テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
遥の指先が、わずかに震えていた。重なった日下部の手に、何の力も返してこない。けれど、引こうとはしない。
それだけで、十分すぎるほど脆かった。
日下部はそっと問う。
「……逃げたいなら、逃げてもいい」
遥は少しだけ顔をそむけた。
表情は見えなかったが、その声に、微かに笑いのようなものが混ざった。
「逃げてるよ。とっくに……おまえからも、自分からも」
「なのに……追ってくんなよ。どこまで来る気だよ、おまえ」
息が詰まるような間。
その沈黙に、遥は耐えきれなかったように、ぽつりと落とす。
「……抱いてほしいなんて、思ったことねえよ」
「ただ……誰かに、自分を壊してほしかっただけで」
「どうせ俺なんか、欲しがった瞬間に、加害者だって言われる」
「それなら、壊される側のままの方が……マシだろ」
声はかすれ、喉の奥で呑み込まれそうだった。
日下部は何度も言葉を探し、それでも、出てきたのは単純な問いだった。
「それ、本気で思ってるのか?」
遥は答えない。
答えたくなかったのか、できなかったのか──それすら分からないほど、言葉の輪郭は曖昧だった。
「なあ、遥。俺、おまえのこと、もっと知りたいって思ってるよ」
「過去のことも、家のことも、俺にできることなんて何もないかもしれないけど……それでも、“今”のおまえに触れたいって思うのは──贖罪じゃねえから」
遥のまぶたが、ぴくりと動いた。
けれど、顔はあげない。
その一瞬の揺れに、日下部はさらに一歩、言葉を進めた。
「欲しがることが全部悪いなら……おまえはずっと、誰にも何も言えねえままなんじゃねえのか」
「俺にだって、“欲しがってほしい”って思うくらいの──傲慢さくらい、あってもいいだろ」
遥の喉が、ゆっくりと上下した。
その吐息には、怒りも、涙も、何もなかった。
ただ、疲れきった魂がようやく少しだけ、心臓の鼓動を思い出したかのようだった。
「……やめろよ。そんなこと言うと……ほんとに、すがりたくなるだろ」
「俺、もう、誰かにすがったら──その人のことも、また壊すから」
そう言った遥の声が、ほんのわずか、震えていた。