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「愛妻弁当はどうしたんだよ」
十二時五分。
俺は不機嫌さを隠すことなく、じとっと谷を見た。
「今朝は寝坊してさ」と言う谷の機嫌のいいこと。
「新婚でもないだろ」
「関係ないだろ」
「マンネリとかないのかよ」
「ないな」
「朝起きれないほど盛り上がるんなら、そうだろうな」
バカップルめ、と思った。
「マンネリになるほど女と続いたことのない奴には、わかんねーだろ」
ニッと口角を上げて幸せそうに笑う谷に、イラッとする。
朝、エレベーターで鉢合わせた谷に、昼飯に誘われた。
食べに出るのかと思ったら、社員食堂。
うちの社食は職員と同伴ならば社外の人間も利用できて、ランチミーティングにも使われるから、いつも混んでいるイメージがあって、俺は年に一、二度しか利用しない。
「この前、うちの社食使ったお客さんに、めちゃくちゃ美味かったって言われたんだけど、俺、最後に食ったのいつか思い出せないくらいしか行ったことなくて。しかも、改装したんだろ? 話のネタに、食ってみようと思ってさ」
「混んでるだろ」
「いや、それがさ? 予約できるって知ってたか? 俺も課の奴に聞いて知ったんだけど」
「へぇ」
知らなかった。
「だから、予約しておいた」
我がFree Style Production《フリースタイルプロダクション》では、その名の通り自由な発想に基づいて、多岐に渡る商品開発をしている。
それを大きく三つに分類すると、食品部門、雑貨部門、美容部門となる。
谷は雑貨部門を担当する、営業二課課長。
例えば、卸売店のオリジナル商品や、オープン記念のノベルティなんかの開発、製造、販売。
「金曜のトラブルは解決したのか?」
「ああ。結局、空輸にした。念のために代替品の確保で週末潰れたけど、間に合ったわ。利益ないけどなぁ……」
「時間に余裕がなさすぎなんだろ」
「だよな。今回は三課の商品だけどショップバッグだったから俺らで走り回ったけど、これが化粧品とかだったらどうにもできないし、焦ったわぁ。納期に関して、厳格化する方向で溝口部長が契約書の修正するって言ってた」
社食は二階にある。
二階の半分は社食で、半分は打合せ用のミーティングブースが三か所。他には、五台の自動販売機。
混雑しないように、エレベーターを降りて社食とミーティングブースは反対方向にある。
エレベーターを降りて一部ガラス張りの食堂を横目に奥に進むと、入口がある。
「へぇ、食堂って言うよりカフェだな」と、谷が全体を見渡して言った。
谷の言う通り、二人掛けや四人掛けのテーブルが等間隔に並べられ、奥には窓沿いにカウンター席。
「えーっと、食券か?」
社食初心者も同然の俺と谷は、キョロキョロと様子を伺う。
「お疲れ様です。席は予約されていますか?」
テーブルを拭いていた女性が駆け寄ってきた。五十代前半と言ったところか。薄いブラウンのエプロンに三角巾という格好も、カフェ風だ。
「はい」と谷が答える。
「じゃあ――」と言って、入口横の壁際に置かれた三台のタブレットを指さす。隣にはタッチタイプのカードリーダー。
「――まず、ここに社員証をリーダーにかざしてください」
言われるままに、谷が社員証をリーダーにかざす。
タブレットに、『23』と表示された。
「これが席番号です。そして、メニューを決めて、タッチしてくださいね。その後でもう一度社員証をかざすと、社員価格が表示されて、現金払いか給与精算かを選んでOKボタンで確定です。給与精算なら、あそこの冷蔵庫からお水を持って、お席にどうぞ。現金払いならそこのレジでお会計してください」
「わかりました」
「23番の席はこの列の三番目です」と、女性は二人掛けのテーブルが並ぶ列を指さす。
「ありがとうございます」
俺と谷はタブレットをスクロールしてメニューを選ぶ。
和定食、洋定食、中華定食がそれぞれ二つと、ラーメンの味噌と醤油、うどん、そば、カレーライスが定番メニュー。後は、季節のメニューとして、冷やし中華があった。
俺は和定食A、谷は冷やし中華にした。
冷蔵庫から紙コップに入った冷えた水を取り、席につく。
見ていると、食事は運んでもらえるらしい。
てっきり、出来たら番号を呼ばれて取りにいくのだと思った。
「ホント、カフェみたいだな」
「改装する前は普通に食堂って感じだったよな」
「改装したのって――」
「――お待たせいたしました」
聞き覚えのある声に、ハッと顔を上げる。
「やな……ぎださん?」
「お疲れ様です」
注文の仕方を教えてくれた女性と同じエプロンと三角巾を身に着け、食事の載ったトレイを持って、柳田さんが立っていた。
「和定食Aをお持ちしました」
「あ、俺です」
「どうぞ」と言いながら、俺の前にトレイを置く。
「なんでここに?」
「私、社食と清掃を掛け持ちしてるんです。社食も総務の管轄なので」
「そうなの?」
「はい」
「やなちゃーん」
さっきの女性の声に、柳田さんが首を回す。
「あ、冷やし中華もお持ちしますね」と言って足早に戻って行ったと思ったら、トレイを持って戻って来た。
「冷やし中華です」
「ありがとう。掛け持ちなんて大変だね」と、谷が声をかける。
「いえ。ここの仕事、好きなので。では、ごゆっくりどうぞ。――とは言っても、あと十五分ですが」
十五分?
ペコッと頭を下げて仕事に戻った彼女の後姿を見ていたら、谷がズズッと麺をすすった。
「ここ、時間制限三十分だから」
「え? あ、それであと十五分て――!」
俺も急いで箸を持つ。
「ん。ホント、美味い」
キッチンが見える位置に座った俺は、時折柳田さんの姿を見つけては、目で追ってしまう。それでも、急いで食べなければと箸を進める。
「なんか、すごい人だな」と、谷が頬を膨らませて言った。
「ん?」
「柳田さん。若いのに社食と清掃の掛け持ちなんて。契約社員とか? どっちも拘束時間短いからできんのか」
「ああ、どうかな」
彼女の揺れる三つ編みを眺めながら、答える。
今夜は会えるだろうか。
会えたら、聞いてみよう。
「気になってるんだ?」
「ああ」と言って、鶏の照り焼きを頬張る。
「好きなんだ?」
「ああ」
二回ほど噛んでから、その動きが固まった。
「あ? は?」
今、なんて言った?
谷が、したり顔で俺を見ている。
ぶほっと吹き出しかけて、手で口を押さえた。
「さすがにデスクでは、やめろよ?」
「ほっ! ほんなんさ――」
「――焦り過ぎだろ。はははっ」
笑う谷の向こうに、彼女が見えた。
谷の声が聞こえたのか、こちらを見る。
気恥ずかしくて、思わず目を逸らす。
「お前には、ああいう子が似合ってるよ」
口を開くと鶏が飛び出してきそうで反論できない俺をよそに、谷は勢いよく麺をすすった。