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着物に描かれた大輪の椿を指でなぞる。

ゆっくり、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと過ごした日々を思い出しながら。

両親に愛され、笑って暮らした日々を思い出しながら。


あ……れ?


指が、硬い何かに当たった。

指ではなく、掌でその部分に触れる。


着物の下に、何かがある?


「どうした?」

「なにかあるみたい」

私は着物をぐしゃぐしゃにしないようにそっと折り目から手を入れた。

そして、何か、の正体を取り出した。掌より少しだけ大きな冊子。

「これ――」

「――母子手帳?」

彪と顔を見合わせる。

表紙には、『保護者の氏名:宇治宮春姫うじみや はるき』『子の氏名:宇治宮椿』とまあるい文字で書かれている。

母の筆跡だった。

「宇治宮……?」

「椿のお母さんの旧姓……か」

初めて聞いた。

「宇治宮って……」と、彪が呟く。

私は手帳を開いた。

「……っ!」

目次と出生届に関する注意事項の次のページ。

『母:宇治宮春姫』『父:柳田槙やなぎだ まき

「彪……これ――」

「――うん」

私が生まれる前から、私にとっての父は、私の知る唯一の父だった。

手帳を持つ手が震え、その手に涙が滴る。

愛する夫が優しく私の肩を抱き、私は身を任せた。

「いい名前だな」

「……?」

「椿の字、お父さんとお母さんの漢字を合わせてる。お母さんの春の字と、お父さんの木へん。それに、同じ音を踏んでる」

それは知っていた。

三人とも、名前の最後が『き』。

「子供の頃、両親に言ったことがありました。私もお母さんと同じ『姫』が良かったって。そうしたら、父が『お父さんのお姫様はお母さんだけだから』って言ったんです。私、ずるいって泣いた」

「子供相手にそんな惚気る親だったのか……」

「そうです。すっごく仲が良くて、私――っ」

喧嘩している二人を、見たことがなかった。

いじけたりはしても、お互いに責め合い、罵り合うような喧嘩は、見たことがない。

大人になって思えば、そんなに仲が良いままでいられるものかと不思議に思うが、それくらい仲が良かった。

名前も知らない親戚の話など、私の瞳の色など、なんて些末な問題だったのだろう。

大切なことは、ずっと思い出の中にあったのに。

「じゃあ、俺たちの娘には、姫の字をつけてやろうか」

「……っ?」

「んで、俺はその子をお姫様の如く溺愛するよ」


彪が娘を溺愛……。


想像してみる。

小さな女の子にメロメロの彪。

なぜか、しっくりこない。

私の知る限り、彪はいつも冷静で、余裕があって、強気。

目尻を下げて子供に頬擦りする姿は、彼らしくない。

「ちょっと、想像できないですね」

「え? そう?」

「はい」

「そうかなぁ」

「はい。彪は、なんていうか、娘の方がパパ大好きって感じが似合うというか」

「え、なにそれ」

想像してみる。

小さな女の子が彪に抱っこをせがみ、彼は仕方なさそうに、けれど優しく抱き上げる。そして、女の子は嬉しそうにパパに頬擦りをする。

うん、こっちだ。

「前々から思ってたけど、椿の中で俺ってかなり過大評価っていうか、美化されてるよね?」

「そうですか?」

「けどさ、俺、椿の前ではかなり格好悪い所ばっか見せてると思うんだけど」

「いえ! それはありません」

思わずカッと目を見開き、彪に詰め寄る。

「彪さんはいつも格好いいです。いち清掃員の私を気遣い、自宅まで送り届けてくださいましたし、資料を折っただけの手伝いのお礼にと美味しいコーラをご馳走してくださいました。更に! 三つも願いを叶えてくださいましたし、私の人生を救ってくださいました! どこをどう取っても、格好悪いことなどありません! 彪さんは、最高です!」

思わず熱が入り、胸の前で両手を強く握っていた。

いけない、私の悪い癖だ。

ささっと距離を取ろうとして、逆に手首を掴まれて引き寄せられた。と同時に、唇が重ねられる。

彪のキスはいつも唐突だ。

最近では、何となく予測できるようになっていたが、それでも驚かされる。

「ふぅ……ん」

この話の流れでなぜいきなり濃厚なキスをされているのかわからないが、私の口内を蹂躙する彼の舌が気持ち良くて、疑問などすぐに吹っ飛んだ。

「んっ……!」

息継ぎもままならない。

気持ち良さと苦しさから、眦に涙が滲む。

やっと唇が解放され、はぁっと大きく酸素を吸い込む。

「嬉しいことを言ってくれたお礼と、俺をさんづけで呼んだ罰で、これから俺たちのお姫様を作ろう」

「えっ!」

彼が立ち上がり、手を引かれて私も腰を浮かす。

「あ、誤解のないように言っておくけど、俺にとって椿は女王様だからね」

「じょ――」

「――きっと一生、頭が上がらないからね」

私の人生で、まさか女王様に揶揄される日がくるとは。

恭しく、けれどわざとらしく、彪が私の手を取って寝室にエスコートする。

「これからは、俺に拝ませてね」

彪が私に拝みたいことなどあるのだろうか。

「手始めに、クリスマスのエロい下着姿を見せてもらえるように、拝もっかな」

「あっ――れは!」

「あの下着つけた椿に乗っかられたいなぁ」

彪が、だらしなく目尻を下げて笑う。

「ぜっ、前言撤回です! その顔は格好わる――」

「――愛してるよ、俺の女王様」

腰を抱かれたかと思ったら、ベッドに放られる。

そして、横たわる私の上に、いかにも悪い顔をした旦那様が圧し掛かる。

「さあ、じっくり身体で未来を語ろうか」

私の身体に、私たちの未来お姫様が宿るのは、そう遠い日ではないようだと覚悟して、私は最愛の旦那様の首に腕を絡めた。

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