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#海辺の町
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芽生を見送りに来たのは、町外れの小さな駅だった。
ここまで来ると海の匂いは薄い。それでも風の湿り気だけは、汐見町のものだとすぐ分かる。ホームには啓介と芽生、そして少し離れたところで義海と莉々夏が、気を利かせたつもりの不自然な背中を向けていた。
「見送り、二人でよかったのに」
芽生が笑う。
「義海たちが勝手に来ました」
「知ってます」
電車が来るまで、あと数分。
短いはずなのに、言いたいことが多すぎて、どこから口にしていいのか分からない。
啓介は結局、いちばん言いたかったことから先に言った。
「行ってきてください」
芽生が少し驚いた顔をする。
「引き留めないんですね」
「引き留めたいです」
啓介は正直に答えた。
「でも、芽生さんが見たいものまで、ここで止めたくない」
芽生の目が揺れる。
春の最初の日、石段でぶつかった時には想像もできなかった言葉だった。あの時の啓介は、守りたい気持ちを胸へしまったまま、うまく外へ出せない人だったから。
「帰ってきたら」
芽生が言う。
「次は私の番で言います」
啓介は聞き返さなかった。
意味を確かめたら、今ここで顔がもたない気がしたからだ。
電車の音が近づく。
遠くで義海が鼻をすすり、莉々夏が「まだ早い」と小声で叱っていた。
芽生は乗り込む直前、啓介のほうを振り向く。
「離れ、お願いします」
「はい」
「あと、プリン泥棒にも気をつけてください」
「まだ言います?」
「言います」
二人とも笑う。
その笑い方が、前よりずっと自然だった。
扉が閉まり、電車がゆっくり動き出す。
啓介は走らない。ただ、見えなくなるまで手を上げていた。
春休みの終わりは、別れではなかった。
それぞれが自分の足で次へ進むための、ちゃんとした始まりだった。