テラーノベル
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「また浅倉楓の話か。そう言えば、亜紀から名前を聞いてから、どんなナースかだけ確認した。
小柄で存在感の薄い子だったな。あんなどんくさそうな子が、俺のオペに付けるようになるまでオペ室でやっていけるかねぇ」
遼は革のジャケットから車のキーを取り出し、軽く鼻で笑った。
「どんくさそうなんて酷い。楓ちゃんは忍耐強くて、仕事だって安心して任せられる。とても信頼できるナースなんだから」
「あっそ。どうでもいいや。それより、店は中華でいいだろ?
学生時代によく二人で行った店。久しぶりに、あそこの酢豚が食べたい」
遼は私の話に興味を示すことなく、さっさと話を切り上げる。
キーケースを指先でくるくると回しながら、話題を変えた。
「……あの店ね。いいよ、私はどこでも」
「じゃ、決まり。俺はビール飲みたいから、帰りは亜紀が運転な」
遼は私の顔を覗き込み、にっと歯を見せて笑った。
「えっ。今日は私のお祝いって言ってなかった?」
「言った。だから昔よくデートした店で祝ってやるんじゃないか」
「祝ってやるって……」
自分だけお酒を飲んで、それじゃ私のお祝いになってないじゃない。
何のお祝いかも教えてくれないし。
相変わらずのマイペースぶりに、返す言葉もなく小さくため息をついた。
車内には、ラジオの音が小さく流れていた。
「……ねぇ、また携帯鳴ってるよ。メールじゃないでしょ?」
車に乗ってからというもの、ハンドルを握る遼のポケットから何度もバイブ音が響いていた。
気づかないはずはないのに、夫は完全に無視をしている。
通勤ラッシュの渋滞を避けるため人気の少ない裏道を走りながら、遼は小さく呟いた。
「どうせ急用じゃない。運転中だ。留守電になってるから放っておけばいい」
私が気にしているのに気づいたのか、遼は面倒くさそうに携帯を取り出し、画面へ一度だけ目を落とす。
すぐに重いため息をつき、再びジャケットのポケットへ押し込んだ。
「……誰? 病院の人?」
「そう。……竹田だ。明日のカンファレンスの症例について相談したいらしい」
「それなら無視しちゃ駄目なんじゃないの?」
「さっきメールで返事したんだけどな。あいつ、すぐ俺を頼るから。また聞きたいことができたんだろ」
遼は面倒くさそうに言い、ガソリンスタンドの見える交差点を右折した。
「……そう」
竹田先生は遼と同じ循環器外科医。
他院から異動してきたばかりの医師で、ときどき遼の口から名前は聞くものの、私とはまだ面識がない。
「竹田先生かぁ……麗香なら面識あるかな。ドクターキラーだし」
流れていく街並みへ視線を戻しながら、小さく呟いた。
「さあ、どうだろ。相川は外科医嫌いだから興味ないだろ。
竹田には店に着いたら電話する。夫婦水入らずのデートなのに、気の利かない男だ」
遼はふっと静かに笑い、ラジオのボリュームを少し上げた。
夫婦水入らずのデート――。
大した言葉じゃない。
それなのに、遼の口から聞くと、どこか不自然に思えた。
……不自然?
違う。
胸騒ぎ……。
『俺の自慢の妻だよ』
嬉しいはずの言葉なのに、なぜか素直に喜べない。
麗香が残した言葉も、胸の奥に引っ掛かったままだ。
メールと電話の相手は、本当に竹田先生なの?
分からない。
ただ、胸の奥に重たい靄が広がっていく。
深くため息をつき、無表情に前を見据える夫の横顔をそっと見つめた。
#執着
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コメント
1件
みぅです🥀読了しました。今回も静かに重い空気感が美しかったです。遼さん、やっぱりどこか隠してる……「自慢の妻」の言葉が逆に胸に刺さる感じ、わかります。亜紀の胸騒ぎがひしひしと伝わってきて、読んでて息が詰まりそうでした。最後の横顔を見つめるシーン、とても切なかったです。次が気になる……!