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正解の分からない問題を考え続けて、勝手に疲労困憊している俺だったが、仕事は順調だった。
総務部が提出した社食におけるフードロス企画は、上層部の興味を引くことに成功し、企画を詰めている最中。
企画責任者は椿。もちろん、俺が全面的にサポートする。
椿は全従業員を対象にアンケート調査を実施すべく、奮闘中だ。
本来であれば二人の時間に仕事は持ち込みたくはないが、最近は食事中でもこの企画の話をしている。
「価格や内容はもちろんですけど、販売時間なども課題ですよね」
「そうだな。単純にフードロス企画として進めるなら、ランチで残った総菜を詰めればいいが、そうすると社食の利用状況によって販売できない日もあるな」
「はい」
「かと言って、毎日弁当を販売できるように準備して、弁当が売れ残ったのではフードロスはなくならない」
「はい」
俺は酢豚の豚を咀嚼し、飲み込んだ。
今日は、中華セットの売り上げがよろしくなかったらしい。
食卓には酢豚やチンジャオロース、シュウマイ、春巻き、中華スープが並んでいる。
あまり遅い時間には胃に入れたくないメニューだったので、珍しく十九時半に晩ご飯だ。
「試験期間が必要かもな」
「試験期間?」
「ああ。過去のデータから、社食の利用率や廃棄量は見て取れるが、じゃあ社食の利用が少なくて廃棄の多い日の弁当が必ず売れるわけじゃないと思う。給料日後は利用率が低いが、それは『給料が入ったしちょっとリッチに食べに出よう』ってことだろう? だったら、弁当を販売してもたいして売れないと思う。逆に、給料日前は社食利用率も高く、恐らく弁当も売れると思う。そこら辺の実証が必要だ」
椿はスープのお椀を口に運ぶ。
味噌汁かスープのCMに出られるんじゃないかと思うほど、姿勢よく、美味しそうに味わっている。
静かにお椀を下ろし、彼女が俺を見た。
「実際にお弁当を販売して、ですか?」
「うん。難しいか?」
「いえ。残ったものをタッパーに詰めるだけなら残業になるほどの手間もありません。ですが、やはり販売時間によっては人手が必要です」
「販売時間か……」
「食堂を閉めてからお弁当を販売するとなると、やはり残業する方の夜ご飯になりますよね」
「あとは……コンビニ弁当代わりに買って帰る奴とか? 晩飯には変わらないな」
人件費が増えては、廃棄量が減っても利益にはならない。
「自動販売機みたいに無人で販売出来たらいいんだけど、設備投資に金かけたんじゃなぁ」
少ししんなりとした春巻きを噛むと、キュッと音がした。
「そうですね」
「それも試験期間中の課題だな。まずは、オーソドックスにランチで残った総菜を詰めて、食堂前で販売する。時間は、そうだな、ランチと少し被せてもいいかもしれない。昼飯を食べ損ねた奴なんかも買うかもしれないし」
「なるほど。ですが、その時間だと、持ち帰るまでに時間があるので、置き場所に困りませんか?」
「あー……、確かに」
「それから、決済方法ですね。食堂では現金か給与精算となっていますが、時間外となると現金のみになります」
「食堂では、どっちが多い?」
「給料日直後は現金、その後は半々で、給料日前の一週間は給与精算ですね」
課題はまだまだ山積だ。
だが、一つずつ解消していくしかない。
「なるほど。んじゃ、その辺の課題をまとめてくれるか? で、試験期間中に一つずつ潰していこう」
「はい」
椿と暮らす前は、仕事を持ち帰るのも、家で仕事のことを考えるのも当たり前の様だった。
だが、彼女と暮らし始めて、持ち帰るどころか考えもしなくなった。
椿と居ると、彼女のことばかり考えるから。
こうして仕事の話をしている今も、食事をする彼女の動きや、唇を目で追ってしまう。
「あの。お弁当の販売は私にさせてもらえないでしょうか」
「ん? いいけど――」
「――他の方たちでは残業になってしまいますし、私自身でデータを取りたいので」
「そうか。いいよ。販売の試験期間については、俺から上に許可をもらっておくよ」
「はい! ありがとうございます!!」
椿が碧い瞳を大きく見開いて、言った。
わずかに頬を膨らませ、口元を綻ばせて。
ちくしょー、可愛いな。
触れないと言った自分を呪いたい。
会社では常に真剣そのもので、笑うどころか気を抜いた表情すら見せない彼女の笑顔を知っているのが俺だけかもしれないと思うと、優越感に満たされた。
俺だけが知っている、椿の笑顔。
これからも、俺だけの前で笑っていてほしいと思う。
『是枝は、やなちゃんが自分の女だと安心したいんだろ?』
そうだ。
うん、そうだ。
俺は、安心したいのだ。
他の誰も知らないであろう椿の笑顔を見ることで、彼女は俺のものだと思いたい。
「椿?」
「はい」
「仕事、楽しいか?」
「はい! 大変充実しております!」
椿が力いっぱい答える。
「そうか」
嬉しかった。
椿が楽しそうで、良かった。
「椿」
「はい!」
「好きだよ」
「ぶへっ――!」
不意打ちの告白に、椿は色気のいの字もないような奇声を発し、酢豚を吹き出さないようにと手で口を覆っている。
「ぶへって……。あははははっ――!!」
俺は彼女の奇声がツボにハマり、腹を抱えて笑う。
椿は真っ赤な顔で悔しそうに俺を見た。
吹き出しかけて潤んだ碧い瞳で睨んでみても、誘われているようにしか感じない。
可愛くて可愛くて、愛おしい椿。
できるなら、この先もずっときみの笑顔を見ていたい。
そうか、と思った。
『お前もお前の幸せを考えてみたら?』
正解を見つけた気がする。
俺の幸せは、椿が笑顔でいること――。
「早く、俺を好きだって認めてよ」
結婚願望がないどころか、家族というコミュニティに嫌悪感すら持っていた俺が結婚することがあるとしたら、それはきっと、椿の笑顔が見たいからだろう。
椿が求めてやまない『家族』を手に入れた時の、喜ぶ笑顔を見たいから。
だから椿、早く俺を受け入れろ。