コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
🌖坂窓ヶ段(さかまどがだん)
「……これ、さっきも通ったはずなのに、窓の中の“俺”、服が違う」
石段の途中に並ぶ、無数の小さな窓。
そのひとつに映るのは、今の自分とは違う服装をした自分だった。
しかも、窓の中の“自分”は、こっちを見て笑っていた。
駅名は坂窓ヶ段(さかまどがだん)。
降り立ったホームからすぐ、
町は存在せず、ひたすら石段が天に向かって続いていた。
古びた山道に沿って、等間隔に建てられた石の壁。
そのすべてに、ガラス窓のような開口部が並んでいる。
だが、窓の向こうに家はない。
ただ、“自分のような何か”がこちらを覗いている。
その石段を登っていたのは、
緒方 漣(おがた・れん)、22歳の大学生。
黒のパーカーにスキニー、ベージュのナップサックを背負い、
くせのある明るめの茶髪を無造作に結んでいる。
左耳にはシルバーのイヤーカフ。
「下に戻る道、もう見えないな……」
気づけば、どれだけ登っても終わりがなく、
一段一段がわずかに沈んでいる気さえする。
**まるで、“今いる段差ごと記憶が飲み込まれている”**ような感覚。
ふと、窓の中に目をやると、
見覚えのない服を着た“自分”が、知らない誰かと手を繋いでいた。
高校の制服。となりにいるのは見たことのない女性。
それでも、妙に懐かしい匂いがした。
> 「あの日、こうしてたら、違ったかもな」
その“窓の中の自分”が、そうつぶやいた気がして、
漣は足を止めた。
「……もしも、の話?」
次の窓には、スーツ姿の自分がピアノの前に座っていた。
指は傷だらけで、表情は泣きそうだった。
でも、たしかに彼は演奏を続けていた。
「これ……俺が選ばなかった人生?」
登り続けるほど、窓に映る自分は増えていく。
教師になった自分、髪を染めていない自分、
誰かの隣で笑っている自分。
ついには、今より幸せそうに見える自分が映った瞬間、
漣は、足を止められなくなった。
「戻れないのか……?」
すると、どこかから**“登ってはいけない”**という声が聞こえた。
だが、それが誰の声かはわからない。
それでも、気づけば彼の足は止まり、
窓のひとつに手を伸ばしていた。
ガラス越しの“自分”が、首を振っていた。
次の瞬間、石段が崩れた音もなく消え、
漣はホームに立っていた。
周囲は誰もいない。
ただ、自分の手の中に、小さなガラスのかけらが残っていた。
それを胸元で握ったとき、
かすかに、こんな声が聞こえた。
> 「今の君が、選んだ答えだよ。大丈夫。」