それからの数週間は穏やかに過ぎた。
美宇は工房の仕事にも慣れ、陶芸教室の生徒たちとも打ち解けていた。
朔也のアシスタント業務にも慣れ、今では立派な助手として働いている。
毎日土に触れているうちに、陶芸の腕も着実に上達していると感じた。
ろくろに向かうと、さまざまなアイディアが浮かぶ。
美宇にとって仕事は喜びであり、工房は居心地の良い場所になっていた。
東京では味わえなかった感覚だ。
自然の澄んだ空気に触れると、心が静かに研ぎ澄まされていく。
それはまるで、この土地に溶け込み、心と身体が清められていくような感覚だった。
この日、仕事を終えた美宇は、朔也に挨拶しアパートへ向かった。
通りを歩いていると、突然後ろからクラクションが鳴り、美宇は驚いて振り返る。
そこへ車が停まり、運転席の窓から隣人・関谷絵美が顔を出した。
「こんにちは! 今、帰り?」
「あ、関谷さん、こんにちは」
「乗せてくよ」
「いいんですか?」
「ほんのちょっとの距離だけど、今日は寒いから」
たしかに10月下旬に入り、毎日寒い日が続いていた。
「じゃあ、お邪魔します」
「せっかくだから、ご飯でもどう? まだちょっと早いけど」
「え?」
「お隣なのに、ゆっくり話す機会もなかったし。この後予定ある?」
「いえ、特に」
「じゃあ、行こうよ。さあ、乗って乗って!」
「はい、じゃあ、お邪魔します」
美宇は嬉しくて思わず笑顔になった。
二人は車で斜里町の市街地にある寿司店へ向かった。
絵美が安くて美味しい店があると言ったので、魚好きの美宇はそこへ連れて行ってもらうことにした。
車を降りて店に入ると、まだ早い時間だったため、店内は空いていた。
「こんにちは。奥の席、いいですか?」
「おや、絵美ちゃん、いらっしゃい! 好きなところにどうぞ」
「ありがとうございます」
店主は60代くらいで、絵美とは顔なじみのようだ。
二人が席に着くと、おかみさんがおしぼりとお茶を持ってきてくれた。
「今日のおまかせ寿司は、いいネタが入ってるわよ」
「じゃあ、私はそれで。七瀬さんは?」
「私もそれでお願いします」
「おまかせ二つね。少々お待ちください」
おかみさんはにこやかに微笑み、店の奥へ戻っていった。
絵美はおしぼりで手を拭きながら話し始める。
「さっき、陶芸工房から出てきたけど、あそこで働いてるの?」
「はい。青野陶芸工房のスタッフをしてます」
「この前ご挨拶したとき、私ばっかり喋っちゃって七瀬さんのお仕事のこと聞きそびれてたけど、そうだったんだ~。ということは、美大卒?」
「はい。東京の美大を出ました」
「じゃあ、アーティストなんだ」
「いえいえ、まだ修行中です」
「でも、あそこって陶芸教室もやってるんでしょう? 教えたりもしてるの?」
「はい。助手をしながら講師もしています」
「へぇ、すごいわね。あの工房の前はいつも通るけど、どんな感じかなって気になってたの」
「あそこは、青野朔也さんという陶芸家が主催している工房なんです」
「青野朔也?」
「東京や札幌でも個展を開くくらい、けっこう有名な方なんですよ」
「へぇ~、こんな近くにそんな芸術家がいたなんて知らなかった」
「ちなみに、工房の並びにあるブルーグレーの外観のカフェ、知ってます?」
「知ってる知ってる。行ったことあるわ」
「あそこの店主と奥様が、青野さんの大学の後輩なんです。ご夫婦でデザイナーとイラストレーターをされてるみたいで」
「わあ、あそこにもアーティストがいたんだ」
「はい」
「そっかー。けっこう若い人たちが多いのね。あ、ところで、クジラとイルカ、見に行かない?」
「行きたいと思ってたんですけど、関谷さんのツアー会社が分からなくて……」
「なんだ、言ってくれればよかったのに。ちなみに、次のお休みはいつ?」
「あ、明日休みです」
「わ、ちょうどいい。私、明日出勤だから、一緒に行く?」
「え、いいんですか?」
「もちろん。ホエールウォッチングは10月いっぱいで終わっちゃうから、声をかけようと思ってたの。でも、今日、偶然会えてよかった」
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「うん、任せて。じゃあ、明日の朝9時出発でいい?」
「はい、大丈夫です」
「OK! じゃあ、暖かい格好で来てね。海の上はけっこう冷えるから」
「分かりました」
そのとき、寿司が運ばれてきた。
美宇は目の前の皿を見て、思わず声を上げる。
「もしかして、これってホッケの握りですか?」
「そうよ。東京じゃなかなか食べられないでしょ。どれも美味しいから食べてみて」
「はい。いただきます」
美宇は、初めて口にするホッケの握りを、そっと口に運んだ。
「おいしい!」
「でしょ? ここのお寿司、本当に絶品なの」
そう言って、絵美も箸を伸ばした。
二人は新鮮な寿司を味わいながら、少しずつ互いのことを話し始める。
絵美は、美宇より二歳上だった。
楽しい会話を続けながら、美宇は心の中で思った。
(北の果てで同年代の友達ができるなんて、思ってもみなかった……)
美味しい寿司を味わいながら、美宇は絵美とのひとときを心から楽しんでいた。
コメント
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北海道で同世代のお友達ができて良かった😊絵美さん明るくて素敵な方✨ 恋のライバルになったりしないかな⁉️行動力抜群そうなので、ちょっと気になってしまう💧このまま仲良しの頼れるお友達でいて欲しい🙏 明日はクジラウォッチング🐳楽しんで北海道を満喫してねー(*^◯^*)
クジラウォッチングと書いていましたが、ホエールウォッチングに訂正しました💦何でクジラウォッチングと書いたんだろう(・・?(笑)
だいぶ溶け込んできましたね!良いスタートです☺️ クジラウォッチングなんて迫力あそうですね〜 ほっけのお寿司は食べた事ないな😊美味しそう! 陶芸がやっぱり好きなんですね 美宇さんは土を触っていたら気持ちも穏やかになって自分を 取り戻しているようですね