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試験開催の翌週から、花屋の注文に変化が出始めた。
大きな祝い花が急に増えたわけではない。供花の数が倍になったわけでもない。ただ、注文の理由に、これまで店ではあまり聞かなかった言葉が混じるようになった。
「仲直りしたくて」
「久しぶりに会うから」
「怒りすぎたお詫びに」
「ちゃんと話したいから」
それは、贈る場面そのものが少し柔らかい花束たちだった。
その日、最初の客は五十代くらいの女性だった。店へ入るなり、彼女は迷うように棚を見回し、やっとハヤへ言った。
「派手じゃなくていいんです。怒ってないって伝わるやつ、ありますか」
「怒ってない相手は」
「妹です」
ハヤは少し考えて、白いトルコキキョウと、薄い紫のリンドウを一本ずつ抜いた。そこへ柔らかな葉を添え、結び目のきつくない細い紐でまとめる。
「これなら、言い訳っぽく見えにくいです」
女性は花束を見つめ、そっと肩の力を抜いた。
「言い訳っぽくない花束なんてあるのね」
「あります。たぶん」
その「たぶん」で、客が笑った。会計のあと、彼女はドアを開けかけて振り向く。
「この前の、裏の催し、見ました」
「ありがとうございます」
「笑ったあと、誰かと話したくなるのね、あれ」
そう言って出て行った。
昼前には、学生らしい男の子が一人で来た。制服のシャツの第一ボタンまできちんと留めていて、手の置き場に困っているのがすぐ分かる。
「ええと、母に」
「お祝いですか」
「いや……ちょっと」
そこまで言って、彼は耳まで赤くなった。
「昨日、ひどい言い方したんで」
ハヤは赤い花を避け、黄色すぎる色も避けた。謝りたいけれど大げさにはしたくない、そんな顔をしていたから、薄い桃色のカーネーションを一本だけ選び、あとは緑を多めにした。
「渡すとき、一言だけ付けるなら」
「はい」
「昨日はごめん、だけで十分です」
男子学生は真剣に頷き、花束を受け取るとき、壊れ物みたいに両手で抱えた。
午後になると、エフチキアが帳場へ走ってきた。
「今日、仲直りのお花、多くないですか」
「多い」
ハヤが伝票を見せる。
「見舞いより、謝るほうが多い」
エフチキアは目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。
「みんな、話し出してるんですね」
その言い方が、すとんと腑に落ちた。
試験開催で語られたのは、町の大きな歴史ではなく、迷子の登山客だとか、帰り道の神社だとか、笑って済ませられる程度の話だった。なのに、それを聞いた人たちの中で、止まっていた会話が少しずつ動き始めている。
夕方、ノイシュタットが売れた控えを見ながら言った。
「花が仲裁役になっている」
「そういう言い方をすると、また気取って聞こえます」
ハヤは伝票をめくりながら返す。
「では現実的に言おう。会話のきっかけとして機能している」
「そっちのほうがオブラスっぽいです」
「褒め言葉かな」
「たぶん」
そのとき、朝の妹宛ての花束を買った女性が、店の前を通って軽く頭を下げた。手ぶらだったが、顔つきは来たときより明るい。立ち止まって何か話す余裕まであるように見えた。
ハヤはその背中を見送りながら思う。
花屋は、ただ花を売るだけの場所ではないのかもしれない。
誰かが言いそびれたことへ、手を伸ばす場所。
固まっていた関係に、先に柔らかい色を差し出す場所。
レジの横に積まれた注文控えは薄い紙なのに、その一枚一枚に、言い直したい言葉や、つなぎ直したい距離が乗っているようだった。
閉店後、ハヤは売れ残りを水へ戻しながら、ふと母のことを思った。生きていたころ、母はよく「花は先にしゃべってくれる」と言っていた気がする。
その意味を、今日ようやく理解し始めた。
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