テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
八月最初の試験開催は、土曜の夕方、保管庫の前で始まった。
かつて祭具置き場だった場所は、掃除と修理を重ねたぶんだけ見違えていた。エルドウィンが組んだ簡易の台、ハルミネが張った布飾り、花屋から持ち出した小さな籠花。派手ではないが、通りの裏手にぽつんと置かれていた古びた空間が、「今夜はここで何かある」と分かる場所へ変わっている。
ジョンナが入口に立ち、古い祭りの由来を短く説明した。
「本当にあったことを、少し嘘っぽく。嘘みたいなことを、少し本当らしく。笑いながら町を歩いてもらう催しです」
「難しくない?」
通りがかった観光客の女性が首を傾げる。
「難しくありません。最後に『たぶん本当だ』と思えたら勝ちです」
ジョンナの返しに、周囲がくすりと笑った。
最初の語り手はドゥシャンだった。
本人はやけに胸を張っているが、始まる前から手が落ち着かない。何度も髪を撫で、何度も足を踏み替える。ハヤが花屋の入口から見ていると、エフチキアが小さく両手を振って合図を送った。ドゥシャンはそれでやっと息を吸い込む。
「これは去年の秋のことなんだけど」
彼は大真面目な顔で話し始めた。
「俺、守森神社の裏で、山の守り神に財布を貸したんだよ」
客席から、ええ、と半笑いの声が上がる。
「その日は雨で、坂道がぬかるんでて、俺は神社の掃除の帰りだった。そしたら、木の陰にずぶ濡れのやつが立っててさ。顔は見えない。けど困ってる感じだけはした。で、『財布を落とした』って言うんだ」
「神様なのに?」
前列の子どもが聞く。
「そこなんだよ。俺もおかしいなって思った。でも、困ってるやつ見ると放っとけないだろ」
「それで貸したの?」
「貸した。小銭しか入ってなかったけど」
客席が笑う。ドゥシャンは少し調子を取り戻し、声を張った。
「そしたら翌朝、神社の石段に、きれいに畳まれた手ぬぐいと一緒に財布が返ってきてた。中の小銭も、一円も減ってない。代わりに山ぶどうが入ってた」
「神様、礼が渋いね」
アンネロスが後ろから言い、また笑いが起きた。
話が終わると、ドゥシャンはもったいぶって間を置いた。
「……って、みんなには言ってたんだけど」
客席の空気が変わる。笑いのあとに、次を待つ静けさが落ちた。
「あとで分かったんだ。あれ、神様じゃなくて、神社の裏道で道に迷ってた登山客だった。財布じゃなくて、荷物袋をなくしてて、ずぶ濡れで、半分泣いてた。俺が渡した小銭で公衆電話使って、迎えが来たらしい」
「山ぶどうは?」
「迎えに来た人が、わざわざ神社にお礼を置いてった。手ぬぐいもその人の」
笑い声のあとに、へえ、という息が広がった。嘘みたいな話だったのに、最後は妙に現実の温度がある。聞いていた客の何人かは、話の終わりと同時に守森神社のほうを振り返った。
ジョンナがすぐに一言添える。
「神社の裏道には、昔から迷いやすい分かれ道があります。気になる方は、今夜のうちにどうぞ」
すると本当に、二組、三組と足がそちらへ向いた。
花屋の前では、エフチキアが「帰りに花も見てくださいね」と自然に声をかける。ハヤが入口に置いた小さな籠花にも視線が落ち、一輪包みがぽつぽつ売れていく。
大騒ぎではない。だが、人が立ち止まり、笑い、歩き出し、また別の店へ向かう。朝風通りに、忘れていた流れが戻り始めていた。
終演後、ドゥシャンは台の裏で力が抜けたように座り込んだ。
「死ぬかと思った」
「生きてるし、ちゃんと笑いも取れてた」
エフチキアが水を渡す。
「途中の山ぶどうで勝ったね」
アンネロスが肩を叩く。
「礼が渋いって、あそこは余計でした」
ジョンナは呆れたが、口元は少し緩んでいた。
ハヤは片づけをしながら、さっき客が神社のほうへ歩いていった背中を思い出していた。大きな看板もない、小さな台と短い話だけで、人の足が動いた。
嘘みたいな話に笑って、その続きを確かめたくなって、町を歩く。
その流れが、本当に商売になるのかは、まだ分からない。
けれど今夜、保管庫の前には、たしかに人の輪ができていた。
4
31
1,630