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金曜日、蒼と真の本社勤務最終日。
定時と同時に総務部で送別会に出た。
庶務課は年長者の斉川さんの課長昇進が決まっていた。
総務課も真の部下が昇進となった。
経理課は監査室から課長を迎えることになった。当面は勝手の違う上司に苦労するだろう。
送別会は部長の友人の料亭を貸し切って行われた。部下の不始末で騒動が続き、責任を感じていた部長の申し出で、会費の半分は部長がもってくれた。
今回は掘りごたつの席で、あまり席の移動はなく、私は庶務課のみんなと食事をたのしんだ。
蒼も真もこれが最後のチャンスと、かなり殺気立った女子社員に囲まれていた。その中でも、詩織ちゃんは蒼の隣を絶対に譲らなかった。
三時間で数回、蒼が私に助けを求めるような視線を送ってきたが、私は一切反応しなかった。
同様に、真も疲れた顔で私を見たが、私は笑顔を返しただけだった。
「よくやるわね、あの子たち」と、遠山さんが呆れ顔で眺めて言った。
「成瀬さんはいいの?」
「えっ?」
急に振られて、質問の意味が分からなかった。
満井くんと春田さんも驚いた顔で私を見た。
「あら、彼氏いるの?」
なんだ……。
「どうでしょう? いなくても、あの輪に入る勇気はありませんよ」と、私は返した。
満井くんと春田さんの反応でバレるのではないかと、はらはらした。
あれ? そういえば、春田さんには聞かない?
「総務のショートヘアの子、先週満井くんに告白してたのに、藤川課長に色目使っちゃって……」
遠山さんの言葉に、満井くんがイカ焼きを喉に詰まらせかけた。ゴホゴホッとむせる。春田さんが慌てて満井くんに水を手渡す。
満井くんが告白されたことは、私も知っていた。
「隠さなくてもいいのに」と、遠山さんが言った。
斉川さんは全く気が付いていなかったようで、目を丸くしている。
最近の遠山さんは親しみやすくなったと思う。以前は、肩肘を張って、あえて私たちと馴染もうとしていなかった。どういう心境の変化があったのかはわからないが、庶務課を自分の居場所だと認めてくれたようで、嬉しかった。
「満井くんと春田さんはお付き合いしてたんですか?」
斉川さんがストレートに聞いた。
満井くんと春田さんは顔を赤らめて、頷いた。見ていて、微笑ましかった。
それに、羨ましかった。
焼きもちなんて性に合わない。詩織ちゃんがどんなにアプローチしても、蒼がなびかないことはわかっている。それでも、蒼にベタベタと触れられるのは気分のいいものではない。そして、詩織ちゃんをきっぱりと突き放さない蒼にも苛立つ。
なによ、私が小松原さんの気持ちに気が付かなかった時は、嫉妬して怒ってたくせに!
ラストオーダーまで、私はひたすら飲み続けた。
一次会がお開きとなり、料亭を出た蒼と真はそれぞれ女子社員に二次会に誘われていた。
自分が酔っていることは自覚していた。
蒼と真が私を心配して、様子を窺っていることにも気が付いていた。
女子社員の誘いをはっきり断らないって……。
実は喜んでるんじゃないの?
何よ、取締役会ではあんなに格好良く啖呵切ってたくせに――。
百合さんの言った通り、私は嬉しかった。
蒼が庶務課に異動してきて経歴を調べた時、どうして兄たちのように重役ポストに就かないのだろうと思った。ただ、現場にいたいだけかもしれない。
ならば、なぜ庶務課に異動する?
グループの大規模改革を前に、不安要素は排除しておきたかったのだろう。
兄に誘導されたとはいえ、現場を離れてスパイごっこをするだけの愛情を、会社に持っている。
野心がないわけではない、と思った。
むしろ、目的のためなら手段を選ばず、プライドも捨てられる。
自分が三男であること、兄たちが不仲であることが、蒼の野心に蓋をしているように感じていた。
ほんの少し蓋がずれて、光が差し込んだら、蒼はどうするのかと思った。
蓋を戻してしまうのか、差し込み光を見て見ぬふりをするのか、一思いに蓋を投げ捨ててしまうのか。
蒼の選択次第では、私のシナリオを書き直す必要がある。
けれど、蒼は私の期待通り、蓋を投げ捨ててくれた。
私は、チェーンに通して首に下げていた指輪を、服の中から引っ張り出した。チェーンを外して、左手の薬指にはめる。
私に迷いはない――。
「蒼」
私が蒼を名前で呼ぶと、詩織ちゃんをはじめ、蒼を取り囲んでいた四・五人の女子社員が私を見た。
みんな驚いた顔をしているけど、一番驚いているのは蒼。
私は蒼に近づく。
「ごめんね? そろそろ返してもらうね」と言って女子社員に目を向けた。
蒼の、最期の女は私――。
私は指輪が見えるように、左手を蒼の肩に置いた。
蒼が、私の最期の男――。
絶対、誰にも渡さない――!