はそう思い、家に帰るとさっそく直也の著書を読み始めた。
そして、読んでいる最中、いくつかの点に気付く。
『恋人のことを大切に扱う男性は本物です。ドタキャンはせずきちんと約束を守り、帰りは必ず家まで送り届けてくれる。こんな風に誠実な態度を取る男性は、あなたのことを愛しているといっていいでしょう。もし相手の気持ちが分からない時は、相手の行動を観察してみてください。そこに答えがあります』
『「忙しくて連絡できなかった」という言葉に騙されてはいけません。この言葉は、男性が遊び相手に使う常套句です。本当に大切な女性には、どんなに忙しくても必ず連絡を取ります。メッセージひとつ送るのに1分もかかりません。つまり、その程度の労力も使う気がないということは、あなたのことを都合のよい相手としてしか見ていないのです』
栞はこの項目を読んで、気付いた。
直也は、栞の部屋で眠り込んでしまうほど疲れていたのに、テーマパークへ連れて行ってくれた。どんなに疲れていても、彼は栞との約束をきちんと守ってくれた。
そして栞はもう一つ気付いた。
直也と一緒に過ごした日は、いつも家まできちんと送り届けてくれることに。
もちろん、頻繁にメッセージを送ってくれる直也の態度にも、気遣いや思いやりが感じられた。
そこで栞は、本の最後の一文に目を留めた。
『あなたのことを愛している人は、あなたがどんな態度を見せても、きっと丸ごと包み込んでくれるはずです。あなたの嫌な部分、弱い部分、我儘な部分を見ても、決して逃げ出したりはしません。素のままの自分をさらけ出しても相手が逃げなければ、二人の関係は本物です。
だから、ぜひ怖がらず、相手に素の自分を見せましょう。すべてをさらけ出し相手がどんな反応をするのか、しっかりと観察してみてください』
(素の自分かぁ……私はまだ先生に、すべてをさらけ出していないかも……)
栞はそう思いながら、本を閉じて夕食の準備を始めることにした。
その時、スマホが鳴った。見ると直也からだった。
「もしもし? 先生?」
「こんばんは! 今日は少し早く帰れたから、今からラーメン食べに行かない?」
「ラーメン?」
「うん。近くに美味いラーメン屋があるんだ。一度栞ちゃんを連れていこうと思ってたんだけど、まさしく今日がチャンスかーと思ってさ」
直也が楽しげに話す様子に、栞は思わず笑顔になった。
「今、ちょうど夕食を作ろうかなって思ってたの。でも、ラーメン食べたいです!」
「おっ、グッドタイミングだったな。ちなみに今日は何を作る予定だったの?」
「肉じゃがでも作ろうかなーって。でも、じゃがいもの皮むくのが面倒で悩んでました」
栞はこんなことを言ったら『ズボラな女』だと勘違いされるかもしれないと思ったが、本のアドバイス通りあえて素の自分をさらけ出してみた。
すると、直也からの返事はこうだった。
「じゃあさ、肉じゃがは今度僕が行った時に作ってよ! じゃがいもの皮むきは僕が担当するから」
その言葉を聞いて、栞はホッとした。
(先生は私のズボラな面を知っても、全然気にしていないわ)
そのことに勇気づけられた栞は、さらに調子に乗る。
「じゃあ、ポテトサラダとマッシュポテトを作る時も、先生が皮むき担当ね!」
「よっしゃ! まかせときー!」
なぜか関西弁風の直也の口調が可笑しくて、栞はクスクスと笑った。
「じゃあ、10分後に君のマンションの前に行くよ」
「分かりました。じゃあ後で!」
電話を切ると、栞は急にワクワクしてくる。
こうして素の自分を少しずつ直也に見せていけばいいのだと思うと、一気に気が楽になった。
栞は嬉しくて鼻歌を歌いながら、出かける準備を始める。
悩んだ末、ジーンズのまま出掛けることにした。直也にジーンズ姿を見せるのは初めてだ。
(これも私の『素』の部分だもの)
栞は鏡を見て全身をチェックすると、部屋を出てエレベーターに乗った。
エレベーターを一階で降りマンションの出口まで行くと、ガラス越しにスマホを見ながら立っている直也が見えた。
彼はまだ栞に気付いていないようなので、しばらくその場から直也のことを観察した。
直也もデニムを履いていた。上は、白のTシャツにグレーのパーカーを羽織っている。いつものサーファースタイルだ。
日に焼けた肌と無精ひげが、ワイルドな雰囲気でとても魅力的だったので、栞はついうっとりと見とれてしまう。
目の前の素敵な男性が自分の恋人だなんて、まるで夢みたいだ。
(彼に似合うような素敵な女性になりたい)
そう思いながら、栞はマンションを出た。
近づいて来る栞に気づいた直也の顔が、笑顔になった。
「お! 栞のデニムスタイルは初めてだなぁ。背が高いからすごく似合ってる!」
初めて呼び捨てされた栞は、思わず胸が高鳴った。
「付き合ってるんだから、呼び捨てでもいいよね?」
「あ、はい……」
「じゃあ行こうか。ラーメン屋はあっちだよ」
歩き出した直也の後を、栞は慌てて追いかけた。
二人が並んだ時、直也がふと左手を差し出した。
「?」
栞のきょとんとした表情を見て、直也が微笑みながら言った。
「こういう時は普通、手を繋ぐんだろう?」
「あ……」
栞は、おずおずと自分の手を直也の左手に重ねた。その瞬間、彼の温かな手が栞の手をしっかりと包み込む。
手を繋いだ瞬間、栞は安心感に包まれた。
都会の雑踏を、二人は手を繋いだまま歩き続ける。
春の湿った少し生温かい風が、通りをそっと吹き抜けていた。
二人は歩きながら、今日の出来事を報告し合った。
楽しい会話に笑い声が響く。
栞は直也の温かな手の感触を感じながら、ふとこんな風に思った。
(私は愛されているの?)
その想いは、やがてゆっくりと確信へと変わっていった。
あの日、自分を救ってくれた医師が、今はこうして隣で笑っている。
そして、彼は栞にとって、かけがえのない存在になっていた。
(この幸せが、いつまでも続きますように……)
そう願った瞬間、優しい風が栞の頬をそっと撫でた。
笑顔のまま栞が空を見上げると、そこには半月に近い月が優しく輝いていた。
コメント
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初めての「彼氏」にドキドキしながら、彼の書いた恋愛指南の本を真剣に読む栞ちゃん.…📚💓 そして初々しく可愛い彼女にキュンキュン中の直也先生😍💞 そんな二人の お揃いデニムスタイルでのカジュアルな手繋ぎラーメンデート👩❤️👨🍜💞 幸せいっぱいな春の夜…🌜️✨️
『よっしゃー!まかせときー!』にせんせーのウキウキっぷりが伝わって来る〰️🤭🩷✨ 『素』のデニム👖で月夜のラーメン🍜手つなぎデート🥰⤴️⤴️ ス・テ・キな2人💑💖
呼び捨てに手繋ぎにきゅん💕💕 直也さんの本を読んだら直也さんがどんなに愛情深いかわかるね(◍˃ ᵕ ˂◍) ラーメン🍜を一緒に食べれる距離感いいなぁ💗 忙しい合間のデート💕 直也さんは栞ちゃんと少しでも一緒に居たいのね(* 'ᴗ'o♡o