そこからは一気にざっくばらんな雰囲気へと変わった。
宗太郎は陸が以前自衛隊にいたと聞き急に身を乗り出して話し始める。
「いやぁ私の知り合いがね、今陸自のお偉いさんをやっているんですよ。だから私も結構その世界には詳しいんですよ」
宗太郎は嬉しそうに言った後あれこれと陸に質問を始める。
「おおっ、あの大規模噴火の際に怪我を…それは大変でしたね」
そこで華子が口を挟んだ。
「陸は『第二?くうていだん』とかいう所にいたのよ」
よく意味がわかっていないくせに華子は得意気に言う。宗太郎はそれを聞いて更に身を乗り出してきた。
「おおっ、まさか空挺レンジャーですか?」
「はい」
「それは凄い! 精鋭中の精鋭じゃないか」
そこからは男同士で自衛隊談議が始まった。
横にいてもちんぷんかんぷんの華子はつまらないので祖母がいるキッチンへ向かった。
キッチンへ行くと料亭から届いた四人分の料理が並んでいた。
「あれ? 店のお料理、頼んでくれたの?」
「そうよ。二人とも今日はお夕飯を食べて行きなさい」
「わぁ…お店の味は久しぶりだから嬉しい」
華子はそう言ってお重の蓋を開けて中を覗き込む。そんな華子に菊子が言った。
「華子、陸さん凄く素敵な人ね」
「うん」
「あんなに素敵な人とどこで知り合ったの?」
思わず華子はドキッとする。まさか自殺を止めてもらったなどとは口が裂けても言えない。
そこでいつものように答える。
「陸のお店に行ったのがきっかけよ」
「そう。それにしても不思議よねぇ、陸さんも飲食店を経営していてうちもじゃない? フフッ不思議なご縁ね」
「そう言えば、お母さんフランスにいるって本当?」
「ええ。二ヶ月前に突然いなくなってね…そうしたら一ヶ月後にハガキが来たわ、今パリにいますって。おばあちゃんもう呆れちゃったわよ」
菊子は呆れたように言った。久しぶりに会った祖母はなんだか随分歳を取ったような気がした。もう高齢なのにいまだに娘に振り回されているので見ていて不憫になってくる。
そこで華子が言った。
「お母さんは当てにならないけど孫の私は当てにしていいからね。何かあったらすぐに陸と駆け付けるから。陸のマンションからは空いていれば30分で着くわ。だから今後は私達を頼りにしてね」
孫の言葉を聞いた菊子は驚いた顔をしていた。娘の弘子にそっくりでわがまま放題していた華子がこんなにも優しい事を言ってくれる。菊子は思わず目頭が熱くなった。
「ありがとう華子。これからはあなたたちを頼りにしますよ」
菊子は華子の手を握りポンポンと軽く叩いた。そんな祖母に華子はニッコリと微笑んだ。
その後四人は楽しく談笑しながら夕食を取った。
宗太郎が経営する料亭から届いた料理を陸は何度も美味しい美味しいと言って嬉しそうに食べていた。
この日車で来ていた陸とどうしても酒を酌み交わしたいと宗太郎が言ったので陸はお付き合いをする事にする。
「車は明日マンションまで運ばせますから」宗太郎はそう言って嬉しそうに陸のおちょこに日本酒を注いだ。
そんなご機嫌な男性陣をよそに華子は祖母の菊子にこっそりと伝えた。
「おばあちゃん、私ね、お父さんに会ってみたいの」
菊子は突然の華子の言葉に驚く。
「居場所は陸が探してくれるって言ってるの。だから何か手掛かりになるような事があれば全部教えてくれないかな?」
菊子はしばらく無言だったがフーッと息を吐いてから言った。
「そうよね。華子は何も知らされていないんですものね。これも全て弘子が隠したがったせいなのよ。私達が華子に言おうとするとあの子はいつも癇癪を起していたから」
菊子はそう言って淋しそうに微笑んだ。
やはり華子の予想通り祖母は母の弘子から口留めされていたのだ。
「じゃあおばあちゃんは知っているのね? どうしてお母さんが離婚したのか、お父さんがどんな人だったのか」
「もちろん知っているわ。だって華子が生まれた時に一緒に病院に会いに行ったのよ。病院のガラス越しに眠るあなたを見て慶太さんは感無量で泣いていたんだから」
菊子は懐かしそうな顔をして言った。
「慶太さん? お父さんは『慶太』っていうの?」
華子が興奮して叫んだので男性二人が気付いてこちらを見た。どうやら途中から話を聞いていたようだ。
そこで宗太郎が言った。
「そろそろ華子に話してやってもいいんじゃないか? この子ももう立派な大人なんだし」
「はい、わかっていますよ。いつかは話そうと思っていましたからね。私達だってもう先が長くはないですから」
菊子は小さなため息をつく。そして、
「ちょっと待ってなさい」
と言って応接室を出て行った。
しばらくしてから菊子は一冊の古いアルバムを持って来た。そして椅子に座りページをめくると華子にアルバムを渡した。
そこにはまだ一歳にも満たない華子を抱いて微笑む男性の姿があった。
男性はおそらく30歳前後だろうか? 服装は黒いタートルネックのセーターにジーンズを履いていた。
男性は華子を抱きながらカメラに向かって嬉しそうに微笑んでいた。
「この人って?」
「それがあなたのお父さんよ。名前は長谷川慶太。華子が生まれた時はちょうど30歳だったわ。弘子が24歳の時に慶太さんと結婚したの。結婚してちょうど一年後にあなたが生まれたのよ」
「この人が、私の…お父さん……?」
華子はその写真をじっと見つめる。アルバムには他にも何枚か父の写真があった。
どの写真も華子を抱きながら満面の笑みを浮かべている。その表情からは娘への愛情が滲み出ていた。
写真から目が離せないまま華子が祖母に聞いた。
「お父さんは…どうしてお母さんと別れちゃったの?」
「慶太さんはね、東京で小さな会社を経営していたの。主にリゾート開発なんかをやっている会社ね。でもあなたが生まれた頃は回復しかけていた日本の景気が徐々にまた悪化してリゾート関連の会社は大打撃を受けたのよ。それで会社をたたむ事になったの。その後慶太さんは北海道の知り合いから誘われて向こうで働く事に決めたの。でも弘子が北海道に行く事を拒否したのよ。まぁ東京生まれで東京育ちの弘子からしたら北海道に行く事はかなりハードルが高かったんだと思うわ」
「だったら単身赴任みたいにすればよかったじゃない。なんで離婚なんか…」
そこで菊子はもう一度深呼吸してから一度チラッと陸を見るとゆっくりと話し始めた。
「陸さんはもう家族になるんだから隠す必要はないわね。離婚の理由は弘子が浮気をしたからなの。まだ赤ちゃんだったあなたがスヤスヤと寝ている間に弘子は男を家に連れ込んで浮気をしていたのよ」
「え?」
「陸さん、ごめんなさいね…なんだか家族の恥をさらしてしまって」
「いえ、お気になさらずに」
「お母さんが? 私が家にいるのに?」
「そう。なんでも保険の営業で度々訪れていたセールスマンだったらしいわ。その人が来る度に浮気していたみたい。ある日慶太さんが忘れ物を取りに帰った時その男性と鉢合わせしてして浮気が発覚したらしいの」
「…………」
華子は言葉が出なかった。母はまだ小さかった華子が家にいるのに男を家に引き入れて浮気をしていたのだ。
あまりの衝撃に華子は言葉を失う。
「慶太さんはそれでも弘子の事を許すつもりでいたのよ、それは華子がいたから。慶太さんは華子の為なら我慢しようって思ったのね。そしてもう一度やり直そうって弘子に言ってくれたわ。でも弘子はそれを突っぱねたの。そして離婚すると慶太さんに告げたの。離婚したらもう二度と華子に会わないでくれとも言ったらしいの。自分はすぐに再婚して華子には新しい父親が出来るからもう華子に関わらないでってね」
華子は更なる衝撃を受けた。しかし確認の為に菊子に聞いた。
「え? でもお母さんは再婚しなかったわよね?」
「そう。その浮気相手は結局弘子に対しては本気じゃなかったのね。弘子が離婚後にあっさり捨てられたみたい」
そこで宗太郎が口を開く。
「あいつは馬鹿なんだよ。男が自分を見ればすぐに惚れると思い込んでいる。男ってのはなぁ…大切に思っている相手に対しては誠実な態度を取るものなんだよ、そこの所が全くわかっていないんだ。だから50を過ぎた今でも男に騙され続けているんだ……困ったもんだよ」
「結局一番誠実だったのは慶太さんなのよ。あの時慶太さんとやり直していたらきっと丸く収まっていたかもしれないのに。その事にあの子自身気づいているから認めたくなくて意地ばかり張って…本当に馬鹿な子」
華子は呆然としていた。
母から聞いていたのは華子の父親は母と華子を捨てて家を出て行った。確かにそう聞いた。しかし祖父母の話を聞く限り父に悪い所は一つも見当たらない。
華子はもう一度アルバムの写真を見る。父・慶太が華子を見つめる瞳にはあたたかな愛情が溢れていた。
(私はお父さんに愛されていたのね…)
そう悟った瞬間頬を涙が伝った。
華子は思わず両手で顔を塞ぐと切ない声で泣き始めた。華奢な細い肩を震わせて悲しい声で泣き続ける。
そんな華子を隣にいた陸がそっと優しく抱き締めた。
陸の手の温もりを感じながら華子は思った。写真に写っている父の手もきっとこんな風にあたたかかったに違いない。
そう思うと更に涙が溢れてくる。
華子の嗚咽はしばらくの間続いた。そんな華子を三人の温かい目がいつまでも見守っていた。
華子が漸く落ち着くと菊子が父・慶太に関する情報を全て陸へ教えてくれた。
離婚後慶太は北海道の空知地方へ行くと言っていたらしい。そこにいる慶太の知人から誘われてリゾート関係の仕事をすると言っていたそうだ。
その後四人はアップルパイとコーヒーのデザートを楽しむ。その最中も陸と宗太郎は今後の事について話し合っていた。
そろそろ二人が帰る時刻が近づいて来ると宗太郎が言った。
「陸君、華子の事をどうかよろしくお願いいたします」
「きちんとお預かりいたします。どうぞご安心下さい」
陸は深々と頭を下げた。
そして二人は三船家を後にした。
帰りのタクシーで華子があまりにも静かだったので陸はチラッと華子を見ると言った。
「大丈夫か?」
「うん。陸……」
「なんだ?」
「今日は一緒に来てくれてありがとう」
「ああ、俺もお二人にお会い出来て良かったよ」
「ん」
華子は頷くと左手を陸の右手に絡める。甘えるようなその仕草を見て陸は華子の手をギュッと握り返す。
陸の温かさを感じながら華子はホッと安堵する。そしてそのまま陸の肩にもたれかかった。
窓の外をぼんやりと見つめる華子の瞳には夜の街明かりが静かに流れていった。
コメント
2件
お祖父様、お祖母様から結婚の了承を貰い、 祖父母宅で 和やかな時間を過ごした二人👩❤️👨 そこで聞いた 父母の離婚した理由.... 華子チャンにとってはショックで悲しい事実だったけれど😢 教えて貰った情報を頼りにして、 早くお父さんを探し出せると良いね🥺 そして、今でも華子チャンを愛してくれていますように🍀✨
初めての華子の実家へ結婚の了解を得るために陸さんと華子の2人で訪れて…お祖父さん、お祖母さんは共に話のわかる優しいお二人で、陸さんの自衛隊時代の武勇伝も交えながらの楽しい時間⏳ そしてすんなりと結婚の了解も得られて本当に良かったね😉👩❤️💋👩💓 そして華子がもう一つ聞きたかった父親の話… お二人の口から聞いたのは母親の浮気で無理やり離婚したという事実。 これはあまりに酷い話😭母親身勝手すぎ💢腹立つわ‼️