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放課後の校舎は、人の声が消えたあとだった。空は群青に沈み、窓の外には、かすかに風の音だけが残っている。
「……ここ、誰にも聞かれませんよね?」
相談室のドアを閉めた少女が、か細い声でそう言った。
遥はうなずき、机の向こう側を指さす。
「大丈夫。鍵、かけてる」
少女は息を吐き、椅子に腰を下ろす。
制服の袖口を、ずっといじっていた。
「……未来なんて、いらないって思うんです」
遥は顔を上げた。
その言葉は、まるでどこかで聞いた自分の心の声のようで、
思わず息を呑む。
「どうして、そう思った?」
「毎日が同じで、何も変わらない。
“頑張れ”とか“前向いて”とか言われるけど、
何に向かって頑張ればいいのか、もうわからなくて」
窓の外で、電車の音が遠くを通り過ぎる。
その音が、やけに遠く感じた。
「……みんな、“将来の夢”とか言うけど、
私には、そんなの、ないんです。
今日を生きるのだって、精一杯なのに」
遥は、しばらく何も言わなかった。
自分も同じように、“明日”を信じられなかった夜を思い出す。
「……俺もさ、未来って言葉、嫌いだった」
少女が顔を上げる。
「“明日がある”って言われるたびに、
“じゃあ今日をどうしたらいいんだよ”って思ってた。
今がつらいのに、先のことなんて考えられないよな」
少女の指が止まる。
少しだけ、眉がほどけた。
「じゃあ……どうしたら、信じられるんですか。
未来を」
遥は静かに笑った。
その笑みは、どこか痛みを知っている人のものだった。
「信じなくていいよ。
“未来”なんて、勝手に来るから」
「……え?」
「俺たちが望まなくても、時間は進む。
でも、その中で、誰かと少し話せたり、
ちょっと笑えたりする瞬間がある。
それがあれば、十分じゃないかって思う」
少女の目がわずかに潤む。
泣きたいような、笑いたいような表情。
「……そんなことで、いいんですか」
「うん。
“生きてる”って、それだけで、もう十分すごいことだから」
窓の外に、夜が降り始める。
遠くで誰かの笑い声が風に乗って流れていく。
少女は立ち上がり、少しだけうつむいて言った。
「……少しだけ、明日を待ってみます」
「うん。無理しなくていい。
“待ってみようかな”って思えた時点で、
もう未来に触れてる」
少女が出ていったあと、静かな部屋にひとり残る。
遥は、机の上に置かれた消しゴムを指先で転がしながら呟いた。
「──俺だって、本当はまだ、怖いけどな」
その声は、誰にも届かない。
けれど、ほんの少しだけ、空気がやわらかくなった気がした。