その日岳大はカフェでの執筆の後、自室に戻ってからも原稿を書き続けていた。
納得のいく内容に仕上がった時は既に夕方になっていた。
岳大はノートパソコンを閉じて大きく伸びをした後、飲み物でも買おうとフロント脇の自動販売機まで行った。
すると、ちょうど優羽が外に出て行くのが見えた。
缶コーヒーを買った岳大はそのまま山荘の玄関まで歩いて行き、駐車場を歩いている優羽を目で追う。
優羽は山荘の車に乗り込むとどこかへ出かけて行った。
(買い物かな?)
岳大がそう思っていた所へ紗子が近づいて来て言った。
「流星君のお迎えに行ったんですよ」
「ああ、それで…彼女はお子さんを抱えて頑張っていますね…」
「ええ、健気でしょう? 彼女シングルマザーなんですよ」
それを聞いた岳大は一瞬「えっ?」という顔をした。
「ここに来る前は東京で一人で頑張っていたみたいで。最近信濃大町のご実家に帰って来たみたいで、それでうちの募集に応募
してきたの」
紗子は岳大が聞いてもいないような事を話し始めた。
(東京…それでか……)
その時岳大は、新宿で優羽が岳大のポスターを見たと言っていたのを聞き不思議に思っていたが、
それは優羽が東京に住んでいたからなのだと知って納得した。
また岳大は、優羽がたまに見せる寂し気な表情が少し気になっていたが、
今の紗子の話を聞きその理由がわかったような気がした。
その夜も、岳大の仕事仲間はまだ到着していなかったので岳大は一人で食事の席に着いた。
すると、隣に座っていたグループの一人が岳大の事を知っていたようで、すぐに声をかけて意気投合する。
その後、岳大が有名な山岳写真家だという事を知った他の登山客達が話に加わり、食堂は一気に賑やかな宴会となった。
優羽は楽しそうに盛り上がる宿泊客達へ、次々と食事を運んでいった。
山という共通の趣味で盛り上がる彼らを見て、優羽は見ず知らずの人同士をあっという間に繋げてしまう山の魅力に、
正直驚いていた。
この宿に泊まる登山客達は、登山上級者の人が多い。
彼らは山を愛し、敬い、そして自然に対して常に敬意を持っている。
そして誰に対しても平等で分け隔てなく優しい。
そんな優しい人達を虜にしてしまう山の魅力とは一体何なのだろう?
その魅力を、いつか優羽も知りたいと思った。
楽しいいひと時を終えた岳大は、部屋に戻ると再び画像処理を始める。
夢中になって作業をしていたら、あっという間に午後九時を過ぎていた。
そろそろ温泉にでも入ろうと、着替えを手にし浴場へ続く階段を降りて行った。
ラッキーな事に温泉は貸し切りだった。
先ほど食堂にいた人たちは、まだ部屋で宴会中なのだろう。
岳大は汗を流した後外の露天風呂へ行き、ゆっくりと温泉に浸かる。
そしてフーッと息を吐くと、満天の星空を眺めた。
その時、隣にある女性用の露天風呂から声が聞こえてきた。
「ぼくね、きょうはね、だいきくんとでんしゃごっこをしてあそんだんだよ」
「へぇ、電車ごっこをしたの…それは楽しそうね。どんな電車に乗ったの?」
「うん、あのね、このまえママとのった、まちゅもといきのでんしゃなの」
「じゃあ、新宿駅から乗ったのね」
「うん! だいきくんはしんじゅくえきにいったことがないんだって。だからぼくはしんじゅくえきはすっごくおっきいんだよ
っておしえてあげたんだ」
その声は優羽と流星だった。
二人の会話を聞いた岳大は思わず笑みを浮かべる。
流星が一生懸命母親に話す様子が愛らしい。
また流星の話にじっと耳を傾け、優しく受け答えをしてやっている優羽の声にも癒される。
その時岳大はこう思った。
優羽はどういう経緯でシングルマザーになったのだろうか?
その時の岳大は、なぜかそれが気になっていた。
二人の声を聞きながら、岳大は再び夜空を見上げた。
今日は雲一つない快晴で天の川がはっきりと見えている。
(風呂から上がったら、駐車場から星の写真でも撮ってみるか…)
岳大はそう思った。
温泉から上がった優羽は、流星を寝かしつけた後フロントで事務作業をしていた。
それが終わると、ふと車の中に保育園からのお知らせを置き忘れた事に気付く。
そして、それを取りに行く事にした。
駐車場の一番隅に停めてある車へ向かうと、暗がりに誰かがいるのが見えた。
それが岳大だと気づき優羽はホッとする。
岳大の傍には、三脚に固定されたカメラが置いてあった。
カメラに詳しくない優羽でも、それがかなり高価なカメラであるという事はわかった。
優羽は岳大の撮影の邪魔をしないようにと、少し回り道をしてから車へ向かう。
その時岳大が優羽に言った。
「忘れ物ですか?」
「あっ、はい…保育園のプリントを車の中に忘れてしまって。撮影ですか?」
「うん。今夜は星が綺麗だから、星空をバッグにした山荘の写真を撮っていたんですよ」
岳大はそう答えると、満天の星空を見上げた。
山上山荘のホームページには、星空をバッグにした山荘の写真がアップされている。
あの写真もおそらく岳大が撮ったものなのだろうと優羽は思った。
優羽も夜空を見上げた。
夜空には無数の星が散りばめられている。そして天の川もうっすらと見えた。
優羽はこの地で生まれ育ったので、星空はそれほど珍しくはなかった。
しかし東京で暮らしていた六年間はほとんど星が見えなかったので、久しぶりに見る故郷の星空に感動した。
「優羽さんは地元だから見慣れているでしょうけれど、僕ら東京人にはこの星空は奇跡以外のなにものでもないんですよ」
岳大はそう言って笑った。
「私、東京に六年住んでいたのですがその間ほとんど星が見えませんでした。だから久しぶりにこうして地元の夜空を見ると、
結構いいものだなーって思えますね」
そして優羽は気になっていた事を聞く。
「星空を撮るのって難しいですか?」
「そんなに難しくないですよ。こんなに美しい星空なら誰だって綺麗に撮れます」
「そうなんですか?」
「撮ってみますか?」
岳大はそう言うと、優羽にこっちへ来るよう手招きをする。
優羽が傍まで行くと、岳大は簡単に説明した。
「カメラの設定はしてあるのであとはピントを合わせてみてください。そう、そのレンズの輪っかを回して。画面に映っている
星粒がぼやけずに引き締まった「点」になるよう合わせてみて下さい」
優羽は言われた通り、真剣にレンズを回す。
するとぼやけていた星像がくっきりと引き締まる。
そこで岳大がカメラのレリーズを優羽に渡して、スイッチを押すように言った。
優羽はスイッチを押してみる。その時、カシャッ! という音が静けさの中に響いた。
岳大は今優羽が撮った写真をカメラのライブビューで見せてくれた。
そこには、キラキラと輝く無数の星と共に天の川の一部が写っていた。
「凄いわ!」
「上手く撮れましたね。優羽さんが初めて撮った記念すべき星空ですよ。これに画像処理を加えるともっとクリアになります。
後で私が加工してプレゼントしますからその時までお楽しみに!」
「ありがとうございます。楽しみにしています」
優羽は嬉しさのあまり少し興奮した様子で岳大に礼を言った。
その後二人は星に関する会話で盛り上がる。
優羽は星座に詳しかったので岳大に星座の位置を教えてあげた。
二人は時折笑い声を交えながら、しばらく星談議を続ける。
夜空は満天の星空で輝いていた。
二人は眩しいほどの星明かりに照らされている。
その時、一筋の痕跡を残して流れ星が流れて行った。
夜空を見上げていた二人は同時に「あっ」と声を上げ、その後一緒に笑った。
そんな二人の様子を、玄関から山岸夫妻が微笑んで見守っていた。
初夏の優しい風が心地よい、星の綺麗な夜だった。
コメント
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満天の夜空を2人で観るなんてロマンティック🌌🌌🌌山岸夫妻ホントに温かい温もりを感じる…流星くん新宿発松本行きあずさは8時出発だったのよ。今はないはずだけど😂😅😅
満天の星空の下で弾む2人の会話✨天の川🌌流れ星🌟ロマンチック⤴️⤴️⤴️🤭💕💕💕2人を優しく見守る山岸夫妻🍀🍀🍀あぁ~素敵(*´艸`*)✨
山岸夫妻はきっとこれから始まるであろう3人のこれからに、期待を膨らませて微笑んでいたんだろうな𓂃𓂂𓇬 𓋪