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次の週の朝、真子は自宅で朝食をとっていた。
「真子、今日は病院でしょう?」
「うん…」
「保険証とお薬手帳忘れないでね」
「もうバッグに入ってるから大丈夫」
真子はトーストを食べながら母親に答える。
宮田真子は会社員の父・彰とパート勤務の母・夏子と三人家族だった。
真子は先天性の心臓の病気を抱えていて、幼い頃からずっと入退院を繰り返している。
20歳前後には手術をする必要があると言われているが、まだ高校生なので今は様子を見守っている状態だ。
そしておそらく数年後には手術が必要だろう。
病院の診察は午前に予約が入っている。
真子が通っている病院は大学病院なので混雑も凄い。
大学病院には心臓の名医がいるので、真子は幼い頃からずっと同じ病院だった。
「お昼はカフェで食べてから学校へ行くのよね?」
「うん。時間が余ると思うから少し勉強してから行くわ」
「あっ、そうそう、杉尾先生によろしくね! 杉尾先生ったら今度結婚するんですって!」
そこでトーストを食べていた真子の手が止まる。
「へぇ…でもお母さん何でそんな事知ってるの?」
「ご近所の山内さんがあの病院で看護師をしていて教えてくれたの。なんでも相手は教授の娘さんらしいわよ。いわゆる政略結
婚っていうやつかしら? なんかテレビドラマみたいね」
母の夏子はウキウキしながら言った。
「ふぅん….。ご馳走様」
真子はそう言ってコーヒーを飲み干してから
皿を重ねてキッチンへ運ぶ。
その後病院へ向かった。
駅への道を歩きながら真子はぼんやりとしていた。
担当医の杉尾が結婚すると聞いて、なぜかモヤモヤした気持ちになる。
それは決して、真子が杉尾に恋心を抱いているという訳ではない。
二年前のある事が原因だった。
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二年前、真子は一ヶ月ほど大学病院へ入院した事があった。
その時の担当医が杉尾だった。
真子は入院時安静が第一だったので、暇な入院生活を送っていた。
入院中は母親に持って来てもらった小説や漫画を読み漁る日々だった。
ある日担当医の杉尾が病室へ診察に来て、真子の読んでいる本を手に取って言った。
「宮田さんは恋愛系の話が好きなんだなぁ?」
「病気のせいで彼氏も作れないのでせめて読書で楽しもうと思って…」
真子は苦笑いをしながら答える。
それは事実だった。
激しい運動やストレスのかかる行為は避けるようにと言われていた。
大人になって手術を受けるまでは、そういう行為は慎むようにと。
杉尾の前に真子を担当していた田所医師はおじいちゃん先生だったので、
心配性で何度も口を酸っぱくして言われていた。
だから真子は漫画や小説の中でのささやかな疑似恋愛を楽しんでいたのだ。
「ハハッ、田所先生は心配性だったからなぁ…」
杉尾はそう言って笑う。
そんな入院生活の中、真子は眠れない夜が度々あった。
入院中は疲れる事も特にないし、昼間も寝ているので夜はどうしても目が冴てしまう。
そんな時、真子はこっそり病室を抜け出して屋上へ行った。
東京の空は星は見えないが、月だけは良く見える。
屋上から月を眺めていると、様々な月の変化に気付くようになる。
三日月、半月、満月、朧月……
月は真子に様々な表情を見せてくれた。
そして月を眺める時間は、真子にとっての癒しとなっていた。
そんなある晩、真子はいつものように月を眺めていた。
その夜はちょうど満月だった。
眩しいほどの光を放つ満月は、辺りを明るく照らしていた。
その明るい満月を眺めている真子の元へ、誰かが近づいて来た。
真子が振り返ると、そこには担当医の杉尾がいた。
「宮田さん、消灯時間はとっくに過ぎてますよ」
「先生!」
真子は病室を抜け出したのが担当医にばれてしまったので、しまったという顔をする。
すると、杉尾は声を出して笑いながら真子すぐ隣へ立った。
そして手すりにもたれながら満月を見上げる。
「そっか、今夜は満月なんだな……」
「はい…どうしても一目見たくて…」
「そっか、そういう事なら許す」
杉尾はそう言って微笑む。
許してもらえた真子は、途端にホッとした表情になる。
そんな真子に杉尾が言った。
「やっぱり高校生活で彼氏を作れないっていうのは最悪な事かな?」
どうやら杉尾は昼間の会話の事を言っているようだ。
「そうですね。高校に入った途端あちこちでカップルが成立していますから」
真子はそう答えて少し寂しそうに笑う。
「多分ね、田所先生はセックスもスポーツ並みに激しい行為だからやめるようにって言ったんだよ」
「えっ?」
真子は杉尾がいきなり『セックス』という言葉を口にしたので驚く。
「あ、いや、変な意味じゃなくて…つまりスポーツと同じようなものだから心臓に良くないって言いたかったんだろうなぁっ
て…」
真子は真っ赤になっていた。
いくらなんでも高校一年になったばかりの患者にセックスの話はストレート過ぎる。
「あはっ、ごめんごめん、こんな話題はセクハラになっちゃうな」
杉尾が申し訳なさそうに謝ったので、真子は、
「いえ…」
と一言だけ返した。
すると、杉尾は月を見上げながら言った。
「宮田さんはキスはした事はあるの?」
「えっ?」
真子は再び驚く。
なんで杉尾は今日こんな話ばかり振って来るのだろう?
真子は不信感を抱いていたが、つい診察の時のように反射的に答えてしまう。
「キスはした事はないです」
すると杉尾はチラリと真子を見てから言った。
「そっか…」
そして杉尾は真子の方へ身体を向けると穏やかに言った。
「してみる?」
「えっ?」
すると杉尾は突然真子の身体を抱き締めてから、真子の唇を奪った。