そして、月曜日が来た。
今日は、美宇が青野朔也の工房で初めて働く日だ。
少人数の職場は初めてなので、美宇は少し緊張していた。
それもそのはず、雇い主に一目惚れしてしまったのだから、いつも通りにはいかない。
緊張をほぐそうとしながら、美宇は朔也の工房へ向かった。
アパートを出て、カフェの向こう側の通りに出る。
カフェの角を曲がろうとしたその時、突然声がした。
「もしかして、朔也さんの工房に来た方ですか?」
驚いて振り返ると、30代半ばくらいの女性が笑顔で立っていた。
彼女はカフェの玄関前を掃除していたようだ。
「そうです。どうして分かったんですか?」
「さっき、裏のアパートから出てくるのが見えたの。初めまして、ここでカフェをやってる曽根綾(そねあや)です」
「初めまして、七瀬美宇です」
「驚かせちゃってごめんね。朔也さんは、うちの夫の大学の一年先輩なの。工房に新しい人が来るって聞いてたから、もしかしてと思って声をかけちゃった」
「そうだったんですね」
美宇はようやく納得した様子だった。
「今夜、うちのカフェに来るんでしょう? 楽しみにしてるわ」
「はい。よろしくお願いします」
「じゃあ、初出勤、頑張って。朔也さんはすごく優しいから、心配しなくて大丈夫よ」
緊張で少し表情が硬い美宇を、綾が励ました。
「ありがとうございます。頑張ります!」
美宇は微笑んで小さくガッツポーズをし、ぺこりとお辞儀をしてから工房へ向かった。
工房はカフェから100メートルほどの距離で、本当にすぐ近くだった。
これなら、雪が積もっても徒歩で通えそうだ。
工房はまだ新しく、外壁は落ち着いたブラウンのガルバリウム鋼板で覆われている。
とてもモダンな造りだ。
建物は二階建てで、上の階は住居スペースのようだ。
入口には外壁と同じ色合いのウッドデッキがあり、建物の前には車が10台ほど停められる駐車場もある。
屋根には煙突があるので、薪ストーブが使われていることがわかる。建物の脇の軒下には、薪がたくさん山積みになっていた。
(思ってたよりも立派な工房……)
北の海沿いにあると聞いて、隙間風が吹き込むような質素な建物を想像していた美宇は、予想以上に立派で現代的な建物を見て、ほっとした。
(よしっ、頑張るぞ!)
一度立ち止まって気合を入れた美宇は、ウッドデッキの階段を上り、工房の扉を開けた。
「おはようございます」
元気な声で工房に足を踏み入れると、コーヒーの香りがふわりと鼻をくすぐった。
奥から朔也の声が響く。
「おはよう。今日からよろしくね」
朔也はマグカップを二つ手にして、美宇の前までやって来た。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
美宇は深々とお辞儀をする。
そのかしこまった様子に、朔也は笑いながら言った。
「最初からそんなに気合を入れたら疲れちゃうよ。もっとリラックスして」
「はっ、はい」
「じゃあ、まず仕事の説明をするから、そこに座ってください」
言われた通りに、美宇は大きなテーブルの隅の椅子に腰を下ろす。
工房内を見渡すと、室内は山小屋のように洒落た造りだった。
壁には棚が二つあり、一方には乾燥中の陶器が並び、もう一方には道具類や本、朔也が作ったオーシャンブルーの作品が飾られている。
部屋の隅には薪ストーブがあり、反対側の壁には大きなガス窯が二つ。
中央には大きなテーブルが二つ置かれ、ひとつは陶芸教室用、もうひとつは朔也の作業台のようだ。
朔也は美宇の前にコーヒーを置き、言った。
「飲みながら聞いてください。まず、陶芸教室は、月、水、金の週三日です。常連の生徒さんに加えて、たまに海外からの観光客が一日体験に来ることもあります。ちなみに、英語は話せる?」
「日常会話くらいで、あまり自信はないです……」
「大丈夫。通訳が必要なときは僕がやるので、遠慮なく言ってください」
「はい」
「教室は、午後一時から四時までの三時間ね。それ以外の時間は、僕のアシスタント業務をしてください」
「はい。具体的には?」
「注文品の制作を一緒にやったり、土練りや釉薬の調合……あ、土練機はあそこにあるからね」
「わかりました」
「あとは、生徒さんの作品をガス窯で焼いたり、ネットショップの商品の発送とか……あ、郵便局はこの並びにあるけど、分かる?」
「さっき歩いてきたときに見ました」
「近くて便利でしょ? あとは、工房の掃除とか……細かいことはおいおい説明します。とりあえず、今日は午後から教室があるので、さっそく講師をお願いしようかな? 」
「分かりました。生徒さんは何人ですか?」
「お、そうだった……」
朔也はそう言って立ち上がると、生徒の名簿を取りに行く。
そして、ファイルをパラパラとめくりながら戻ってくると、言った。
「今日は四人だね。長く通ってる常連さんばかりだから、心配しなくても大丈夫だよ。みんな慣れていて、自分たちで動いてくれるから」
「わかりました」
「じゃあ午前中は、まず工房内の道具の場所を覚えてもらおうかな。そういえば、最近ろくろって触った?」
「いえ……もう三ヶ月くらい触ってません」
「前のスクールでは、たまに教えてたんだよね?」
「はい、ピンチヒッターのときだけですが」
「なるほど……じゃあ、久しぶりにやってみる?」
「え? いいんですか?」
「もちろん。講師が土に触っていないのも変だからね」
「ありがとうございます」
窓側には電動ろくろが五台並んでいた。
その向かいの角にはもう一台ろくろがあり、それは朔也専用のようだ。
朔也がテーブルに土を持ってきてくれたので、美宇はさっそく菊練りを始めた。
その手つきを見ながら、朔也が口を開いた。
「なかなかいい手つきだね」
「ありがとうございます」
華奢な身体で、美宇は力を込めて土を練り続けた。
ほどよい硬さになったところで、美宇は電動ろくろにその土を思い切り打ち付けてから、さっそく粘土を上下に伸ばし始める。
そこへ、朔也が水の入った器と道具類を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「うん、中心はしっかり取れてるね。じゃあ、まずは好きなものをいくつか作ってみて。あ、ここで使う自分用のマグカップも作ってもらおうかな」
「はい」
美宇は、久しぶりに触れる土の感触に心が躍った。
土を自在に操りながら、これこそ自分が本当にやりたかったことだと改めて実感する。
(楽しい……やっぱり陶芸が好き……)
自然と美宇の顔に笑顔がこぼれる。
そんな彼女を見つめながら、朔也も穏やかに微笑んでいた。
コメント
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滑らかな土の手触り 菊煉 ろくろの回る音 そして朔也様のほはえみ 美宇ちゃんの一作目 どんな作品になるのかな? マグもペア? 今日も楽しみに続き待ってます(*'▽'*)
美宇ちゃんの通勤が近くて優しい綾さんにも出会えて素敵な和が広がる美宇ちゃん❣️ やっぱり北海道に来てよかったね💞 そして親身に仕事を教えながら自分のマグカップも作ってって言う朔也さんの優しさと、陶芸の楽しさを再認識して笑顔になる2人の空間に和むわ〜🌈💕

美宇ちゃん、またまた素敵な人と出会えましたね。 綾さんって蓮さんの奥さまですよね、きっと。 素敵な人とどんどん出会ってる美宇ちゃん。 そして大好きな陶芸を仕事にできて😊 幸せまっしぐら〜であってほしい。