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#海辺の町
澄江が札を読むと決まった日、離れの中は久しぶりに慌ただしかった。
海花は読み札に合わせて絵の色味を調整し、絋規はお披露目用の写真配置を並べ替え、莉々夏は「本番に泣きすぎる人用」のハンカチ箱を勝手に用意していた。
「誰が泣く前提なの」
芽生が聞く。
「全員」
莉々夏が即答する。
義海は椅子を運びながら、早くも目を赤くしている。
「いやまだ泣いてない。これは潮風」
「ここ山門の中だけど」
蓮都が冷たく言う。
啓介はそんなやり取りを聞きながら、ようやく離れに笑い声が戻ってきたのを感じていた。
完全じゃない。けれど、止まっていたものが確かに動き始めている。
美恵は提出資料の最後の欄へ、新しく書き込んだ。
「現時点でも、利用希望者あり」
その横に、澄江の証言を簡潔にまとめる。
遙香も頷いた。
「これなら役場へ出せる。今の必要性、ちゃんと通るかもしれない」
その時だった。
枝央理が床板の一点にしゃがみ込み、顔色を変える。
「待って」
全員の動きが止まる。
枝央理は指先で板の継ぎ目を押した。かすかな沈み込みがある。
「ここ、新しく傷んでる。昨日までより進んでる」
さっきまでの賑やかさが、すうっと引いていく。
澄江が立ち上がりかけたのを、啓介がとっさに手で制した。
枝央理は冷静な声を崩さない。
「今すぐ崩れる感じじゃない。でも、このまま人を集めるのは危ない」
楽しげな準備の真ん中へ、現実が真正面から戻ってきた。
読み手は決まったのに、読む場所が揺らぎ始める。
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