テラーノベル
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沙耶香の部屋には、柔らかな灯りがひとつだけ灯っていた。昼とも夜ともつかないその空間の中に、蓮司の姿があった。
「遅かったね」
沙耶香の声は、何も変わらず淡々としていた。
その隣で、蓮司が脚を組み、こちらを振り返る。
「帰り道、一緒だったんだって?」
蓮司の声は、いつも通りの調子。
けれど、その裏には確かに“何か”を含んでいた。
遥は黙ったまま、立ち尽くしていた。
(部屋に入ったのが、間違いだった)
そう思っても、もう遅い。
ここは、自分の居場所ではなかった。
もとから。
沙耶香の視線は一度も遥を見ない。
見なくても、遥には“見透かされている”ような圧があった。
蓮司がふいに立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「ねえ。おまえさ──今日、なんで震えてたの?」
遥は動けなかった。
口を開けたら、声の代わりに呼吸すらこぼれそうだった。
「夢、見た?」
その言葉に、肩がぴくりと反応する。
蓮司は笑う。
沙耶香は、それを止めもしない。
ただ静かに、そこにいるだけで、何よりも遥を縛っていた。
「ねえ、夢の中でさ──誰に抱かれたの?」
その言葉は冗談めかしていた。
けれど遥には、それが“見られていた”ようにすら感じられた。
心臓が、喉元で暴れていた。
(ちがう、ちがう、見られてない、知られてない)
「……っ、なにが……言いたい」
なんとか絞り出した声は、掠れていた。
蓮司はにやりと笑いながら、耳元で囁く。
「“汚したいくせに、壊されたがってる”って、ほんと器用だよな、おまえ」
震えが、止まらなかった。
沙耶香がようやく口を開いた。
「……どうして、ここまで生きてこれたのか不思議なくらい、弱いわね」
その言葉には、嘲りも怒りもない。
ただ、絶対的な“現実”として遥を見下ろしているだけだった。
蓮司の手が、遥の顎に触れる。
ほんのわずか。
でもその距離が、全身の神経を逆撫でする。
「さっき、泣いてたろ。……身体、反応してたよね?」
遥は目を見開いた。
言い返せなかった。
否定できなかった。
(夢のことなんか……言ってない)
(なのに──)
「穢されたくて震えてたのか、それとも、誰かに見てほしかったのか……どっち?」
蓮司の言葉は甘く、静かで、それでいて底なしの泥のようだった。
遥は震える手で、蓮司の胸を押し返そうとした。
けれど力は入らなかった。
情けないくらいに。
ふるえた手が、掴んだまま動かない。
「もう、戻れないよね」
その言葉が、とどめのように刺さった。
沙耶香が静かに立ち上がる。
そして遥に目を向けた。
「……消えなさい。ここはあなたのいる場所じゃない」
遥は、なにも言えずに部屋を出た。
足元がぐらついた。
(汚れてるのは──オレなんだ)
心の中で、誰かが言っていた。
──それでも触れてほしかったのか?
──あいつに、助けてほしかったのか?
──優しくされたくて、泣いたのか?
答えはなかった。
あるわけがなかった。
ただ、汚れた感触だけが、肌の内側に残っていた。
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