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ホテルをチェックアウトした二人は、どことなくぎこちなかった。
柊の態度はいつも通りだったが、花梨がソワソワと落ち着かない様子だった。
それも当然だ。
上司と出張で訪れたリゾートホテルで、酔った勢いとはいえ一夜を共にしてしまったのだから。
『普通でいろ』と言われても、到底無理な話だ。
そんな花梨を、柊は時折、可笑しそうに見つめていた。
しかし花梨本人は、その視線にまったく気づいていない。
(あー、もう最悪! これからどうやって課長に接していけばいいの?)
そんなふうに嘆く花梨とは対照的に、柊はこう考えていた。
(こんな強引な手法は使いたくなかったが、このまま彼女を放っておいたら、他の男に取られる可能性があるからな……彼女には申し訳ないが、今回はやむを得ない……)
そして、シートベルトを締めながらぽつりと言った。
「浜田様や会社のみんなに、土産を買って帰らないとな」
『土産』という言葉に、花梨はハッとして叫ぶ。
「お土産はバームクーヘンがいいってリクエストを受けてます」
「どこの店?」
「えっと……」
花梨は慌てて携帯を取り出し、美桜に教えてもらった店を表示した。
「ここだったら、帰りに寄れるな」
「よかった」
美桜が楽しみにしているので、花梨はホッとした。
「その前に、ちょっと観光するか」
「観光?」
「せっかく白馬まで来たんだから、雄大な山並みを見てみたいと思わない?」
「見たいです」
「よし、じゃあ行こうか」
柊はそう言うと、エンジンをかけた。
空いた道をぐんぐん進むと、車はひっそりとしたあまり観光地化されていない静かな山里へ到着した。
「ここですか?」
「うん。この奥に吊り橋があるんだ」
「吊り橋?」
「そう。その吊り橋の後ろに雄大な山々が見えるんだよ」
「こんな場所、課長、よくご存じでしたね」
「白馬へ来ると、いつも寄るんだ」
「へぇ、そうなんだ……」
『白馬へ来ると、いつも寄る』
その言葉に、花梨はふと考える。以前、柊は誰とここへ来たのだろうか。
想像しただけで、胸の奥がチクリと傷んだ。
駐車場から少し歩くと吊り橋が見えたが、柊は橋から離れた方向へ歩いていく。
辺りはのどかな里山で、どこか懐かしい雰囲気が漂っていた。
(まるで昔話の世界に迷い込んだみたい)
二人が歩く道沿いには、そば畑が広がっていた。
おそらく数ヶ月前には、満開のそばの花が見頃だっただろう。
花梨は、辺りの風景に癒されながら、柊の後を静かについて行った。
しばらく歩いたところで、柊が足を止めて振り返る。
花梨も立ち止まり、柊が見ている方を振り返った。
その瞬間、思わず声が漏れる。
「わぁ……すごい」
「絶景だろう? 姫川と吊り橋、その背後に白馬三山が見える。今の時期は紅葉も見頃だから、素晴らしいな」
「すごく綺麗……まるで日本の原風景を見ているような気がします」
「うん……オシャレな観光地は他にいくらでもあるが、俺はここからの景色が一番好きなんだ」
柊の言葉に、花梨は深い共感を覚えた。
テレビで紹介されるような派手な観光地は、人が多いだけで期待外れなことも多い。
元カレの卓也は、そうした話題のスポットが好きだったため、交際当初はよく一緒に出かけたものだ。
しかし、実は花梨自身、あまり楽しめてはいなかった。
こうした静かで落ち着いた場所の方が、ずっと性に合っている。
(私と好みが一緒ね……)
そう思うと、なんとなく嬉しくなった。
しばらく美しい景色を楽しんだ後、二人は吊り橋の方へ戻り、辺りを散策した。
昔ながらの原風景と紅葉、そして美味しい空気を堪能した二人は、車へ戻った。
「少し早いけど、昼食にしよう。何が食べたい?」
「長野といえば、お蕎麦? 美味しいお蕎麦が食べたいです」
「了解。美味い蕎麦屋を知ってるから、そこにしよう」
(そのお店に誰と来たの?)
再び湧き上がる疑問を胸に秘めたまま、花梨はシートベルトを締めた。
柊行きつけの店で美味しい蕎麦を堪能した二人は、隣町にある酒蔵へ寄り、浜田家へ日本酒の土産を買った。
その後、美桜から教えてもらったバウムクーヘンの店へ寄った。
店にはカフェが併設されていたので、土産を買った後、二人はコーヒーを飲むことにする。
太陽の光が燦々と降り注ぎ気持ちの良い気候だったので、二人は外のテラス席に座った。
そして、美味しいコーヒーとともに、カフェ限定のオリジナルバウムクーヘンも注文する。
コーヒーとスイーツが運ばれてくると、花梨が口を開いた。
「わぁ……和三盆のブリュレ風になってるんですね」
「美味そうだな」
「すごく美味しそう! いただきまーす!」
花梨はさっそく一口頬張る。
「わぁ、美味しい! 課長、早く食べてみてください」
柊も続いて一口食べた。
「うん、美味いな」
その時、野鳥が軽やかな声を響かせながら、すぐ傍にある森の中へと消えていった。
秋の穏やかな日差し、ときおり頬を撫でる乾いた風が心地よい。森の木々が風にそよぐと、枯葉がはらはらと舞い落ちる様子も風情がある。
ここはまるで天国だ。
「やっぱり自然の中っていいですね」
「普段都会にいると、特にそう感じるよな」
「はい。冬はまた違った景色が見られるんでしょうね」
「一面真っ白だろうな」
柊は頬を緩めながら、もう一口スイーツを頬張った。
(はぁーっ、少し緊張は収まってきたけど、やっぱりドキドキする。まさか私が『イケメン王子』の課長とそういう関係になっちゃうなんて……)
花梨が急に現実を思い出していると、柊がポツリと言った。
「浜田夫人は辛かっただろうな。大事な娘さんを亡くされた後、思い出が詰まったあの別荘をずっと手放せずにいたんだからな。でも、長い年月を経て、ようやく売る決心がついた。だから、その思いを無駄にしないようにしないとな……」
柊が真面目な口調で語るのを聞き、花梨はよこしまな考えに浸っていた自分を恥じた。そして、こう思った。
(課長は、本当に誠実な気持ちで、お客様と向き合ってるんだわ。私も見習わないと……)
花梨は急に背筋を伸ばすと、柊に言った。
「必ず探します! 浜田様の思い出の場所を大切に引き継いでくれる素敵な買い主さんを……私が絶対に見つけてみせます!」
その言葉に、柊は穏やかに微笑む。
「うん、期待してるぞ」
二人は目を見合わせ微笑み合う。
そして、晴れ渡る秋空のもと、美味しいスイーツとコーヒーをゆっくりと味わった。
コメント
23件
柊さんいつ本当の事花梨さんに伝えるのかしら?
柊様どんな手を使っても花梨ちゃんを手放したくなかったのね🩷花梨ちゃんも柊様の過去が気になって仕方ない感じも可愛いらしい🩷仕事とプライベートはしっかり分けそうな二人🩷きっと浜田様の別荘は素敵な方とのご縁がありそうな気がするしプライベートでの二人も更なるご縁で固く結ばれそうですね あすも楽しみです😊
柊さんの元カノの話(かもしれない)にモヤモヤしちゃうよね。 これが作戦だったらすごい🤭 一気に攻め落とすのかな〜⁉️