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朝の光が、薄いカーテン越しに滲んでいた。窓際には、冷めた空気が残っている。
寝返りすら打てなかった遥の背中が、その冷たさを受け止めていた。
枕元に置かれたスマホが、小さくバイブ音を鳴らす。
誰からの通知か、もう見る気にもならなかった。
──時間だけが、進む。
台所から、コップが軽く触れる音が聞こえた。
日下部の足音。靴下を履いていない裸足の音が、廊下を軋ませる。
遥はベッドの端に腰を下ろした。
痛みはある。けれど、昨日までのような「麻痺した激痛」ではない。
ちゃんと痛い、ちゃんと苦しい。そのぶん──“生きてる”感覚が戻ってくる。
それがまた、怖かった。
日下部は無言のまま、テーブルにマグカップを二つ置いた。
一つは自分の前に、もう一つは遥の前の、微妙に距離のある場所に。
「……行くのか?」
ようやく発せられた言葉だった。
日下部は遥の顔を見ないまま、コーヒーを口に運んでいた。
遥は少し迷って、答えた。
「……行くよ」
日下部は何も返さなかった。
その沈黙が、遥をいちばん傷つけるのをわかっているかのように。
けれど、そのまま数秒の間を置いて、言葉が落とされた。
「勝手にしろ。ただ、言っとくけど──」
そこから先は、少しだけ間があいた。
「また潰されても、オレは知らねぇぞ」
遥は眉を動かした。だけど、すぐに表情を戻す。
「……潰されるの、慣れてる」
「なら、せいぜい潰されながらでも動けよ。おまえ、けっこう器用だからな」
揶揄のような、皮肉のような、ただの事実のような言い方だった。
「オレは学校、行かねぇ。おまえの“しつけがまだ終わってない”ってことにしてある。……便利だろ」
遥は目を伏せたまま、曖昧に笑う。
「……ありがとう、飼い主さん」
「皮肉のセンスは死んでねぇみたいだな」
日下部はそう言って、マグカップの底を見つめていた。
遥は立ち上がる。足元が少しぐらついたが、支えはなかった。
「……今日、出てく。ちゃんと、出てくから」
その言葉に、日下部は反応しなかった。
何も言わず、目を伏せたままだった。
玄関に向かう遥の背に、ほんの少しだけ、音が落ちた。
「……どうせ、戻る場所なんかねぇくせに」
それが自分に向けられたものなのか、ただの独り言なのかは、遥にはわからなかった。
わかりたくも、なかった。
扉を開ける音だけが、室内に残された。