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ディアビレの放送から少しして、避難していた宿泊客たちの空気が目に見えて落ち着き始めた。子どもたちは毛布にくるまり、年配の客も椅子へ腰を下ろし、非常灯の明かりの中で温かい飲み物を受け取っていく。
喫茶室前の廊下では、ディアビレが紙コップに湯を注いでいた。そこへ、一人の男性が子どもの手を引いて近づいてくる。見覚えのある顔だった。以前、迷子になりかけた息子を連れ戻した時の父親だ。
男の子もディアビレを見るなり、ぱっと目を輝かせた。
「このお姉ちゃん!」
父親は深く頭を下げた。
「あの日、この子、あなたに助けてもらったんです。帰ってからずっと言ってました。ホテルで、ハッピーをもらったって」
その言葉で、あの小さな声が鮮やかによみがえる。悪役を演じた日の帰り際、屈託なく投げられた一言。ハッピーをもらった、と。
男の子は毛布の端を握ったまま、照れくさそうに続けた。
「きょうも、へびきたし、こわかったけど、ちょっとだいじょうぶだった」
廊下にいた人たちが、その会話へゆっくり顔を向ける。誰かが拍手をするような派手な場面ではない。けれど視線が、以前とはまるで違う重さで集まってきた。
ディアビレは急に、胸の奥が熱くなるのを感じた。嫌われ役として見られるために立たされてきた場所で、今は誰もそんな目をしていない。
フレアが遠くから親指を立てる。ベジラは子どもを連れた母親に毛布を渡しながら、少しだけ目を伏せた。ラウールは何か言おうとして、珍しく黙ったままだ。
ジナウタスがディアビレの隣へ来る。何も大げさなことは言わない。ただ、彼女の手元から空になったポットを受け取り、新しい湯を用意するために背を向ける。その自然さが、今は何より心強かった。
男の子の父親は、周りにも聞こえる声で言った。
「このホテルを守ってくれて、ありがとうございます」
その一言が引き金みたいに、周囲の宿泊客たちも小さく頭を下げる。ひとり、またひとりと、感謝の気配が広がっていく。
ディアビレはようやく分かった。この場所の真ん中へ押し出されるのは、誰かに飾られた時じゃない。働いた手と、飲み込まずに言った言葉が、人の胸へ届いた時だ。
非常灯の下で、ホテルの空気が静かに変わっていた。
#恋愛
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