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湯気の向こうで、見知らぬ男はまるで当然のように立っていた。名乗りもせず、ただ「冷める前に」と顎でマグを示す。
ディアビレは眉を寄せた。「毒でも入っていたら困るんですけど」
「そんな手間はかけない」
「言い方が全然やさしくないですね」
「眠い人間に長い説明は要らない」
むっとしながらも、香りに負けてひと口飲む。舌に乗った瞬間、強すぎない苦みのあとから、やわらかい甘さがほどけた。頭の奥に貼りついていた霞が、少しずつはがれていく。思わず二口目を飲んだところで、男の口元がほんのわずかに動いた。
「効いたな」
「……悔しいですけど」
「悔しがる元気が戻ったなら十分だ」
ディアビレは反論しようとして、自分の手がカップの熱にほぐれていくのに気づいた。ひび割れた指先。赤くなった関節。昨夜の洗剤と今朝の冷水で、手の甲は春先の木の皮みたいに荒れている。
男の視線がそこに落ちた。
「雑に扱われすぎだろ、その働き方」
言われた瞬間、胸の奥のどこかが先に痛んだ。痛いと言ってはいけない場所を、見つけられた気がしたからだ。
「別に、平気です」
「惜しい」
「何がですか」
「強がりの出来が」
言い捨てるようにそう言って、男は空になったコーヒーポットを持ち上げた。「夜勤責任者のジナウタス。今夜もここにいる」
その名だけを置いて、彼は機械室の方へ歩いていく。ディアビレは手の中のぬくもりが消えないうちに、小さく息を吐いた。まだ朝なのに、静かな夜の続きを飲んだような気分だった。
風宮 むぅまろ🦇🍀︎ 🍬🍚
#海辺の町