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#一次創作
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#相談部屋
放課後の相談室は、いつもより少し静かだった。
窓の外では運動部の声が聞こえている。廊下を走っていく足音も、時々近くを通る。
日下部は机の上に置かれたプリントを眺めていた。
そこへ、一人の生徒が入ってきた。
「日下部、今いい?」
「いいよ」
生徒は椅子に座った。
けれど、座ったまましばらく何も言わない。
話すことを決めてきたはずなのに、いざ口にしようとすると、どう説明すればいいのか分からなくなったようだった。
「……昨日、友達と話してて」
「うん」
「帰ってから、ずっと気になってることがある」
生徒は自分の手を見た。
「俺の言い方、失礼だったかなって」
日下部が顔を上げる。
「何かあった?」
「それが……覚えてない」
「覚えてないのに気になってるのか?」
「言葉そのものは覚えてる。でも、その時の言い方が……」
「普通に言ったつもりだったけど、あとから考えたら冷たく聞こえたかもしれない、って感じ?」
「そう」
生徒は少し安心したように頷いた。
「友達は何か言ってた?」
「普通だった」
「じゃあ、余計に分からないんだな」
「うん」
生徒は苦笑した。
「普通だったからこそ分からないんだよ」
「もし怒ってたら、まだ分かりやすいもんな」
「そう。でも、普通に『じゃあまた明日』って帰ったから……そのあとで、実は嫌だったんじゃないかって」
「帰ってから思い出した?」
「うん」
生徒は膝の上で手を組み直した。
「もっと柔らかく言えばよかったかなとか。あの言葉じゃなくて、別の言い方があったんじゃないかとか」
「何回も思い返した?」
「……何回も」
「そうなると、どんどん細かいところまで気になってくるな」
「そう。声の感じとか、相手の顔とか」
日下部は小さく息を吐いた。
「それ、結構しんどいな」
「うん」
「友達に何か送ろうとは思わなかった?」
「謝ろうか迷った」
「でも、送れなかった」
「うん」
生徒は少し困ったように笑った。
「『さっきの言い方失礼だった?』って聞くのも変かなって。そんなこと聞いたら、相手も『え、別に……』って困るかもしれないし。逆に、俺が気にしてるって分かって、気を遣わせるかもしれない」
「そこまで考えると、何も送れなくなるな」
「だから、結局何もしないで、ずっと考えてる」
日下部はしばらく黙った。
答えを急がせるようなことはしなかった。
生徒の方も、少しずつ言葉を探している。
「答えが欲しいのに、聞くのも怖いんだな」
「……うん」
「もし『ちょっと嫌だった』って言われたら?」
「……無理」
「そりゃ怖いか」
日下部はそれ以上、問い詰めなかった。
生徒は少し俯いた。
「聞かなければ、少なくとも答えは分からないままでいられるから」
「でも、その代わり自分の中で答えを作ってしまう」
生徒が顔を上げる。
「……そう」
「しかも、悪い方に」
生徒は苦笑した。
「それ、めちゃくちゃある」
日下部は机の端を指で軽く叩いた。
「一つだけ、分けて考えた方がいいと思う」
「何を?」
「『失礼だったかもしれない』と、『失礼だった』」
生徒が黙る。
「……違う?」
「全然違う」
生徒は黙って聞いている。
「昨日のことを今考えても、相手がどう思ったかは分からない。だから『もしかしたら』まではいい。でも、そこから『きっと嫌だった』『たぶん傷つけた』って決めるのは別だろ」
「でも、可能性はある」
「ある」
「……認めるんだ」
「分からないものは、分からないままでいいと思う」
生徒が少し驚いた顔をする。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「毎回、自分の言葉を完璧にするのは無理だろ」
「でも、できるだけ失礼になりたくない」
「それは普通だと思う」
「じゃあ、気にするのは悪くない?」
「気にすること自体は悪くない」
日下部はそこで言葉を切った。
「ただ、気にしたあとに、自分を責め続けなくてもいい」
「……」
「本当にまずかったと思ったなら謝ればいいし、そこまでじゃないなら、次に会った時に普通に話せばいい」
「それだけ?」
「うん。それで十分なこともある」
「でも、まだ気になる」
「気になるなら、少し様子を見ればいい」
「様子?」
「次に会った時、相手が普通に話してくるか。前と変わらないか。それくらいでいいと思う」
「それで分かる?」
「全部は分からない」
生徒がまた黙った。
「全部分からないんだ」
「相手の頭の中なんて、誰にも分からないだろ」
「……それ、嫌だな」
「まあ、そうだな」
日下部は少しだけ笑った。
「でも、分からないからって、全部悪い方に決めなくてもいい」
生徒はしばらく黙っていた。
「俺、相手の気持ちをちゃんと考えたいだけなのかと思ってた」
「違うのか?」
「考えたいっていうより……確かめたいのかもしれない」
「何を?」
「嫌われてないか」
その言葉が出るまでに、少し時間がかかった。
「失礼だったか気になるのも、相手が嫌だったか知りたいから。でも、聞くのが怖い。だから一人で考えて、相手の反応を勝手に予想して……」
「自分で答えを作ってる?」
「うん」
「しかも、だいたい悪い方に」
「……そう」
日下部は頷いた。
「それ、相手の気持ちを考えてるようで、実際には自分を責め続けてるだけになるぞ」
生徒の表情が少し変わった。
思い当たることがあるのだろう。
「……昨日もそうだった」
「ずっと考えてた?」
「うん。家に帰ってから、ずっと自分の言い方を思い返してた」
「それで何か分かった?」
「……何も」
「じゃあ、そこから先は考えても増えないだろ」
「でも、止められない」
「無理に止めなくてもいいと思う」
「え?」
「『また考えてるな』って気づいたら、それ以上の判定をしない」
「判定?」
「『俺が悪い』『嫌われた』『失礼な奴だと思われた』ってところまで行かない」
生徒はゆっくり頷いた。
「昨日の自分の言い方が気になる。それだけにしておく」
「……それだけ?」
「それだけ」
簡単なようで、難しい。
けれど、「気になった」という事実と、「だから嫌われた」という結論を分けるだけなら、できるかもしれない。
「じゃあ、もし本当に失礼だったら?」
「その時は謝ればいい」
「相手が何も言わなくても?」
「自分で気づいたなら、必要なら謝ればいい」
「でも、毎回謝ったら?」
「何でも謝るのも違うだろ」
「……難しい」
「人間同士なんだから、全部正解にする方が無理だ」
生徒はしばらく黙っていた。
それから、少しだけ笑った。
「友達って、もっと簡単だと思ってた」
「最初はな」
「続くと?」
「難しい」
「日下部でも?」
「俺でも」
その答えが意外だったのか、生徒は少しだけ肩の力を抜いた。
「じゃあ、俺だけじゃないんだ」
「そりゃそうだろ」
「……なんか、それならちょっと安心する」
生徒は立ち上がった。
ドアの前まで行ってから、また振り返る。
「今日、帰ってからまた昨日のこと思い出したら」
「うん」
「『失礼だった』じゃなくて、『失礼だったか気になってる』って考える」
「それでいい」
「それでも気になったら?」
「明日、友達に会ってから考えればいい」
「今の俺には、それくらいでいいか」
「うん」
生徒はドアを開けた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ドアが閉まる。
静かになった相談室で、日下部は椅子に座り直した。
誰かを傷つけたくないと思うこと自体は、悪いことではない。
自分の言葉を振り返ることも、相手を大切にしたいからこそ生まれるものだ。
ただ、振り返ることと、自分を裁き続けることは違う。
相手が何も言っていないうちから、「きっと嫌だった」と決めてしまえば、相手の気持ちを想像しているつもりで、自分の中に答えを作ってしまう。
言葉は、いつだって完璧にはならない。
だからこそ、失敗したと思った時には謝ればいい。
何も起きていないなら、何も起きていない時間も、そのまま信じていい。
分からないことを、全部「自分が悪かった」にしなくてもいい。
コメント
1件
ああもう、わかる〜!!😭💕 つい人と話した後に「あれ失礼だったかな」って無限ループしちゃうの、完全に私の日常だよ…。日下部の「失礼だったかも」と「失礼だった」は違うって言葉、めっちゃ沁みた。相手の気持ちを想像して自分を責める前に、「今はそう思ってるだけ」って一旦止まっていいんだって気づかされた。優しい話をありがとう、ruruhaさん…!次話も楽しみにしてるね🌸