テラーノベル
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部屋の灯りは消えていて、月の輪郭も霞んでいた。
静かだった。
ずっと。
聞こえるのは、隣に座る日下部の呼吸と、どこか遠くの生活音だけ。
遥は、壁にもたれて足を引き寄せていた。
腕の中に抱えるようにして、自分を塞いでいる。
日下部は、その隣。何かを言いたげにして、でも口を開かない。
二人の距離は、掌一枚ぶん。
ふと、遥が呟いた。
「……なんで、何にも言わねえんだよ」
目を合わせることはなかった。
言葉に怒気はなかった。ただ、擦り切れた糸のように弱々しい。
日下部が、小さく答える。
「言ったら、壊れそうだったから」
沈黙が返る。
それが肯定なのか、否定なのか、遥は何も言わなかった。
代わりに、少しだけ体をずらして、日下部に寄った。
ほんの数センチ。それだけのことで、全身がぎこちなく震えた。
「……別に、おまえに優しくされたいわけじゃねえよ」
「けど──それでも、おまえに……」
続きはなかった。
遥は唇を噛み、俯く。
その喉が小さく上下するたび、息が浅くなるのがわかった。
「“触れたい”とか思うの、きっと俺の方だし」
「でも、それって……ダメなことだろ」
「おまえに触れてもらいたいなんて、思っちゃいけないんだろ」
日下部が、静かに顔を上げる。
その目には、怒りも哀しみもなく、ただ困惑と焦りだけがあった。
「遥……」
「だって、欲しいって思った瞬間に、壊れるんだよ」
「全部、俺が壊す。ずっと、そうだった」
「だから……近づかれると、逃げたくなる」
「でも、逃げても、苦しいんだよな」
ふっと、笑うような吐息が漏れた。
笑ったわけじゃない。もう、表情のつけ方さえ忘れたようだった。
日下部がそっと手を伸ばそうとしたとき、遥はわずかに肩を揺らした。
けれど、拒まなかった。
触れていいのか。
触れたら壊すのか。
壊れているのは、自分か、相手か。
何も言わず、ただ手の甲だけが重なった。
遥は、それを見ようともしなかった。
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