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宙
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空乃 美晴
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王都命令書の写しは、翌朝になってようやく読める状態になった。
八年前の紙は端が崩れ、文字も薄い。
レーネは別の保管簿と一行ずつ照合しながら、欠けた部分を補っていった。
「ここ。添付七四」
記録室の机を、シュエルとサンタナが挟む。
《停止条件研究日誌・最終頁》
その下には、押収時に作られた転記が残っていた。
シュエルは声に出して読む。
「『庭園の生命反応が規定値を三度下回った場合、鋼の城を停止する』……」
革表紙に縫われていた前半。
旧温室の日誌にあった記述。
そして、母の記憶が残した言葉。
全部が同じ意味を指していた。
「三度目なら、城を止めて」
シュエルは呟いた。
レーネが古い庭園記録を三冊並べる。
「八年前までに二度、規定値を下回っている。そして現在の北庭園」
シュエル自身が毎日記録してきた数値を重ねた。
月白草。
城壁蔦。
薬草区画。
どれも基準を大きく割っている。
「三度目です」
サンタナの顔から表情が消えた。
「じゃあ、本来なら今、城を止めなきゃいけない」
「そういう約束だった」
レーネは次の紙をめくった。
「問題は、その約束がどうして誰にも知られていないのか、ということよ」
命令書の後半には、さらに別の指示が続いていた。
《停止誓約に関する公文書を廃棄》
《関係者の該当記憶を記憶硝子へ移管し、封印保管》
シュエルは何度も読み直した。
「記憶を……移した?」
「全部ではないみたい」
レーネが指で欄を追う。
「会議、停止条件、命令に関する部分だけ。だからサンタナも八年前の出来事そのものは覚えているのに、肝心なところだけ抜けていた」
サンタナは無意識に額へ手をやった。
「俺が思い出せないのは、俺のせいじゃなくて……」
言いかけて、彼は首を振る。
「いや。扉を見落としたのは俺だ。でも、そのあとの記憶まで誰かに消されてたのか」
シュエルは彼を見た。
過ちを認めることと、背負わなくていい罪まで背負うことは違う。
「そこは分けて考えましょう」
サンタナはしばらく黙り、それから小さくうなずいた。
*
「それは公開するべきだ」
昼前、記録室へ呼ばれたトレヴァーは、資料を一通り読むと即答した。
城の改革を担当する若い貴族だという。
立派な上着を着ているのに、机へ身を乗り出す姿には妙な気取らなさがなかった。
「停止条件を隠した結果、庭園がここまで枯れているんだろう? なら古い隠蔽まで含めて公にしたほうがいい」
「許可をいただけますか?」
レーネが確認する。
「ああ。資料庫の閲覧制限も外そう。必要なら俺の名で――」
そこで扉が叩かれた。
伝令兵が、一通の封書を差し出す。
「王都から、至急です」
トレヴァーが封を切る。
読むにつれ、彼の表情が変わった。
「何と?」
サンタナが聞く。
「……鋼の城の稼働停止を認めない」
トレヴァーは紙を机へ置いた。
《北部防衛結界の停止は国境守備を著しく損なう》
《停止誓約に関する資料の外部公開を禁ずる》
《関係区画を直ちに保全封鎖せよ》
「保全?」
シュエルは紙を見た。
「八年前も、同じような言葉で消したんじゃないですか」
トレヴァーの眉が寄る。
「俺もそう思う。だが、国境に兵が十分いるわけじゃない。結界を止めて、その日に何か起きたら――」
「だから、枯れている原因を放置しますか?」
「そうは言ってない」
「では、何をしますか?」
すぐには答えが返らなかった。
トレヴァーは公開を支持していた。
それでも王都の命令と防衛の話が出た途端、迷い始めている。
レーネが静かに口を挟んだ。
「結論の前に、もう一つ見ていただきたい資料があります」
彼女が押収目録の控えを開く。
「八年前、記憶硝子が一枚、正規台帳とは別に作られています」
そこにはシュエルの母の署名があった。
《誓約会議記録・複製》
《公文書消失時の照合用》
シュエルの指先が震えた。
「母さんが……複製した」
「その夜、協力者一名へ渡された記録もある」
レーネが続ける。
「城外へ運び出す途中で警備に発見され、庭園付近で硝子が破損。大部分は回収」
サンタナが息を止めた。
「庭園……」
八年前。
封鎖扉。
通り抜けた誰か。
何かが割れる音。
「俺が追った人だ」
彼は掠れた声で言った。
「抱えてたのは、記憶硝子だった」
シュエルも同じ結論へたどり着く。
「そして、回収されなかった一片が――」
城へ来た最初の日。
枯れた月白草の根元。
「私が拾った硝子」
八年前のサンタナの見落とし。
母が残そうとした記録。
庭に埋もれた破片。
黄昏の映画館で見た映像。
別々だったものが、一つにつながった。
*
夕方になっても、トレヴァーは結論を出さなかった。
「王都ともう一度話す」
彼はそう言い残して記録室を出た。
シュエルたちは、日没前に黄昏の映画館でもう一度記憶硝子を確認することにした。
だが地下へ続く管理棟の前で、サンタナが足を止める。
昨日までなかった兵が二人、扉の前に立っていた。
扉には太い鎖が巻かれ、その上から新しい封印札が貼られている。
「何ですか、これ」
シュエルが問う。
兵は目を合わせなかった。
「王都からの保全命令です」
「トレヴァーは?」
「封鎖を承認されました」
沈みかけた夕陽が、地下へ続くはずの細い採光窓を赤く染めていた。
黄昏の映画館は、再び閉ざされた。
コメント
1件
ついに繋がりましたね……! 八年前の約束、記憶硝子、母の複製、そしてシュエルが拾った一片。全部が一つに収束する瞬間、鳥肌が立ちました。サンタナが「俺のせいじゃなくて」と言いかけて首を振るところ、彼の罪悪感の重さと、それでも前に進もうとする強さが伝わってきて胸が詰まりました。最後の封鎖も絶望的なのに、逆に「ここからどう動くんだろう」と続きへの期待がぐっと高まります。