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#王子
すっこ
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#主人公最強
杯雪乃
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母は二十九年間、
三人の娘の名前を入れ替え続けていた。
由紀子の言葉を聞いたあとも、
私は焦げた新生児タグから目を離せなかった。
母 篠宮恵美
女児
二十九年前。
母が岸本総合病院から連れ出した赤ん坊。
それが、
篠宮恵美の子だった。
「その赤ちゃんを、母はどこへ連れていったんですか」
由紀子は答えなかった。
「知ってるんですよね」
「……途中までは」
「途中?」
「千佳が病院を出たところまでは見た」
「一人で?」
「赤ちゃんを抱いて」
「どこへ行ったんです」
「駐車場」
「誰か待ってた?」
由紀子は頷いた。
「奈緒」
私は息を止めた。
「相原奈緒さん?」
「ええ」
「奈緒さんも、その夜出産したんでしょう」
「そう」
「自分の赤ちゃんを病院に残して?」
「そう見えた」
話が合わない。
三人の母親。
千佳。
奈緒。
恵美。
そして二人、あるいは三人の赤ん坊。
「母と奈緒さんは、最初から一緒に赤ちゃんを盗むつもりだった?」
「分からない」
「でも駐車場で待ってた」
「ええ」
由紀子の声が震える。
「奈緒は赤ちゃんを見て、泣いた」
「何て?」
「『違う』って」
私は眉を寄せた。
「何が違うの」
「何度も言ってた」
――この子じゃない。
背中が冷えた。
「奈緒さんは、誰か別の赤ちゃんを探してた?」
「たぶん」
「誰の?」
由紀子は首を振った。
「そこから先が分からないの」
母は篠宮恵美の赤ちゃんを盗んだ。
でも奈緒は、
その赤ちゃんを見て、
この子じゃない
と言った。
「じゃあ母は、間違えて盗んだ?」
真壁刑事が口を挟む。
「あるいは、別の目的で連れ出した」
「どんな目的ですか」
「まだ分かりません」
そのとき、
由紀子が言った。
「写真がある」
「何の?」
「その夜の」
私は振り返った。
「どうして今まで――」
「家に置いてあった」
火事。
「燃えたんじゃ」
由紀子が首を振る。
「隠し場所が別」
「どこです」
「千佳の家」
また。
母の家。
「二十年前、千佳と縁を切ったとき」
由紀子は言った。
「一枚だけ、あの家に隠した」
「母に見つからないように?」
「いつか澪ちゃんに見せるため」
私は言葉を失った。
「私に?」
「ええ」
「どうして二十年間見せなかったんです」
由紀子は目を伏せた。
「怖かったから」
「母が?」
「違う」
私を見る。
「あなたが」
胸が冷えた。
「私?」
「写真を見たら、あなたの人生が終わると思った」
*
午前七時十六分。
母の家。
火事のあった由紀子の家から、
私たちは再びここへ戻った。
父。
真壁。
私。
由紀子は病院に残った。
隠し場所は、
仏間だった。
母の位牌の後ろ。
壁と棚の隙間に、
薄い写真ケースが差し込まれていた。
二十年間、
母は気づかなかったらしい。
真壁が手袋をつける。
中には写真が三枚。
一枚目。
岸本総合病院の駐車場。
夜。
若い母が赤ん坊を抱いている。
隣に奈緒。
少し離れた場所に、
泣いている女。
篠宮恵美。
「これが、その夜……」
二枚目。
母の車。
後部座席。
赤ん坊を抱く奈緒。
写真の端に、
時刻表示。
23:58
停電が終わって、
十二分後。
「誰が撮ったんですか」
真壁が訊く。
父が写真を見る。
「由紀子だろう」
そして、
三枚目。
私は息を止めた。
病院の廊下。
午前二時十三分。
母が赤ん坊を抱いて戻ってくる。
でも、
服が違う。
赤ん坊の。
最初の写真では、
白い産着。
戻ってきた赤ん坊は、
薄い花柄。
「同じ子?」
私は訊いた。
真壁は答えない。
写真だけでは分からない。
裏を見る。
由紀子の字。
千佳が連れ出した子と、戻した子は違う。
私は読み返した。
「違う?」
さらに。
足首のタグが違った。
連れ出した子――篠宮恵美。
戻した子――水城千佳。
意味を理解するのに時間がかかった。
「母は……」
真壁が言う。
「篠宮恵美さんの赤ちゃんを連れ出した」
「そして」
私は続ける。
「自分の赤ちゃんを抱いて戻った?」
「写真の記録が正しければ」
なら、
母の赤ちゃんはその間どこにいた?
そして、
篠宮恵美の赤ちゃんはどこへ行った?
父が一枚目の写真を見つめていた。
「違う」
「何が?」
「千佳の赤ん坊じゃない」
「戻した子?」
父が頷く。
「俺は出生直後に抱いた」
「覚えてるの?」
「顔は覚えてない。でも」
父が写真を指す。
「産着が違う」
「そんなの着替えれば」
「病院で千佳の子に使っていた産着は、黄色だった」
私は写真を見る。
花柄。
父の顔色が悪い。
「じゃあ、この赤ちゃんも母の子じゃない?」
「分からない」
結局、
母が病院へ戻した子すら、
誰の子か分からない。
真壁が写真ケースの底を確認する。
「まだ何かあります」
薄い封筒。
中には、
コピーされた出生記録。
二十九年前。
五月十七日。
女児。
母親。
篠宮恵美。
出生時刻。
午後十一時二十六分。
その下。
備考。
一時所在不明。午前二時十二分、新生児室へ収容。
「戻ってきた赤ちゃんが」
私は言った。
「恵美さんの子として処理された?」
「そう見えます」
でも、
由紀子の記録では、
母が戻した赤ちゃんのタグは、
水城千佳。
誰かがその後、
記録を変えた。
そしてもう一枚。
水城千佳。
女児。
出生時刻。
午後十時五十一分。
備考。
空欄。
「私の出生記録?」
真壁が確認する。
「おそらく」
私は生年月日を見る。
五月十七日。
母親、
水城千佳。
そして、
父親、
水城雅彦。
普通なら、
私の記録だ。
でも紙の右上に、
赤いスタンプがあった。
死亡
「……何これ」
真壁も表情を変える。
「新生児死亡の処理記録ですね」
「母の赤ちゃん、死んだの?」
父が紙を奪うように見る。
「知らない」
「父さん!」
「俺は聞いてない!」
声が震えている。
「千佳は、赤ちゃんは元気だって」
「その赤ちゃんが私だった?」
父は答えられない。
さらに、
死亡日時。
五月十七日。
午後十一時四十分。
また。
あの時刻。
私は椅子に手をついた。
「母の本当の赤ちゃんは」
声が出にくい。
「生まれて一時間もしないうちに死んだ?」
記録が正しければ。
そうなる。
では、
その後母が育てた私は誰なのか。
真壁が封筒の最後の紙を取り出す。
母の字だった。
たった三行。
私の娘は死んだ。
だから、あの子を連れて帰った。
そして、
最後。
あの子を澪として育てる。
私は何も言えなかった。
父も。
真壁も。
誰も。
母が奪った赤ん坊。
篠宮恵美の子。
その子をどこへ連れていったのか、
まだ分からない。
けれど、
一つだけ分かった。
水城千佳が産んだ赤ん坊は、
出生記録の上では、
二十九年前の五月十七日、
午後十一時四十分に死んでいる。
私は生きている。
二十九歳になるまで、
水城千佳の娘として。
なら。
母が家へ連れて帰り、
水城澪
として育てた赤ん坊は――
母が産んだ子ではない。
コメント
1件
読ませていただきました…。第33話、衝撃がすごすぎてしばらく動けませんでした。由紀子さんの「あなたの人生が終わると思った」という言葉、まさにその通りでしたね。三枚の写真と出生記録の「死亡」スタンプで、澪さんの存在基盤が音を立てて崩れていく感じが、読んでいるこちらにもひしひしと伝わってきました。母が本当に産んだ子は死んでいて、篠宮恵美さんの子を連れ去った…その上で育てられたのが「水城澪」ではないかもしれないという伏線の重さ。ラストの「母が産んだ子ではない」の一文が、すべてをひっくり返しました。更新、本当に楽しみにしています。