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#異能
#伝奇
青ざめた光が照らし出したのは、目を細め口もとをほんの少し緩ませた男。身にまとっているのは純白のバスローブのような、ゆったりとした衣服。
古代のギリシャ彫刻のように整い、春の木漏れ日のように優しい雰囲気をまとった男の微笑みとは反対に、うちは全身の血液が凍りつき、腐り果ててゆくような感覚に捕らわれる。
怖い。
奥歯が震え、ガチガチと打ち鳴る音を聞きながらうちは思った。
それがダメなことなのは分かっている。
自分に怖がることを赦してしまったら心は坂道を転がり落ちるボールみたいにどこまでも加速して行き、回収できなくなる。
だけど、無理や。
うちはお父さんやコウ、リョウとは違う。
うちは怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……。
「――やあ、娘よ」
優しく労わるような声がして、うちは前髪を思いっきりつかみ上げられる。
「今日もお前に会いに来てやったぞ。……何か言うことがあるだろう?」
「あ、ありがとうございます……」
「んー? 何がありがとう、なんだ? ちゃんと言葉にしてごらん?」
「……きょ、今日も会いに来てくれてうれしいです。……あ、ありがとうございます」
「ダメ。二秒遅い」
スパーンと言う小気味よい音が響き、衝撃を受けてうちの頭は右に大きく揺さぶられる。直後、左の頬がまるで火をつけられたかのように熱くなる。
数秒経って、うちは自分が平手打ちをされたことに気がつく。
今日はついていたのかもしれない、とうちは思う。いつもみたいにグーパンチじゃなくて助かった。ゲンコツで頬や歯を砕かれるのはしんどいし、辛い。
「――ほら、今日の分だ」
うちの目と鼻先に突き出されたのは、お椀だった。
金箔が張り巡らされた、儀式用の立派なお椀。
「好き嫌いは許されないからな。残さず全部食べなさい」
チラッとうちは薄目でお椀の中を覗き見る。
そして、すぐにやめておけばよかった、と後悔する。
皿の上に山のように盛られていたのは――、ムカデ、ゲジ、ヘビ、カエル、トカゲ、ヒル、ゴキブリ。それに他の何だかよくわらないたくさんの毒虫がギチギチひしめき合っていた。
男は無造作にそこから一つかみ握りとって。
「さあ、アーンしなさい」
「ま、待って。ちょ、ちょっと待って。お、お願いやから……」
「待たないよ。だって、お前はこの日のために生まれてきたんだ。……前に話しただろ。世の中には無意味に生まれ、死んでいくクズがどれだけ多いか」
「そ、そうやけど……」
「だけど、娘よ。お前の存在にはちゃんと意味がある。それがどれだけ幸せなことか、わかるかい?」
「で、でも、うち、お母ちゃんに――」
ボロボロ、ボロボロと涙をこぼれ落としながらうちは思った。
そうだ。お母ちゃんに会いたい。
今日ここで死んでしまうのなら。せめて、最後に一目お母ちゃんに。
「……ん? ……お母ちゃん?」
男は不思議そうに首を傾げ――、不意に「ああ」と大きな声をあげる。
「お前を産んだ女のことだね。あの女ならもう、この世にはいないよ。殺したからね」
「えっ」
「だって、仕方がないじゃないか。お前は私の物なのに。私からお前を盗み出して逃げようとしたんだ。そりゃあ、私だって頭に血がのぼるさ」
しょうがないよね、わかるよねキミカ。
そう言ってうなづきながら――、男はうちの口のなかに毒虫を押し込んで来た。
ブチュブチュ、グチュグチュと口のなかで嫌な音がして、うちは思いっ切り目を見開いていた。
ああ、これが地獄なんや……。
猛毒が、呪詛が、腐敗が、あらゆる病の元が喉から体内に流し込まれるのを感じながらうちは悟った。
だから、この世界は怖くて悲しいことだらけなんやって。
「――ほら、少し休みなさい。他の兄弟と違ってお前は本当に頑張っている。何て偉い子なんだろう」
血と涎がまじりあったものを激しく吐き出し、むせ返っているうちに、かすんだ視界の向こうから男が微笑んでいる。
汗ばんだうちの顔を撫でる男の手つきは柔らかく、優しかった。
「……な、なんで?」
「ん? 何が聞きたいんだい?」
「……う、うちとお母ちゃんのこと迎えに来てくれた時、嬉しかったのに。……みんなで歓迎会開いてくれて、うちホンマに嬉しかったのに」
深く息を吐き、うちは尋ねた。
「なのに……、なんでこんなことするんお父ちゃん?」
相変わらず笑みを浮かべたまま、男が――うちがお父ちゃんと呼んだ男が顔を目と鼻の先までグイッと近づけてくる。
男の瞳は黄金色に怪しく輝き、ジッとうちを凝視していた。まるで、うちの内側まで見透かそうとするかのように。
「なんで、だと? バァアアアアアカ!」
その口元が大きく、半月の形に歪むのを見た。
「理由などない! お前は私が作った人蟲だ! お前はただ、私のために泣き、苦しみ――、そして死ねばいい!」
げらげら、げらげらと。
まるで毒液を吐きかけられるかのように、うちは真正面から罵声を浴びせかけられていた。
と、ピタリと笑うのを止め、素面に戻った顔で男が言う。
「あぁ、そうそう。ついでだから教えておこうか。キミカ、お前の名前は鬼味果と書く。意味は、鬼が味わう果実。……お前にピッタリの名前だろ」
男にウィンクされ、うちはフヘッと変な声で応えていた。
こんなん、もう笑うしかないやんか。
だって、うちは最初から、うちがこの世に生まれたのは――。
オン・マーラヤ・パーピーヤス・ソワカ。
オン・カーマダーヤ・マハーラジャ・ソワカ。
オン・パーピマ・マーヤヴァンス・ソワカ。
また唱え事が聞こえた。
どこから聞こえてくるのか、今度ははっきりとわかった。
うちだった。その不愉快な響きの真言は、うちの口から紡ぎ出されていた。
そして。
うちは自分が砕け散るのを感じた。