テラーノベル
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今日は海の日。せっかく大学が休みなのに一日中家に居るのはなんだか勿体ない。
そう思い立ち、私、西木日奈は燦々と照らす太陽を浴びながらロードバイクを漕ぎ、近所の運動公園へと向かった。
ヘルメットに押し込められた茶髪のポニーテールが蒸れて暑い。このままだと蒸しポニーテールになってしまう。
白い半袖のサイクルジャージも黒のサイクルショーツも、既に滝のような汗でびしょ濡れになっていた。
「こういうの、何か生きてるって感じがしていいよな」
ふと、幼馴染みの穂高の声が頭をよぎる。
澄み切った青空を思わせる、爽やかで優しい響きの声だった。
「どこがよ………。こんなことならクーラーの効いた部屋でアイス食べときゃよかった」
息を切らしながら、私は脳内の穂高にそう返事をした。
私の自転車は以前幼馴染みの穂高が乗っていたターコイズブルーのロードバイクだ。
もう本人が乗らないので譲ってもらった。
自転車を漕ぐ、漕ぐ。
息を切らしながら、坂道を上る。
「ペダル…..おっも……」
「おーい、早くしないと置いてくぞー」
夏の蜃気楼に、黒いヘルメットを付けて先頭を行く穂高の姿が揺らいだ。
「暑すぎ。最近の夏本気出しすぎでしょ。
死人が出るっつーの」
駐輪場にロードバイクを停めた後、運動公園の側の河原に向かう。
土手に生えた大きな立柳の木陰でちょっと休憩。
ミントの香りの汗ふきシートでベタついた汗を拭く。冷えたペットボトル入りの麦茶を飲みながら人肌程度に温い夏風をうなじに感じる。首筋の汗が風に触れ、気化熱で少し涼む。
河原に流れる清流は子供の踝ほどの浅さで、水遊びにはもってこいだ。
そのため辺りを見ると黄色のシャツを着た小学一年生くらいの男の子が紫のTシャツを着たお父さんと一緒に青色の網を持って何やら小魚を探していた。
「おとーさん!!この魚なんていうの?」
「それは魚じゃなくてヤゴだよ。トンボの幼虫さ」
そんな微笑ましいやりとりが聞こえる。
懐かしいな、私達も幼い頃はこうして川遊びしたっけ。
「おい見ろよ日奈!!アオスジアゲハ捕まえたぜ!!」
「うわぁ……キレイ」
川で遊ぶ親子と幼い私たちの像が重なる。
私は河辺の穏やかな景色を眺めながら、ごくごくと麦茶を飲む。
「あいつが死んでもう5年か……」
時間が経つのは早いな。私もう女子大生だよ。
ペットボトルから口を離しポツリと呟く。
唇から垂れそうな水滴を手で拭った。
穂高が死んだ頃は、丁度新型コロナウイルスが流行っていた時期だった。
当時はあの親子のように川遊びをすることもままならなかったんだよなぁ。
皆、もうコロナのことなんかすっかり忘れてしまったのかもしれない。
喉元過ぎれば忘れてしまうのだ。炎症も、炎上も。
入道雲を見上げる。穂高が死んだ日にも今日みたいにもくもくと入道雲が立ち上っていた。
蝉達が夏を急き立てるように鳴いている。
穂高はコロナで死んだんじゃない。
あいつの死因は自殺だった。
コロナが流行り始めた頃、不要不急の外出をしただけで白い目で見られる時期があった。皆、得体の知れないウイルスに怯えて疑心暗鬼だった。
そんな時、穂高は県外へサイクリングに行き、コロナに罹った。
その事が瞬く間にSNSで拡散され大炎上した。
あの日、画面の向こうから浴びせられた言葉は、一人の高校生には重すぎた。
心ない言葉の数々を浴びせられた穂高はその年の夏の日に自室で首を吊った。
私はスマホのLINEを開く。穂高の最後のメッセージは「ごめん」の一言だけ。
私に対してなのか、両親に対してなのか、それとも生きられなかった自分自身への謝罪だったのか。
穂高が絞り出した「ごめん」の真意を、私はもう二度と知ることができない。
「おとーさん見て、きれいなちょうちょがいるよ」
男の子が指差した方を見ると、ひらひらと、ひらひらと、河辺の上を一匹のアオスジアゲハが飛び回っているのが見えた。黒い前の羽と後の羽の間に鮮やかなターコイズブルーの帯が横切る。
あの蝶が、穂高の生まれ変わりだったらいいのに。
「おとーさん、あのちょうちょ捕まえようよ」
「いや、そっとしておこう」
「えー何で-」
「蝶々さんが飛べなくなったらいけない」
「そっかぁ、じゃあまた魚取ろ魚!!」
「よしきた」
私は膝を抱え、頭上で鳴くセミ達のオーケストラに漫然と耳を傾けながら夏を偲ぶ。
「……さてと、いい運動になったし、帰るかー」
夕暮れ時、紫がかったオレンジ色の空と入道雲のコントラストが綺麗。
私は、ロードバイクに乗り、ペダルを漕いで帰路につく。澄んだ風が頬を撫でる。
ゆらゆらと揺らいでいた蜃気楼はどこかへと行ってしまった。
「今日の夕飯なんにしよっかなぁ。チキン南蛮か唐揚げか迷うよなぁ。って大学の課題もやんなきゃだよなぁ。あーあ、時間が止まっちゃえばいいのに」
そんな独り言を呟きながら、重いペダルを踏み、坂道を上る。
遠い空で一番星が瞬いていた。
#うりるな
才川奏美
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コメント
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うわあ……読み終えて、しばらく言葉が出ませんでした。冒頭の夏の爽やかさと、そこに重なる穂高くんの喪失のコントラストが、本当に心に刺さりました。特に「アオスジアゲハを捕まえた」という幼い日の思い出が、あとで同じ蝶がひらひらと飛ぶ場面で反復される構成が美しい。そして「ごめん」という最後のLINEの一言。あの重さ、もう本人に真意を聞けないもどかしさ——設定の巧みさにぐっと来ました。ターコイズブルーのロードバイクが、ずっと彼の存在を象徴しているのも、切なくて好きです。